古典芸能が、若い人にウケにくくなっているのは、
「古い」とか「堅苦しい」とか、
そういった問題ではなく、
見る側の鑑賞の仕方が大きく変わってきたせいではないでしょうか?
「芸の味がわかるようになるには、時間がかかる」
これはかつては常識であったと思います。
何年もかけて見続けて、ようやく、
「ああ、これなのか!」と、
面白さがわかってくる。
でも、今は、
何回か見て、つまらないと思ったら、
もう二度と見ないでしょう。
「わからないのは、わからせない相手のほうが悪い」
という考え方が一般的になっています。
「もっとわかりやすくすべき」「こっちに伝わってこない」
なんてことを平気で言ったりします。
見る側がこうなってしまったのは、
送り手側が「読者の求めるものに合わせよう」
としすぎたせいでしょう。
堅いものは噛み砕き、消化に時間のかかるものはそもそも食べさせない。
苦みや酸味は取り除き、甘さばかりを強めていく。
これではあごや舌が弱くなって当然で、
ちょっと歯ごたえがあるだけでも不快で、
「こんな堅いものは食べられない」「やわらかくして」
と言うようになるのは当然です。
子供が喜ぶようなお菓子ばかりをどんどん与えていると、
ごはんをちゃんと食べなくなってしまうように。
よく噛めば美味しいなんて言っても、
もう無理というものです。
最近、雑誌が売れないと言いますが、
昔の雑誌はこちらを引っぱっていこうとしていました。
こちらの知らないことが書いてありました。
でも今の雑誌は、こちらの求めているものしか載っていません。
これでは退屈です。
漫画家の浦沢直樹さんが、
こんなことを書いていました。
『YAWARA!』という漫画が大ヒットして、
「また同じようなのが読みたい」
「YAWARA!のようなのを描いてください」
というようなファンレターが山ほど来たので、
『Happy!』という似た漫画を描いたら、
「YAWARA!と同じで、つまらない」という手紙がたくさん来て、
なんだ、それりゃ!と思ったそうです。
読者のニーズというのは、そういうものでしょう。
求めているものを与えればいいというものではなく、
求めることを思いつけないもの、
こそが本当に面白いものだと思います。
話がズレましたが、
「じゃあ、何年をかけてようやくわかるなんて、
そんなことまでして鑑賞する意味があるのか?」
ということについてですが、
これは1回でもそういう経験をすれば、
「ある!」と確信を持って言えると思います。
「なんで、見る側が努力しなければならないんだ!」
という人も今はいるかもしれませんが、
やる側だけでなく、見る側にも修行が必要なのは、
むしろ当然のことで、
なんでもわかりやすすぎる今のほうが異常です。
わかったときの感動はとても大きいので、
努力は充分にむくわれるのです。
何年もかけたコスト以上に、報酬は大きいです。
私自身も、
落語で、昭和の名人と言われている、
三遊亭圓生の芸がずっとわからなくて、
つまらないとしか思えませんでした。
でも、しつこく見ているうちに(この間は退屈で苦痛でした)、
たしか三年目くらいだったと思いますが、
「包丁」という演目のビデオを見ているときに、
突然、その芸がわかるようになりました。
(話がズレますが、こいういうことは不思議と、
突然ですね。
ずっと弾けなかった楽器も、
ある日突然、弾けるようになったりしますし)
わかってみると、
これはすごく楽しいんです。
自分の中に、その芸を味わえるだけの、
新しい感性が育ったわけです。
これこそが醍醐味です。
こういう経験こそが、最も大きい感動であり、
芸術というのものの力だと思います。
それで何がどうなるわけでも、
人生が上向くわけでもお金が儲かるわけでもありませんが、
こういう喜びを知らずして、何が人生かと思います。
まあ、もちろん、
すぐに楽しめるものを楽しむのもいいと思います。
でも一方で、
古典芸能のように、
何年もかけてようやく味がわかってくるようなものを楽しむ、
ということもあってもいいのではないでしょうか。
そういう鑑賞の仕方があるということを、
多くの人に知ってもらうことが、
古典芸能にとっては大切なのではないかと、
部外者ながらも、思ってしまいます。
(知ってもらう難しさは別にしても)
ちなみに、私は、
本にしても、映画にしても、音楽にしても、
最初は無味乾燥に思えたものに関しては、
時間をおいて、何度も挑戦するようにしています。
そうすると、そのうちの何割かは、
そのうち、ある日、ついに面白さがわかることがあります。
この感動は、本当に大きいです。
自分の中に新しい感性が育ったことがわかります。
一度、そういう体験をすると、
最初つまらないと思ったからと言って、
そう簡単に見離さなくなくなります。
自分の中にまだこれを味わえる感性がないのではないかと、
自分のほうを疑うようになり、
繰り返し挑戦するようになります。
しかし、そういう経験がないと、
つまらないものは、
二度と見ないでしょう。
つまらないのは、相手(本や映画など)のほうが悪いと決めつけてしまいがちです。
しかし、
新しいものに接して、
それをすぐに味わえる感性が自分の中にあるほうが、
むしろ珍しいのです。
感性は新しいものとの出会いによって、
新しく育っていくものです。
そこに醍醐味があります。
すぐに面白いと思えるものだけに接していたのでは、
いつまでも手持ちの感性だけで生きていくことになります。
それはなんとも味気ないことではないでしょうか。
今朝のYahoo!ニュースを見て、頭にきたもので、
大変長々と、くどくどと書いてしまいました……。