ゲーテの「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」の解釈と原文 | 「絶望名人カフカ」頭木ブログ

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文学紹介者です(文学を論じるのではなく、ただご紹介していきたいと思っています)。
本、映画、音楽、落語、昔話などについて書いていきます。

先程、Twitterで、
ゲーテの
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」
という言葉を引用しました。

これは有名な言葉で、ネット上でもよく見かけます。
私も好きな言葉です。

これの意味を私は、
「ツライ思いをすることが、人間性をより深め、人生についての理解も深めることになる」
というような感じで理解していました。

ところで、ネット上でこんな2つの解釈に出会いました。

まずひとつ目。
「これは、人生はまずい(美味しくない)という意味です」
つまり、
「涙とともにパンを食べる」というのは、
涙が出るほどパンがまずいという意味だ、ということのようです。
人生は本当はツライものであり、
それが本当の味であり、
ツライ思いをしたときに、それに気づく、
ということなのでしょう。

ふたつ目は、
「パンを手に入れるために苦労した者にしか、人生はわからないという意味です」
つまり、
「涙とともにパンを食べる」
というのは、そのパンを手に入れるために、
泣くほど苦労したということであり、
そういう苦労をした者にしか、人生はわからない、
自分で稼いだのではないお金で簡単にパンを手に入れられて、
パンを見て泣くなんて思いもよらない者には、
人生はわからない、
ということなのでしょう。

どちらも、意外でしたが、
説明されてみると、
なるほどと納得できるところもあります。

名言というのは、
それぞれの人が、
そのときどきの自分の状況に照らし合わせて、
味わえばいいもので、
どの解釈が正解ということはないと思います。
作者がどういうつもりで書いたにせよ、
解釈は読み手の自由だと思います。

とはいえ、
やっぱり、こういろいろ解釈があると、
ゲーテの原文がどうなっているのか、
気になりますね。

そこで、ちょっと原文を見てみました。

この言葉は、
ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の
第2巻の第13章に出てきます。
老人の歌う「悲痛な嘆きの歌」の詩句です。
ざっと訳すと、こんな感じになります。

 涙とともにパンを食べたことのない者は、
 苦しみに満ちた幾夜を
 ベッドに座って泣きあかしたことのない者は、
 あなた方を知らない、天の力よ

 あなた方は、私たちを人生へと引き入れ
 あわれな者に罪を負わせ
 そうして、苦しみの手に引き渡す
 すべての罪は、この世で報いを受けるのだから

原文には「人生の味はわからない」という文はないのです。
そうではなく、「天の力を知らない」ということになっています。

つまり、
原文で言っているのは、
神の御業というか、
この世の宿命というか、
そんなようなことのようです。

では、「人生の味はわからない」というのは、
どこから出てきたのでしょうか?

これはどうやら英訳から来ているようです。

If you’ve never eaten while crying you don’t know what life tastes like.

と訳した人がいるようです。
それが誰なのかは知りません。
(ご存じの方がいらしたら、教えてください)

「食べる」に合わせて、「味がわからない」としたのは、
なかなか見事なものです。

ただ、原文とはちがうわけですが、
ではこれは、誤訳なのか、意訳なのか、超訳なのか?

元の歌も、宗教歌というわけではありません。
老人は、
あわれな者が、罪をおかして、
その報いを受けて、苦しんでしまう、
この世の哀しさを嘆いているのです。

とすれば、
「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」
というのは、原意を大きく逸脱はしていないでしょう。
すごくゆるやかに言えば、意訳と言えるかもしれません。

ただ、原文にまるでないことを言っているわけで、
超訳と言うべきかもしれません。

いずれにしても、
「涙とともにパンを食べた者でなければ、天の力はわからない」
などとしたのでは、
宗教臭くて、とてもこれほど有名な名言にはならなかったでしょう。

私は、原文からまったく逸脱して、
当人が絶対に言わないだろうことまで言わせてしまう超訳には反対なのですが、
このゲーテの名言のような超訳なら、
ぎりぎり許容範囲ではないかと思います。
ここは意見の分かれるところでしょうが。

もし、
人々が口から口に伝えているうちに、
自然のこの形に変わっていったのだとしたら、
もっと素晴らしいことだなと思います。
口承による洗練ということに、私はとても興味があります。

ところで、
「ベッドの上で泣きあかしたことのない者には、人生の本当の安らぎはわからない」
と続けるのはどうでしょう?
やりすぎですかね(^^ゞ