天野郁夫「帝国大学」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

 帝国大学
――近代日本のエリート育成装置


僕は大学は出ているのだが、ほとんど付属の高校のようなところから、簡単な推薦入試をうけて大学に入ったので、大学の受験事情はよく知らないし、自分が行ったところ以外の大学のこともよく知らない。


「旧帝大」という単語はたまに耳にするが、東大のこと言っているんやろなあくらいの認識である。


明治19年、政府は「帝国大学令」という学校令を公布した。
この「帝国大学令」に基づいて設立されたものが帝国大学である。
もちろん、現在、帝国大学というものはない。
帝国大学は最終的には国内に7校誕生した。とりもなおそう、東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学の7つの国立大学の前身である。(正確に言えば、植民地にあった、京城大学、台北大学の2つを加えた9校が帝国大学であった)


明治政府は、西欧を範とした近代化を目指した。
その育成装置として期待されたのが、帝国大学である。
なんのノウハウもない中、途方もない人手も資金もかかる大学設立と運営の苦労など、新生日本の建設の栄光を担った、先人たちの苦闘を見る思いがした。


当初、帝大卒の学生には、社会的なポストが用意された。
帝大生という響きの中に、将来を約束されたエリートの意味が含まれていた。
時代が下り、大正デモクラシーに代表されるように、社会の中間層が力をつけてくると、大学進学を目指す若者たちが激増した。受験戦争である。
有意な人材が、受験浪人として在野に埋もれるという、社会的な損失を憂慮して、次々と大学が設立されるようになった。それは帝国大学であり、私立等の大学であった。
帝大の卒業生ばかり優遇するのはいかがなものかという世論が形成される。せっかく受験戦争をくぐり抜けても、帝大卒のエリートたちに社会的なポストが分配できなくなった。


受験戦争と、叫ばれる学歴主義の弊害。
歴史というのは繰り返すものだと、多少の苦笑いをしながら実感する。


ともあれ、少数のエリート育成から大衆の時代へと移行する中で、帝国大学のあり方が変わっていったところに着眼した、著者の独創的な視点が素晴らしく、社会を背景とした教育史として、社会と教育が密接につながっているんだということを考える契機になった。
大学制度一つとっても、社会の流れが凝縮しているようで、面白いものだと思う。


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