稲葉陽二「企業不祥事はなぜ起きるのか」 | 世界文学登攀行

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世界文学の最高峰を登攀したいという気概でこんなブログのタイトルにしましたが、最近、本当の壁ものぼるようになりました。

企業不祥事はなぜ起きるのか
――ソーシャル・キャピタルから読み解く組織風土


まず、自分のことから語り起こしたい。
僕は、大学では経営学部に所属していたし、ある資格を取るために勉強をしていたのだが、その受験科目の中に経営学もあった。
社会に出てからは、僕自身は一介のサラリーマンに過ぎないが、ある程度他人の経営を斜め後ろから眺めるような職業についていて、もう10年以上になる。


そういう観点から、経営学を語る本についていつも思うことが「全部後付けじゃねえか」ということ。
特に実務畑で長年やってきた人の本はひどくて、自分の一つの人生の経験を、すべての社会にあてはめようとするから読むに耐えない。
僕は割とこだわりなくなんでも読む方ではあるけれども、経営学の本だけはご勘弁願いたい、そういう気持ちであった。


しかし今、中公新書を刊行順に読むということをしている。
この本だけ飛ばすというわけにもいくまい。
意志の弱い僕には、書籍の選択は基本的に許されておらず、定めたルールは、自分の感情の上位に位置する概念となっている。


そこで本書の内容に入るのだが、全部で200ページほどの中で書かれている内容は、トップの人間は時として暴走する、その時にトップの暴走を制御できる仕組みが会社内に構築されていなければ、企業不祥事は起こりうる。ということである。さらに具体的に言えば、企業不祥事の際に言及される「企業風土」とはなんなのだろうか、という問いかけから入り、内部のまとまり具合を示す「凝集性」と、外部に開かれた組織か否か、という二つの指標を元に、どういう組織で企業不祥事は起こるのかと考察を行う。


あえて、こんな風にポンと書いてみた。結論だけ言えば、2ページのレジュメがあればおそらく説明が可能な内容だと思う。
そして、読後感は、当たり前だよね、ということである。
この記事の前半で、ほとんど経営学の本を罵倒するように書いたので、この本もつまらなかったのかと思われそうだが、実はそんなことはない。
読んでいて感じたのは、多くの利害や人が絡み合う社会の中で、普遍的なものをつかもうとすれば、かえって母集団が複雑で膨大すぎて、何とでも言える、そういう世界なのだということ。
経営学と銘打って、結論が斬新なものであればそれは読み物として面白くなる。
しかし、それが経営学のすべてではない。この本を読んでいると、妥当で当たり前の結論を導くために、例外などのノイズを極限まで減らし、母集団を歪めたりすることなく丁寧に単純化していく作業が読みどころで、考えることがたくさんあった。


また、実際の企業不祥事からの考察を、他の多くの不祥事の事例にもあてはめてデータとしてどういう相関関係を示すか、ということを分析する項では、こういうところが、21世紀という感じがして一人納得してしまった。どんな分野であれ、学問は急激に進歩していることを実感する。


社会で一人のプレイヤーとして生きている以上、肌に感じるしょうがないよねという空気は存在する。
こういう本で書かれている理論は、そこで立ち止まるのではなくて、どうすればそれを変えていけるのか、という変革のための第一歩なのかと思った。企業とはなんぞや、組織とはなんぞや。
いろいろ考えさせられる読書であったから、この本も読んでよかったと思った。


企業不祥事はなぜ起きるのか - ソーシャル・キャピタルから読み解く組織風土 (中公新書)/中央公論新社
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