たったひとりで本を作っておられる出版社があります。
夏葉社
「何度も、読み返される本を。」
とホームページにもありますが、
非常に良質な本を、
それにふさわしい装幀で、
1冊ずつ丁寧に作っておられます。
私は最初にここの本を見たとき、
その装幀にびっくりして飛び上がって、
すっかりとりこになりました。
しかも、ただ出すだけでなく、
ちゃんと売っておられます。
こういう本を喜ぶ人の手元に届くように、
営業活動を頑張っておられます。
私はとても尊敬していて、
出された本はすべて持っています。
といっても、まだ4冊ですが。
最新刊が、この『さよならのあとで』
さよならのあとで/ヘンリー・スコット・ホランド

¥1,365
Amazon.co.jp
この本には、
たった一編の詩しか入っていません。
どれだけ長い詩なのかと思うかもしれせんが、
そうではなく、
へたすれば1ページにおさまるくらいの長さの詩です。
しかも、ネット検索すれば、すぐに出てくる詩です。
それで1冊の本を作る。
手にとって、
ゆっくり読んでみて、
「ああ、これが本を作るということだなぁ」と
しみじみ思いました。
見開きに1行か2行、
多くても3行くらいの文字しか入っていません。
つまり、1ページ以上の余白があります。
この余白はムダでしょうか?
いえ、まさに「無用の用」で、
文章をしっかり味わうには、
余白というのは、とても大切です。
となりにすぐに次の文があれば、
どうしても目はすぐにそちらに進んでしまいます。
しかし、見開きに一行しかなければ、
それだけを見つめます。
味わいます。
いろいろ考えます。
あれこれ思い出します。
余白は、読者が味わいを深め、
それぞれの思いをひろげるために必要なのです。
そして、ページをめくる。
これがリズムとなります。
ですから、詩をどこで区切るかというのも、
とても大切なことになってきます。
こういう本を作ると、
すぐに、
「ぎっと詰めれば、数ページになるのに、
水増しだ。1冊分の値段をとるのか高い」
というような批判をする人がいます。
しかし、ビニール袋ひとつでいくらという、
特売の野菜を詰めているのとはちがいます。
たくさん詰めるほどお得というものではありません。
先にも書いたように、
ネット検索すればすぐに出てくるので、
そうやって1画面に全文掲載されているものと、
この本とを比べてみていただきたいと思います。
まるで味わいがちがいます。
それこそ、別のものと言っていいほどに。
これこそが、本を作るということでしょう。
この詩に対する、
作り手の愛情が伝わってきます。
そして、こういう本こそ、
手元に置いておいて、
何度も読み返したい本です。
本であることの意味が、とてもあります。
テキスト化して、
データで持っていても、
それは別物です。
最近、速読とか、
さっさと読んで、この本は終了というような、
本を「情報」「データ」を仕入れるものとして見る向きが強くなっていますが、
もちろん、そういう本もありますが、
本というのは、
その中身を受け取るだけのものではなく、
読みながら、自分でいろいろ考えたり、
思い出したり、思いついたり、
別の世界に入っていったり、
自分がゆっくりと変化していったりするものだと思います。
そのためには、それなりの時間が必要です。
余白が、ページをめくることが、再読することが必要です。
書いてあることを頭の中に入れただけで終わりでは、
じつは読書の醍醐味の、半分にも達していないと思います。
自分で作り出す肝心な半分が抜け落ちてしまいます。
一気にこの詩を読んだとき、
頭の中に入るのはこの詩だけでしょう。
でも、この本でこの詩を読んだとき、
この詩はそれぞれの読み手の体験によって、
大きくふくらんで、彩られているはずです。
読書体験自体が、ひとつの大切な想い出となり、
本が大切な想い出の品となる、
そういう本を作りたいものですが、
この本は、まさにそういう本だと思います。
ここで自分の本の話をするのは、
ちょっと気がひけますが、
『絶望名人』も、
じつは一見開きに、カフカの言葉はひとつずつしか入っていません。
短い場合には、一行のこともあります。
でも、これは一見開きに一つにしたかったのです。
カフカは短い言葉の中で、
とても深いことを言っています。
それを一つずつ充分に味わってから、
ようやくページをめくっていただきたいという思いからです。
もちろん、これはケース・バイ・ケースで、
たくさんの言葉をどんどん読んでいくことで、
それらが響き合い、大きなひとつの衝撃を導き出すこともあります。
そういう場合には、どんどん詰めたほうがいいでしょう。
必ず余白が必要ということではなく、
それぞれの作家、
それぞれの作品にふさわしい本作りがあるということで、
それをきちんとやっている本は、
なんとも感動的なものだと、
この『さよならのあとで』を読んで思った次第です。
こういう本はなかなか作れないのではないかと思います。
ひとり出版社ならではなのかもしれません。
夏葉社さんには、これからも期待しています。