歌舞伎の本格的な世代交代への期待 ② 中村屋兄弟 | ふうせんのブログ

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小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

前回のブログからだいぶ日にちが経ってしまいましたが、
團十郎襲名披露から、歌舞伎の本格的な世代交代への期待①の続きです。
タイトルが長いと、②が分かりづらいので、短くしました。
①の終わりに書いた通り「この後、2月の中村屋兄弟の舞台から今後への期待」について書きたいと思っています。、

というわけで、前回同様に、中川右介が2月の歌舞伎紹介で書いた、中村屋について、

「歌舞伎座では18代目中村勘三郎の十三回忌追善。孫の勘太郎は身長も大人の俳優と変わらない高さ。舞踊も立派。もう子役ではない。勘九郎と長三郎の『連獅子』での、長三郎が登場したときの拍手の大きさは、まさに「歌舞伎座が揺れた」感じ。それに応えてしっかり演じていた。18代目の部屋子だった中村鶴松が『新版歌祭文・野崎村』でお光に大抜擢されているのも注目」。
「圧巻は勘九郎と七之助の『籠釣瓶花街酔醒』。父.18代目と玉三郎の舞台がいまも忘れられないファンが多いはずだが、その重圧のなか、継ぐべきものは継ぎ、新たな解釈も加えている。ラストは、18代目よりも凄みがあり、その狂気には拍手を忘れるほどだ」と。
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十八代目勘三郎の「役者魂と心」が

しっかり伝わる兄弟の藝!!

中村勘九郎と七之助の『籠釣瓶花街酔醒』は、私も前々回のブログに書きました。
その一部を再度コピーしますと、
「勘九郎42歳、七之助40歳、初役で勤める『籠釣瓶』。
これほど火花散る渾身の舞台は、今後観られないかもしれない。
勘九郎の次郎左衛門はお大尽には見えないが、だからこそ、
絹商人仲間や大勢の花魁や廓の人々の中で愛想つかしされて、
「面子」や「プライド」が傷つけられた哀れさは、微塵もない。
この次郎左衛門にあるのは、八ツ橋を実直に愛した、その心が踏みにじられた哀しさだけだ。
八ツ橋を一刀のもとに斬り殺す場面。
その直前までは、穏やかに廓の人々と言葉を交わし、八ツ橋とも盃に酒をそそぐ、そこまでは情深く接していたのだが……。
次郎左衛門は一瞬にして亡霊のように激しい形相を呈し……、
アッと思う間もなく、籠釣瓶が振り下ろされる!!
そう、平常心では斬り殺せないほど、八ツ橋を愛していたのだ。…」

2月歌舞伎座は【十八世中村勘三郎十三回忌追善】と銘打たれての 興行でした。

十八世中村勘三郎が亡くなったのは、2012年12月5日ですから、

10か月も早い十三回忌ですね。
2012年の2月はまだお元気で、歌舞伎座は改築中でしたから、

新橋演舞場で【中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露 二月大歌舞伎】の真っ最中。
勘三郎は【御存 鈴ヶ森(すずがもり)】で、あの素晴らしい白井権八を演じていたのですから…。なにか、複雑な心境です。

その十八代目中村勘三郎の『籠釣瓶』で決して忘れられないのは、平成22年(2010年)の2月、〈歌舞伎座さよなら公演〉中の舞台。この時は【十七代目中村勘三郎二十三回忌追善】でした。

そのころは、私はまだブログをやっていなかったので、詳しいことは書けないのですが、
2014年11月のブログにこういうことを書いてました。

―――――引用
佐野次郎左衛門が勘三郎、八ツ橋が玉三郎、繁山栄之丞が仁左衛門。華やかで、やがて悲しさに包まれる、決して忘れることのできない舞台。
『演劇界』12月号で、玉三郎さんが語っている話。
≪勘三郎さんは、次郎左衛門が八つ橋に心底惚れていたという設定で芝居をしていらした。だから、
「仕返しには行けないんだよ」と。「殺すことで自分のものにするっていう思いでやっていいですか?」と言うので、
「私もそういうつもりで八つ橋をやるわね」と答えました。

――――――――引用終わり

この時の舞台は、勘九郎(当時は勘太郎)も七之助も当然観ていました。だからといって、当時の勘三郎や坂東玉三郎そっくりに佐野次郎左衛門と八ツ橋を再現することは不可能ですし、勘三郎も玉三郎もそれを望んではいません。
でも、今年2月の『籠釣瓶』は、ほんとに素晴らしかった。勘三郎の魂と心が生きていた。

上記の2014年11月の私のブログの前のブログも、よろしく

勘三郎の三回忌を迎えて、『演劇界』2014年12月号の

【勘三郎特集】を紹介したものです。
ですから、私のブログではなく、雑誌『演劇界』2014年12月号の

【勘三郎特集】そのものを観ていただきたい。
まず、〈巻頭大特集 十八代目中村勘三郎。篠山紀信・撮影による【当り役撰】〉この写真が素晴らしい!!
【忘れえぬ舞台】
〈片岡仁左衛門さんの言葉〉
〈坂東玉三郎さんの言葉〉
これが素晴らしいの。もちろん十八代目中村勘三郎について書かれたものです。
『演劇界』そのものを入手するのが無理なら、私の拙いブログだけでも見てください。

そのブログで紹介している豆薫さんの2014年11月13日ブログに、
産経新聞 関西版 夕刊の記事、亀岡典子さんによる仁左衛門へのインタビューが紹介されてました。
――――仁左衛門へのインタビュー ―部引用
「僕が、勘三郎さんが心血を注いだ平成中村座に初めて出演したのが、平成20年10月の"仮名手本忠臣蔵"だった。
とても印象深い公演だったが、その忠臣蔵を、今度は勘九郎くん、七之助くんとともにやれる。
哲には「安心しろよ」と言ってあげたい」
「勘九郎くん、七之助くんはやんちゃな頃からよく知っているから自分の子供みたいに感じるときがある」
「彼らには父親の役者魂を受け継いでほしい。それから心で芝居をするということ。基本だけど一番大切なことです」

――――――引用おわり。
ここで言われている「父親の役者魂」、「心で芝居をするということ」、そのことは、勘九郎も七之助も自然体で身についていると、わたしには思われます。
勘三郎さんが亡くなられたことはとても残念でしたけれど、逆に【亡くなられたからこそ伝わる「魂」や「心」】ということもあると思います。
あれから満12年経って、今年2024年2月の舞台を観ながら、〈勘三郎の役者魂と心がつたわっている〉と、しみじみ思いました。
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年末の南座顔見世で、仁左衛門・監修

中村屋と東西歌舞伎役者による
【十八代目勘三郎を偲んで『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』】を期待!!


上記で仁左衛門のインタビューで語られた、2008年の平成中村座の『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』、私も観に行きました。素晴らしかった。

 

2014年11月12月の南座顔見世では、
 〈十八世中村勘三郎を偲んで〉の角書で『仮名手本忠臣蔵 七段目 祇園一力茶屋の場』が上演されて、仁左衛門の大星由良之助、勘九郎の寺岡平右衛門、七之助の遊女お軽だったのです。


勘三郎さん三回忌に際しての、仁左衛門へのインタビューだったんですね。
ここまで書いて、ふと思ったことは、
〈十八世中村勘三郎を偲んで〉、年末の南座顔見世では中村屋兄弟と仁左衛門中心に、東西歌舞伎役者が揃っての『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』】を演じてほしい!!


話が違うかもしれないけれど、
2023年の歌舞伎座は1月から12月まで〈歌舞伎座新開場十周年〉と銘打たれた興行でしたが、
その中で『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』や『通し狂言 義経千本桜』が上演されませんでした。

私の歌舞伎興行の、大切な思い出は、
2009年から2010年4月までの〈歌舞伎座さよなら公演〉の中で、
10月夜の部に『通し狂言 義経千本桜』(渡海屋、大物浦、吉野山、川連法眼館のみ)
11月は昼・夜通して『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』が上演されました。
2013年の4月からの〈歌舞伎座新開場柿葺落〉の中で、
10月は昼・夜通して『通し狂言 義経千本桜』、
11月と12月は両月ともに昼・夜通して『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』が上演されました。
11月は大幹部が中心の配役、12月は若手が中心の配役でした。

『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』と『通し狂言 義経千本桜』は、古典歌舞伎の代表演目ですから、〈さよなら公演〉でも〈新開場柿葺落〉でも上演されたのだと思います。
それが〈歌舞伎座新開場十周年〉で上演されないことに不満を感じていました。

勘三郎さんが亡くなった2012年12月は、勘九郎と七之助は南座で〈六代目中村勘九郎襲名披露〉の吉例顔見世興行に臨んでいました。

父・勘三郎の逝去を告げる勘九郎の舞台口上は立派で、千穐楽まで休むことなく舞台を勤めおおせたことは、歌舞伎ファンならいつまでも忘れられないことです。
合わせて、この〈六代目中村勘九郎襲名披露〉の南座の舞台が、先代團十郎さん最期の舞台でした。
『梶原平三誉石切』の梶原平三と、新・勘九郎と共演した『新歌舞伎十八番の内 船弁慶』の弁慶でした。

そんなことを想い出すにつれ、本当の十三回忌を迎える12月は、南座で『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』をやって欲しいと、願わざるを得ません。
仁左衛門さんがお元気なうちに、仁左衛門&玉三郎・監修で、

2008年の平成中村座の『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』を再現した舞台になるといいなー!!
もちろん役者は、中村屋兄弟を中心とした世代交代の布陣ですよね。

なんて、勝手な想像して、期待して……、ブログは楽しい!!

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『通し狂言 義経千本櫻』の狐忠信、いがみの権太、碇知盛  三役通しへの期待!!

 

さて、3月の中村屋は
東海テレビ開局65周年企画 十八世中村勘三郎十三回忌追善
名古屋平成中村座 同朋高校公演

愉しい演目が並んでますね。
中でも私が注目するのは、『義経千本桜』〈川連法眼館〉で、勘九郎が佐藤忠信/忠信実は源九郎狐を演じること。
この狐忠信は勘九郎に向いている役だし、『通し狂言 義経千本櫻』の狐忠信、いがみの権太、碇知盛、この三役を一人で通して演じることは、立ち役の卒業論文と言われているので、やっぱり勘九郎にもぜひ挑戦してほしいです。
勘太郎時代にすでに演じている可能性はあるけれど、

勘九郎の公演歴を調べると、
2019年4月の【四国こんぴら歌舞伎大芝居】では

〈すし屋〉のいがみの権太。
2018年10月の歌舞伎座【芸術祭十月大歌舞伎】では

〈吉野山〉の狐忠信。
2023年11月の【平成中村座 小倉城公演】では、

〈渡海屋・大物浦〉の碇知盛。
ですから、「通し狂言」で演じる日は近い、と期待しましょう。

まだ『助六」のことなども期待したいし……
今回は七之助のことが書けなかったので、後日別稿で書くとして、
今夜はここでブログアップします。


※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください。