マイケル星の緩慢な日々
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じえんど

ここのブログに書こうか書くまいか色々考えてしまうので


それならいっそリニューアルしてやろうと思い、


新たなブログを開設しました。


これで更新が増えるのかは謎ですがw


6年弱続いてきたこのブログも、一旦終了です。事務的に!


事実上は何度も終了してますがw


新しいブログのURLです↓


http://ameblo.jp/keenu-ma/


あなたの気が向いたなら、私が更新する気になったなら、またお会いしましょう。



ピグも最近めっきりしておりません。


もしピグをまたし始めるならIDはこちらのままかと思います。

更新モラトリアム



マイケル星の緩慢な日々-ドチラヘ?




更新怠慢している間にいろいろありまして。




犬を飼いまして、マリンが亡くなりまして。




それぞれ書こうと思ったのですが色々細々事情がありますわーね。




書ければ追々書こうかな。






学校が12月で終わり、1月からは高3生は受験戦争へ突入。




前に書いたとおり兵役を脱した私はまた一人で旅にでます。




行き先はインド!期間は1月10~25の2週間!




往路:関西→香港→ムンバイ


復路:デリー→香港→関西




旅費や細かな行き先は全然決まってませんが、




とりあえずムンバイ-デリー間の移動を挟んでみた。ミッション。




地球の歩き方片手にわくわくしっぱなしです♪




旅先で更新頻度が急激に上がるのは前回立証済み、




今回もポケットWiFiとノートPC携えるので現地更新にご期待ください!




向こうでPCとかパクられたらどうしようwネカフェに通うかな。

障害者が障害者であるとき


マイケル星の緩慢な日々-ナツカシノデンショク

障害者の苦悩についてはあえて書くまでもないし、それなりに察することができると思う。


今回書きたいのは障害者にしか理解できない感覚、感性について。


例えば、知り合いの全盲のプロの箏奏者は、普段は介護がなければ生活できない。


しかしひとたび箏の前に座ると、とても見事で正確な演奏をし、


尚且つ同じく並んで演奏する多くの演奏者の一人の音の微妙な違いを指摘できる。


彼は視覚障害者だが、それを補うように聴覚や音楽センスは健常者の比ではない。


このとき、箏を演奏しているとき、はたして彼は障害者なのか?


もうひとつ例をあげるならば「アスペルガー症候群」と呼ばれる発達障害。


彼らは度合いにもよるがコミュニケーション能力が低いが、


ある分野(数学やコンピュータ)において高いレベルの能力を持つ。


彼ら特有の能力は高く評価されるが、社会的能力の欠如から発達障害と診断される。


はたして彼らはほんとうに「障害」または「症候群」なのか?



平均的な能力値で全員の足並みが揃っていることを良しとする社会の中にいるとき、


彼らは「障害者」なのではないかと思う。


突出した能力がある反面他の能力が欠如していると障害者となってしまう。


得手不得手の延長線上のような感覚で見ると、


彼らの「障害」も「個性」と見られるのではないか?


数学が苦手な人がいるように、対人コミュニケーション能力が乏しい人がいる。


メガネをかける人がいるように、補聴器を着ける人がいる。


ただの私の理想論かもしれないがどう思われるだろうか。



それと学校の社会科や道徳の授業でもこの手の議論をもっとすべきだと思う。


形式的な、正しい答えの用意された道徳よりずっと興味深い。


「個性だ」と思うのも意見、「やはり障害だ」と思うのもまた意見。


私には答えは分からない。かなり難しいテーマだし、答えがあるのかも分からない。


しかしこのテーマを遠ざけるのでなく、考えることに意味があると思う。

後知恵バイアス


マイケル星の緩慢な日々-アイランドのミルクとシロップ


近頃地震が各地で頻発している。


「起こると思っていた!」と、自分に予知能力があるのではないかと期待したかもしれない。


しかしその予知能力かもしれない思いつきは心理学で説明がついてしまう。


物事が起きてからそれが予測可能だったと考える傾向を「後知恵バイアス」という。


事件が起こったあとに書かれた予言や、「だから言ったのに~」などはおおかたこれである。


このような推論は実際の真偽が確認できないのに納得してしまうので注意が必要。


例えば、今回の原発事故で原子力専門家が情報バラエティーに出演し、


「こうしていれば事故は起きなかった。この設備では起きて当然。」と持論を展開したとする。


この専門家の持論は検証しようがない。しかし視聴者は納得してしまう。


自分の想像のみで推論し、納得できるのでとても都合がいい。


思慮の深い人はひっかからずに疑えるが。


このように後知恵バイアスは生活のありとあらゆるケースに頻発する。


これが個人単位の後悔で起こる場合はいいのだが、


事故や犯罪の原因分析に使われると、誤りであるのに納得してしまう可能性が高い。


しかも自分の想像の中での推論なので、想定外の事象になるとより誤りである可能性は高まる。


「後知恵バイアス」に騙されないためには、常に実際どうなのかに留意しておく必要がある。

シュレディンガーの猫 応用


マイケル星の緩慢な日々-JR峠駅舎

前回書いた「シュレディンガーの猫」は何も量子論だけの話ではない。


もっと身近にもシュレディンガーの猫は応用できる。


例えば、あなたがSNSで知り合った人たちと初めてオフ会で顔合わせする。


相手はどんな人だろう。女性なら美人だろうかそれとも醜いだろうか。


あなたはそう思案するとする。


相手もあなたと同じようにあなたがどんな容姿か思案しているとする。


ここで仮に世の中にいる人の容姿を上、中、下で1/3ずつの割合で分けるとすると、


あなたが思うあいての容姿と相手が思うあなたの容姿は「シュレディンガーの猫」の考え方でいうと


「上であり中であり下である」となる。


つまり、「自分の容姿が上である」でも間違いではない。


会って相手に観測された瞬間に無効になるけれども。


これは、性別を知らなければ性別でも、年齢を知らなければ年齢でもできる。


このように、量子論でもなんでも自分の都合のいいように解釈していいと思う。


だからなんだと言えばなんでもないけれどw

シュレディンガーの猫


マイケル星の緩慢な日々-ANAボンバルディア

とても神秘的で興味深い実験をご紹介。


「シュレディンガーの猫」、聞いたことはあるかもしれない量子論の大難題。


しかしこの実験は決して真似しないように。というよりできない。



まず、中身の見えない密閉できる箱を用意する。


そしてその中に放射性物質のラジウムを一定量と、放射線を検出するガイガーカウンター、


青酸カリの入った瓶、1匹の猫を入れる。


青酸カリの瓶は密閉してあり、ラジウムから放たれた放射線をガイガーカウンターが検出すると


青酸カリの瓶は割られ、箱の中に青酸ガスが充満し、猫は死ぬという仕組みである。


なぜ数ある毒物の中青酸系を使うのかはどこにも書かれていなかったが、


私が推測するに、死ぬと生物の瞳孔は基本的には開いていくが、


青酸によって死んだ生物の瞳孔は狭まっていくという特徴があるので、


その猫の死因がこの実験で発生した青酸ガスによるものだと断定できるからではないかと思う。


もしこの実験で猫が青酸ガス以外、例えば窒息死や装置に直接触れて死んだとすれば、


この実験は失敗であり、それと容易に区別するためではないかと思う。



ラジウムが放射線を出すかどうかは、量子論では確立でしかいえないので、


今、このラジウムが1時間に1回放射線を出す確立が50%だとする。


箱の中に猫を入れ密閉し1時間経つと、箱の中の猫はどうなっているだろう。


箱を開けて観測すればすぐに生死は判別できる。


しかし問題は箱を開ける前、つまり観測される前の猫の状態である。


「猫は生きているかもしれないし、死んでるかもしれないがどちらか一方」


これが一般的であると思うが、量子論では


「猫は50%生きていて、50%死んでいる」と考える。


つまり、「箱の中の猫は生と死の両方を兼ね備えた状態」と考える。


量子論はこんな不可解な考え方なのです。


しかし、この過程でどこに矛盾があるのかを解明できた人間はまだ現れていない。



世の中にはまだまだ人智の及ばない未知の領域がたくさんある。


この神秘に惹かれる。

親の意向からの開放


マイケル星の緩慢な日々-仙台タクシーステイション

長年抱いてきた疑問「子どもは何歳で親の意向から開放されるのか。」を今日は考えた。


これは自分の境遇がどうとかそういうことではなく、あくまで第三者的立場からの疑問。


子どもが親の意思決定に従わなくてよくなるのは何歳からなのか。


義務教育を終え、労働が可能になり、進路を選ぶ15歳から?


高等学校を卒業し、就職か進学かを選ぶ18歳から?


成人し、選挙権を得る20歳から?


各種大学もしくは専門学校を卒業し、多くの人が働き始めてから?



両親やツイッターでお世話になっている方の回答を参考にしてみても、


やはり一律とはいかない。そりゃそうw


どの年齢かは各家庭それぞれの考え方次第というのが答えとした。



ではもっと深刻に極端に、生死に関わる意思決定はどうだろう。


例えば「エホバの証人の輸血拒否事件」の場合。


交通事故で10歳の少年が緊急搬送され、早急な輸血と手術が必要であった。


少年は生きたいと訴えたが、両親は宗教上の理由から輸血を拒否した。


医師は輸血できず、少年は亡くなった。


この場合、治療することで命を守る医師の使命を全うすべきだったのか。


はたまた、信仰の自由に基づき親の意思を尊重すべきだったのか。


法律家ではないので善悪判断することはできないが、難しい問題。


変わって母子心中事件の場合。


10歳の少年と母親が死体で見つかった。


傍らには母親の遺書と少年の遺書があった。


少年の遺書には「お母さんと行きます」と書かれてあった。


この場合、この遺書は本当に少年の意思で書かれたものなのか。


少年の意思で書いたとするならば心中となるが、


母親が少年に書かせたとするならば打って変わって他殺、無理心中となる。


遺書は法律的な年齢制限は無いので10歳の少年が書いても認められる。



このように親の意向が子どもの生死に関わる事例も間々ある。


ちなみに遺書ではなく遺言書であれば満15歳からは一部例外を除き親の意向を退けられる。


なので遺言書の場合の親の意向に従わなくてよくなる年齢は15歳から。

一人福島旅二日目下


マイケル星の緩慢な日々-ふくしま「こらんしょ横丁」


夜は福島に住んでらっしゃるツイッターの友達に案内してもらい、ふくしま「こらんしょ横丁」へ!


円都という屋台で焼き鳥をつつきながら色々な方と話してました。


かなりディープ福島でしたとだけ…w書けないw


ツイッターやっててよかったと思う瞬間です。

一人福島旅二日目上


マイケル星の緩慢な日々-激熱足湯の出会い

今朝仙台のユースホステルで家庭的な朝食をとり福島へ向かうため仙台駅へ。


在来線で行くつもりでしたが、予定の電車に乗り遅れ、高速バスで福島へ向かった。


鷲倉温泉へ行くことにしたので、福島駅で情報収集することに。


最初に私が話しかけた男性は耳が不自由でしたが、


鷲倉温泉行きバス乗り場を教えようとしてくれました。少し筆談で情報収集。


次に話しかけたのは通りがかったご婦人。親切にバスの運転手まで訊きに行ってくれた。


集めた情報によると鷲倉温泉行きのバスまでまだ2時間あるらしい。


昨日と違って昼ごはんもちゃんと食べられそうなので、


駅併設のショッピングモールで福島ならではのランチを探すことにした。


最初に見つけたのは果物屋さん。ここでお土産に豊水を送ることに。


福島の果物について訊いてみると旬の果物について詳しく教えていただいた。


みかんを2つおまけしてもらったしw


福島といえば桃、桃が食べたかったので1つ買い、相談してみると


ホテルに行く時間まで冷蔵庫で冷やしていただけるそうな!ありがたい!


果物屋さんに礼を言ってベンチに座ってノートPCで福島グルメを調べている間、


隣に座っておられたおばあちゃんとおしゃべりした。


仲良くなって鷲倉温泉まで一緒に行きそうな勢いw


調べていると、どうも福島駅には限定の駅弁があるらしい。


早速構内の観光案内所で訊いてみると、新幹線の改札の中にあるらしい。


新幹線に乗らないけど改札に入らねば。駅員さんに頼んでみるとすんなり快諾していただいた!


お目当ての「伊達鶏ゆず味噌焼き弁当」を買って鷲倉温泉行きのバスに乗車。


駅弁を食べながら1時間強、


かなり山を登って着いたのが福島県一標高の高い温泉、標高1230mに位置する秘湯!


意気揚々とフロントでお金を払ったとき、衝撃の事実を知らされた!


自分が乗ってきたバスが今日の最終便ww


しかたなくタクシーで土湯温泉街まで下りる予約をしていざ入浴!


ここには2種類の温泉があり、白濁色の硫黄の温泉と赤い半透明の鉄の温泉、どちらも露天風呂。


独特のにおいのする露天風呂はどちらも貸切状態で、大満足でした。


帰りのタクシーはこれも何かの縁と、景色と会話を楽しむことに。


晴れていたから福島を一望できる絶景を写真に収められたし、


紅葉の季節はもっともっと綺麗であることなどいろいろおしゃべりできた。


土湯温泉街ではバスの時間まで1時間、足湯めぐりをすることに。


最初に入った一番近くの足湯、想像を絶する熱さ!痛い!


足湯に足を付けず座っていると、若いカップルが入ってこられた。


福島県民の二人も驚く熱さw話に花が咲き、他の足湯を回らず、


バスの時間までずっと喋ってた。写真は三人で我慢して撮った一枚w


帰りのバスが無かったのも何か不思議な縁を感じた。


濃厚な思い出を温泉で作って、冷やしていただいた桃を受け取り、


今は駅前のビジネスホテルなう。

一人仙台旅初日下


マイケル星の緩慢な日々-利久の牛タン

夕食はツイッターのフォロワーさんおすすめの牛タン屋


「利久」で食べることに。


込んでたけどすぐ入れるのがお一人様の強みw


牛タンには漬物と麦飯とテールスープが付くのが一般的らしいけど、


ここではタンシチューも付いててお得!追加でタン刺も頼むことに。


カウンターの目の前で店の大将が炭火で焼いてくれるのにカメラを向けると、


タンを持ってポーズを極める気さくさw店員さんもみんな気さく!


そうこうしていると出てくる出てくる机いっぱい!


しっかりした歯ごたえで炭火の香り、こんな分厚い牛タン初めて!


地元の焼肉屋で頼むタン塩とかあほらしわww


わさび醤油で食べるタン刺もしっかりしててかなり美味!生のタンも初めて!


大満足でお腹いっぱい!



腹ごなしに仙台駅周辺を散策。思ってたよりも仙台は大都会。


大きい街路樹がたくさんあって、街並みもきれい。


なんといっても仙台の方々は見る限り元気!


一日で仙台が大好きになりました。

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