アンニョンハセヨ~ニコ

 

今月「応答せよ1988」と「応答せよ1997」を再視聴してから、書きたくてムズムズしていたことを、ようやくまとめました(その情熱を仕事に注げ)

 

シン・ウォンホ監督作品の横断ネタがわかってきたので、また再視聴したら発見があるんだろうなーと思いつつ、いったん整理(完全に誰得内容です)。

 

バラエティー番組のPDだったシン監督が初めて手掛けたドラマ「応答せよ1997」が放送されたのは2012年。

 

奇しくも10年後の今年、5作品をコンプリートしたばかりの自分(にわかファン)がネットの拾い情報も参考にしてまとめたので、誤りがあるかもしれません_(._.)_

 

 

※以下、「応答せよ」シリーズ&「賢い」シリーズのネタバレありです。

 

※画像は番組公式をスクショ

 

■放送年(制作はすべてtvN

2012年:応答せよ1997

2013年:応答せよ1994

(2014年:ミセン)※1

2015年:応答せよ1988

2017年:刑務所のルールブック(原題:賢い監房生活)※2

2020年:賢い医師生活(シーズン1)

2021年:賢い医師生活(シーズン2)

 

※1

「ミセン」はシン監督作品ではありませんが、2012年以降、韓国で新しいドラマの潮流が始まったとされる見解があるので(「人生を変えた韓国ドラマ 2016~2021」藤脇邦夫、光文社新書より)、覚書。

 

※2

「刑務所のルールブック」の脚本は、後に「ラケット少年団」を手掛けたチョン・ボフン(イ・ウジョンは企画のみ参加)。

 

 

 

■視聴順

 

1988→刑務所→賢医1&2→1997→1994

 

 

以下に感想をリンクします(カッコ内は視聴時期)。

 

 

応答せよ1988(2021年2月)

 

 

 

刑務所のルールブック(2021年7月)

 

 

 

賢い医師生活1&2(2022年12月)

 

 

 

応答せよ1997(2022年2月)

 

 

 

応答せよ1994(2022年3月)

 

 

【再視聴】応答せよ1988(2022年5月)

 

 

 

 

■お気に入り順

 

賢い医師生活1&2 ≧ 応答せよ1994 > 応答せよ1988 > 応答せよ1997 = 刑務所のルールブック

 

 

賢医と1994は文句なしに満点100点100点100点のお気に入りですが、自分の年齢的に賢医のほうが共感度が高かったので、少し差をつけました。

 

1988もほぼ満点なのですが、再視聴して前2作と比較したときに、最後のジョンファンの扱いに不満を感じてしまったので若干下げました。

 

なお、シン監督作品は、新作になるにつれて小ネタや伏線演出が増えていくので、その分食傷気味になったり、ちょっと悪ノリしすぎ!と思うシーンがあることは否めません。

 

そういう意味では、1994のバランスの良さはすごいと思う!!

 

自分的にざっくりまとめると、

 

●応答せよ1997

パイロット版らしい勢いを感じられ、ストーリーがシンプル&コンパクトでわかりやすい。

 

●応答せよ1994

1997の勢いを保ちながら、内容がボリュームアップ&仕掛けが緻密化されていて、黄金バランス。

 

●応答せよ1988

シリーズの完成形として、前2作からの進化と差別化が徹底され、仕掛けがさらに細かくボリュームたっぷり。

 

●刑務所のルールブック

(脚本家が違うので)「応答せよ」の魂を受け継ぎつつも、物語を俯瞰で楽しめる作り。

 

●賢い医師生活

計算し尽された演出と、OSTの新たな表現方法が生み出され、応答せよシリーズとは別の感情を揺さぶる脚本。

 

てな感じです(個人の主観です)。

 

 

 

■制作順に視聴したほうがベター

各シリーズは独立したストーリーなので、制作順を無視して視聴しても問題ないですが、シン・ウォンホ作品2作目以降のカメオ出演や小ネタを存分に楽しむなら、順番に視聴したほうがベターなのは間違いありません。

 

とはいえ、自分が1988を視聴したのはKドラ視聴歴の5作目で、初めて視聴する“地味な韓国ドラマ”に、最初の数話は戸惑いました。

 

もしそのときに視聴したのが1997だとしたら、1988ほどハマれなかった可能性もあるので、自分的には結果オーライかな。

 

あとは、脚本家が違うから比べるべきではないけど、刑務所はそれ1本で作品の魅力をほぼ100%満喫できるので、シン監督作品を初めて視聴するのに向いているかも。

 

 

 

 ■主要キャラの年齢設定と大学入学年

 

1988の再視聴で、ソヌとスレギが医学部同期だったことを理解したら、キャラクターの横のつながりが気になったので整理してみました(ヲタ魂発揮)。

 

●応答せよ1997

1980年生まれ。

99年入学。

 

・シウォンは早生まれ(1981年1月30日)

・ジュニの誕生日は10月4日で、「チョンサ(=1004)」のハンドルネームでユンジェに曲をプレゼント(1994でスレギがジュニを「チョンサのような奴だな」と!)

 

・シウォン姉:1973年生まれ(92年入学より計算)

・テウン:1971年生まれ(2005年の入院時34歳より計算&テウン妻も1971年)。

 

 いらぬ情報ですが、自分はシウォン姉と同い年です照れ

 

 

●応答せよ1994

1975年生まれ。

94年入学。

 

・チルボンは早生まれ(1976年1月)

※訂正:以前自分で調べておきながら間違えました。チルボンの誕生日は1975年1月です。

・サムチョンポは1977年生まれ(出生届遅れ)

・スレギは1971年生まれ(90年入学)

 

 

●応答せよ1988

1971年生まれ。

90年入学。

 

・テクの誕生日は1971年10月8日。

・ドクソン&ドンリョンは、1浪して91年入学。

・ボラ:1968年生まれ(87年入学)。

・ノウル:1972年生まれ。

・ジョンボン:1965年生まれ(6浪して90年入学)。 

 

 

●賢い医師生活

1980年生まれ。

99年入学。

 

 

シリーズと全然関係ないですが、1つ前に視聴した「二十五、二十一」は、ヒドたちが81年生まれ、イジンが77年生まれです。

 

 

 

制作スタッフも気になったので、調べてみました(自分なりに精査しましたが、サイトによって微妙に情報が異なりましたので、以下は誤りの可能性もあります)。

 

●シン・ウォンホPD

1975年生まれ

ソウル大学応用化学部(2001年卒→KBS入社。2011年よりCJ ENMに移籍)

※KBSは韓国の公共放送局で、日本でいうとNHKに相当。

※CJ ENMは、ケーブル局tvNなどを運営。

 

●イ・ウジョン作家

1976年生まれ

淑明女子大学

慶尚南道晋州市出身(コ・アラちゃんと同郷)

 

●ナ・ヨンソクPD

1976年生まれ

延世大学(2001年KBS入社。2013年よりCJ ENMに移籍)

忠清北道清州市出身

※ナPDは、1994と賢医にカメオ出演。

※延世大学時代は実際に新村で下宿していたらしく、1994メンバーと同じ時代に同じ場所で過ごしていたことになります。

 

 

【大学別に分類】

●ソウル大学

■医学部

1997ジュニ&賢医99's(同期)

■法学部

1997ユンジェ

■教育学部数学教育科

1988ボラ

 

●延世大学

■医学部

1994スレギ、1988ソヌ、マイコル、1997テウン妻(同期)

1994ピングレ

■コンピューター工学科

1994ナジョン、サムチョンポ、ヘテ、ユンジン

■社会体育学科

チルボン

 

●成均館大学

■法学部

1988ジョンボン

 

 

今回まとめて気づいたのは、1997ジュニと賢医99'sはソウル大医学部で同期だったこと! それなら賢医の回想シーン(新歓合宿や実習)には「ジュニが存在していた」わけだから、カメオ出演してくれたらよかったのにー!

 

また、2005年時点でソウル大学の教授だった1997テウンは、キャンパス内で99'sとニアミスしていた可能性もありますね。

 

1994メンバーと同じ年でソウル大卒のシン監督は2001年卒なので、99'sと1997ユンジェと在籍が被っていたんですね(兵役で休学期間だった可能性もあり)。

 

 

■前作との絡みや踏襲でツボだった箇所

 

まだ気づいていない点もたくさんあると思いますのが、とりあえず気づいた点を中心に覚書。

 

一部、1988再視聴の感想と重複します。

 

●豪華なカメオ出演

1994に出演した197のメンバーは、カメオ出演とは言うには長すぎるほど贅沢な尺でした!

オチで使われたハクチャン(ナジョンの家庭教師の生徒)は、最高に爆笑でした笑い泣き笑い泣き笑い泣き

スレギの釜山赴任のストーリーで、指導教授が1年未満でソウルへ戻ることになった経緯はちょっと不自然に思えたので、1997カメオのためにあえて釜山へ赴任させたのかな。

現在の住居の上の階の住人が1997夫妻だったのは、ちょっとやりすぎな感じはしたけれどタラー

1994冒頭の2013年のシーンで、すでにナジョンのマンションが「麻浦区上岩洞」と表示されていたのは伏線だったのかな(1997でシウォンが住んでいたマンションが上岩洞だった)。

 

1988におけるスレギ&ナジョンは、1994を視聴していないとかなりポカーンなシーンですけど、わかったうえで再視聴したときはめちゃくちゃ感激しましたキラキラ

でもね、あのシーンは、チルボンとナジョンがオムライスを食べた後で、学校へ行くためにオムライスで汚してしまった服を着替えに家に戻る流れなので、1988のカフェでの待ち合わせ「日曜日の17時」と矛盾しているんです(あら捜しBBAでごめんなさい)。

 

●「運命」ではなく「選択」

【1994】

チルボンとのミレニアム再会後に、病院でスレギと遭遇したときのシーンと回想。

【1988】

コンサート会場へテクが登場&信号に引っかかりまくったジョンファン間に合わず(→テクは試合を棄権)。

 

ゆるぎない「選択」を「運命」に変えたのは、ナジョンとテクということかな。

 

●キム・ソンギュン

1988のジョンファン父が、1994では大学生だったので、腰を抜かすほどびっくりして大爆笑だったww(制作順としては逆です)。

 

●老け顔キャラクター

1988ドクソン弟に最初はびっくりしたけど、1997ハクチャン、1994サムチョンポの流れの老け顔キャラと分かると、ジワるキャラと化したw

 

●医学部本科生(実習生)の差がありすぎるw

94年のスレギと賢医シーズン1の双子のホンドが、本科3年の実習生という同じ立場だったwww

ホンドやー、もっとしっかりしろww(かわいいから許すけど)

 

●インターンの待遇が結構違う!?

インターン時代(2005年)の1997ジュニは、テウンの病室へ訪れたり、病院に来たユンジェやシウォンと談笑したり、結構余裕がある感じ。

対して賢医シーズン2のホンドは、家に帰れなくて髪も洗えず、脂ぎったヘアスタイルでいつも疲れていましたw

 

●アッパの好物「ハイ貝」

1994でアッパの好物だった灰貝の煮付けは、1988でも同じく好物として登場。

 

●棒コーヒーの分解

1994ではヘテの軍隊同室の先輩が、刑務所のペン部長はアメリカ-ノを所望するユ大尉のために分解w

 

●男たちの挽歌

1988の冒頭シーンの映画は、刑務所でミンチョルの好きな映画として登場。

また、1994サムチョンポは、地元でレスリー・チャン(同作の主演)に似ていると言われていた(母談)w。

 

●赤いスポーツカー

1994ピングレの赤いスポーツカーのシーンは、意味ありげな演出だったのにわからなくて、検索して「なるほどーーーーー!」となりました。

わからなかった自分が悔しい!

 

●同窓会SNSサイト

1994ヘテが、1999年に元彼女と再会のきっかけとなったSNSサイトは「I love school」で、1997テウンが開発して億万長者になったのは「I like school」。

時系列で矛盾がないのに、同じ名前にしなかったのはなぜだろう?

 

●高級石鹸とシャンプー

賢医のジュンワンとジョンウォンのシャンプーのやり取りが、1994のサムチョンポの「高級石鹸」のオマージュだったとはww

 

●ストッキング

1997テフン妻が、1994でストッキングネタまで再演したのがツボだったw

 

金の亀

1988で貴金属店「鳳凰堂」を経営していたテク父が、夫婦として同じ設定のキャラクターで登場し、賢医イクジュンに「息子が大会に出場してもらったもの」と金の亀をワイロで渡すw

金の亀は、テクがドクソンにプロポーズで渡したものですねww

 

●確認キス

シリーズ3回目の「確認キス」を、ジョンボンカップルに持ってくるセンスに大爆笑www

1997→1994の流れから考えると、1998ではソヌ&ボラが妥当なのに見事な裏切り!

 

●キャッチボール

1994でチルボンがスレギに仕掛けた直球勝負を、1988ソヌ→テク父で再現えーん

しかも勝負のテーマは好きな異性ではなくて、自分のオンマというところが1988らしさ全開えーん

 

●チルボンとジョンウォン

賢医で何度も表現されたチルボン演出に、もっと興奮したかった!!

もし時を戻せるなら「賢医の前に1994を視聴しろ!」と自分に言いたい。

さらに「花より青春 ラオス編」の、素のヨンソク氏とのニアミスシーンも多かったなー。

賢医で登山ツアーの計画を詳細に立てて宿を予約する姿なんて、ラオスのヨンソクそのものだったw

 

<賢医でチルボン降臨の例>

・野球のキャップ(withドンイル)

・お風呂上がりの上半身裸やボンジョヴィ衣装の肉体美

・ラーメン作り担当&買い出し係などの世話焼きキャラ

・チルボン念願の相合い傘&「あーん」が、ジョンウォンになって実った

 

 

※「花より青春 ラオス編」の感想↓

 

 

 

 

■横断OSTと歌手

 

●「華やかではない告白」1993年/イ・スンファン

賢医のOSTとして大好きな曲は、元々1994の停電シーンのラジオから流れていました(残念ながら日本版映像では別曲に差し替え)。

その後、1997のプレイリストの1つを聴いていたら、同曲の原曲が流れたので「なぜ?」と思って調べてみると、びっくりな発見がありました!

 

・1997

テウン&ヒロイン姉が路上で似顔絵を描いてもらっているシーンで流れたらしいです!!(ここも別曲に差し替え)。

テウンが「メリー トゥー ミー」とプロポーズするシーンですねウインク

・1994

チルボンはラジオに感化されて、翌日に遠征先から“華やかではない告白”を何度も試みるも、結局言えずに1日が終わりました(萌え)。

・1988

1994年に一人ぼっちになったドクソンの元へ、テク(&ジョンファン)が駆けつけたのはイ・スンファンのコンサート会場。

同曲のリリースが93年だから、そのコンサートで確実に歌われたんだろうなー。

テクとジョンファンがコンサート会場へ駆けつけた行為が、“華やかではない告白”と表現されたのかな。

・賢医

ジョンウォン先生の“華やかではない告白”は、この曲のイントロだけで何度も表現されていて「くぅーーーーーラブ」となります(音楽演出が神!)。

それについて吠えまくった投稿↓

 

 

 

 

●「私の涙を集めて」1996年/ソ・ジウォン

これも賢医で大好きなOSTなんですが、1994では原曲MVが登場していたそうです。

残念ながら日本版では丸ごとカットされているけど、1996年から1997年まで時間が一気に進むシーンで、ランキング形式の歌番組が時系列で流れたらしく、96年5月の1位の曲として同曲が登場し、ナジョンたちが涙ぐんでいるシーンがあるとか(ソ・ジウォンは同年1月に死去し、同曲はその後にリリースされた)。

あの時間経過のシーン、イルファが唐突に「季節が過ぎるのは早いわねー」と言う流れが不自然だったので、そういうことだったのかーと合点がいきました。

同シーンでは、 97年1月の1位はH.O.Tで、客席で叫ぶ1997シウォンが映り、ドンイルが「俺が親だったら髪の毛を刈ってやる!」と、最高に爆笑な横断セリフまであるとか!!

 

いつか応答せよシリーズの韓国版を観たい!

 

 

●動物園とキム・グァンソク

これもOST絡みの話で、「動物園」はバンド名です。

・1994

サムチョンポ&ユンジンが出かけたコンサートのキム・グァンソクは、動物園の元メンバー(上記のソ・ジウォンと同じ96年1月に死去)。

・1988

OST「恵化洞(あるいは双門洞)」のオリジナルは、動物園の「恵化洞」(1988年)。

・賢医

OST「To You」は、キム・グァンソクのソロデビューアルバム収録曲(1989年)。

OST「市庁前地下鉄の駅で」のオリジナルは動物園(1990年)。

 

1994では(おそらく)当時の最先端音楽だったソテジのファンのユンジンと、フォーク調の動物園やキム・グァンソクが好きなサムチョンポを、音楽面でも対比させていたわけですね。

賢医では、実習生のホンドユンボクが「動物園が好き」と言って、IUファンのユンボクホンドから「古臭い」とバカにされるのも同じ構図でした。


【追記】

ユンボクとホンドの好みを逆に書いていたので、訂正しました。

 

横断するOSTは、ほかにも「もう忘れましょう」(1988と賢医)があったり、賢医でイクジュンがクラブ通いの学生時代をウジュに話すシーンで「恵化洞(あるいは双門洞)」のイントロが流れたりしました。

 

 

 

■ヒロインの夫候補がハイスペック

3作を通じて共通した思ったことは、ヒロインはどっちに転んでも手堅い相手びっくりマーク

 

1997:判事orベンチャーの大富豪でソウル大教授、後の大統領候補

 

1994:医師orメジャーリーガー

 

1988:天才棋士orキャリア軍人

 

 

わざわざ高条件の男性を狩りに行ったのではなく、たまたま身近にハイスペック(高収入?)が存在していたという裏山環境!

 

でも、ヒロインもおバカキャラとして演出されているけど、将来的には放送作家、観光公社(でいきなり海外赴任)、CAと、ちゃんとしてるんですよね!

 

 

恋愛の対象が手近すぎる

学生時代や職場での恋愛はいいとして、幼馴染み同士や、友人の妹や姉とカップルになったり、兄弟で同じ人を好きになるとか、個人的にはちょっとついていけなかった感があります。

 

自分の周りにはそのパターンがほぼいないんですけど、世間では割と多いのかなー。

 

 

 ■地方出身者の不利益やコンプレックス

1997は釜山が舞台で、1994は地方出身者が集まる下宿、1988の双門洞も親世代が地方出身者ばかりでした。

 

そして、賢医のイクジュンとジュンワンも南部の昌原出身。

 

1997では追っかけや進学において不利だというセリフや描写があったり、1994では地方出身者がからかわれ、賢医でも2人が上京してから垢抜けるまでの過程が少し揶揄されて描かれていたのが面白かったです。

 

今回の投稿を書く過程で、イ脚本家が地方出身ということがわかり、実際に当時苦労したり悔しい思いをしたんだろうなーと想像できました。

 

 

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この記事を書いていたら、また「賢い医師生活」を視聴したくなってしまいました。

 

応答せよシーリーズを制覇してからは視聴していないので、また新たな発見があるかもと思って。

 

ではまたバイバイ