亀田俊和「観応の擾乱」 | 世界文学登攀行

世界文学登攀行

世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

観応の擾乱
――室町幕府を二つに裂いた
  足利尊氏・直義兄弟の戦い


さすが中公新書と言おうか、ここ来ますかという針の穴を通すようなテーマ設定。
いつものことで恐縮だが、お恥ずかしながら予備知識が全然ありません、という白状をしなければならない。


しかし、しかしである。
僕は高校時代、吉川英治の「私本太平記」という、文庫にして全11巻の長編を読破している。
鎌倉時代末からはじまるこの物語は、当然観応の擾乱をカバーしている。
重要なプレーヤーは、将軍足利尊氏、弟の直義、足利家執事の高師直である。
そして、思い出せたのは、どう考えてもフィクションであろう、高師直が虫歯の歯と岩に糸をくくりつけて、苦しみながら抜歯を試みてる描写のみである。(それも、観応の擾乱と関係ないシーンである)
吉川英治の初期の頃の作品と違い、淡々とした描写の続くこの物語を、なんとかかんとか読んだはずなんだけどなあ。


さて。
観応の擾乱について、簡単に説明をしたい。
足利家内部の対立を発端とし、全国を巻き込んだ動乱である。
そして、観応の擾乱は二部構成である。
第一部は、足利尊氏の弟の直義と、足利家執事の高師直の対立である。高師直の後ろには尊氏がいる。
第二部は、足利尊氏と、直義の対立である。


とても分かりにくいのだが、足利尊氏と直義、そして高師直は、元々一緒に政権運営を担当する仲間なのだ。
それが、敵味方に分かれて戦う。
それも、ずっといがみ合っているわけでもなくて、第一部と第二部の間は、高家は没落するが、尊氏と直義は手を取り合って政権運営を行う。
そしてまた、敵味方に分かれて戦いをはじめるのだ。


この対立軸の見えにくい争いの中で、有力な家来たちも、尊氏についたり、直義についたりしながら戦っている。節操がない、というよりも、操の立てようがない感じで、勝つ方につかなければしょうがないというため息のようなものも聞こえてくる。


この動乱の背景から、発端、人間関係、戦乱にいたるまで、丁寧に綿密に描かれている。
室町時代初期のワンシーンである観応の擾乱をつぶさに見ていくと、この時代がどういうものであったか、観応の擾乱が果たした歴史的役割はなにか、ということが見えてくるようだ。


鎌倉幕府を討伐して、室町幕府を開いた足利家であったが、そのほとんどの制度は、鎌倉幕府のものを踏襲していた。足利直義は、まさにその代表であったが、観応の擾乱による政権担当者が、直義から、尊氏の息子であり、2代目の将軍となる足利義詮に移行することで、独自の制度が発達する基になったようだ。
そして、北朝と南朝に分かれた南北朝時代という時代相も、この擾乱を通じて浮き彫りになる。


本書の内容は、自分にとっては、ほとんど新しい知識なので、頭に入りにくかったが、今川氏、上杉氏、細川氏、山名氏、斯波氏など、戦国時代の有力守護大名として名前の残る家の動乱期の活躍などを読むと、興味もわいてくる。
なにより、将軍家への忠誠、それに対する恩、などのギブアンドテイクの発想は、観応の擾乱の論功行賞のようなものの中で培われてきた発想のようだ。


室町時代は、僕にとっては、つかみづらい時代なのだが、時代の画期となる動乱期に室町時代を彩る基本的なものはすべて凝縮していると考えていいようだ。一カ所を深く掘ることで、開けてくる視界がある。
そういう意味で、非常に読み甲斐のある読書であったし、知的好奇心を満たす一書であった。


観応の擾乱 - 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)/中央公論新社
¥929
Amazon.co.jp