武田尚子「ミルクと日本人」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

ミルクと日本人
――近代社会の「元気の源」


中公新書をナンバー順に読むということをやっているので、タイトルを見て読みたくてテンションが上がる本と、下がる本がある。
というのも、僕の牛乳消費量は、学生の頃を除けば、1年に1本、飲まない程度なのだ。
嫌いなわけではないけれど、飲む必要もない。それが牛乳。


そんな牛乳(そもそもなんでミルクやねん!)と日本人を結びつけられても、僕とは結びつかないよ、と不満を抱きながらページを開いた。


この本で取り扱われている時代は、明治維新の頃から、終戦直後の脱脂粉乳の時代まで。
生産量が少なく、高嶺の花だった牛乳が、生産者の努力などにより、生産量が増え、社会に浸透していった。また都市労働者の低所得家族は、栄養を摂取することが困難で、疫病の蔓延などによって、多くの子供が命を落とした。牛乳は、その栄養価の高さゆえに、社会的資源として、貧困層の乳幼児や、学校給食など、政策的に取り入れらていった。
牛乳そのものの歴史というよりも、歴史の光が当たらないような庶民の、生きなければならないという現実に即した記述により、彼らの生活を浮き彫りにする。
リアリティがあり、読みがいがあった。


また、牛乳に関するあれこれも面白かった。
特に、芥川龍之介の実父は、牛乳屋の大成功者だったらしい。
幼少の頃の龍之介少年と、牛乳配達のお兄さんの交流など、興味を引く話題は尽きない。


東京の、大きな銀行を構えるような主要都市を、赤く彩った牛乳配達の人力車が通り抜けていく。
今で言う喫茶店で、牛乳を飲む「ミルクホール」ができ、新聞を読む、学生や社会人が時間を過ごした。
子供の発育のために、安くない牛乳を買い与える母親。
牛乳の普及に伴って発生した衛生問題。殺菌のための大きな設備が必要になり、経営の大統合が図られる。


すべては牛乳の話しなのであるが、近くて遠い、明治・大正・昭和の時代相が目に浮かんでくるようだ。
100年前の日本の風景を、あちこち散歩するような気持ちで本書を読み終えた。
期待していないのに、こういう当たりの本があると、中公新書の無差別読書はやめられない。
敬意を表して、というわけではないが、最近、牛乳を飲むようになった。
こうして、牛乳が店頭で気軽に飲めるようになるまでのドラマをかみしめながら。


ミルクと日本人 - 近代社会の「元気の源」 (中公新書)/中央公論新社
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