◆弱さが文学のために大切だったということ
カフカが自分の弱さを誇張し、
日記の中でまで、くり返しそのことにふれるのは、
弱さが彼にとってそれだけ重要であるからだ。
「もし誰かが『くりごと』の必要なこととその機能について
はっきり知っていたとすれば、それはカフカであった」(カネッティ G)
カフカは自分の弱さを気にして、
「肥満した人間に対するほとんど迷信的な……尊敬」(同前)を持ち、
まともな生活力のある人間にあこがれていた。
しかし同時に、自分の弱さを大切にしていた。
その弱さ=敏感さゆえに、
より現実をとらえることができるからだ。
小説家にとっては何よりも重要なことである。
「彼の高ぶった敏感さにとっては、
ある人間が他の人間に及ぼす作用の一つ一つが苦悩であった……
一見ごく平凡な事態にあっても彼は、
他の人たちがその破壊の仕業によって初めて経験できることを経験したのである」(同前)
先に引用した「ぼくは……人間的弱みしかもっていない」のつづきはこうなっている。
「この弱みによって——もっともこういう観点からするとじつは巨大な力なのだが」(八つ折り判ノート第4冊 A)
「こういう観点」というのは、「現実把握」ということだ。
カフカは弱さの力を十分に自覚していたのである。
だから、弱さを本当になくせるとなったら、拒否していただろう。