團十郎襲名披露から、歌舞伎の本格的な世代交代への期待① | ふうせんのブログ

ふうせんのブログ

小林蕗子のブログです。2013年5月に始めたときはプロフィールに本名を明示していましたが、消えてしまいましたので、ここに表示します。。
主に歌舞伎や本のことなどを、自分のメモ的に発信したいなあって思っています。よろしく!!

毎日、時の経つのが早く感じられます。
ブログに書きたいことはいろいろあるのですが、あっという間に2月も終わり、
3月弥生の月になりました。

まだ3月なのに、歌舞伎座5月團菊祭の演目が発表になりましたね。

どの演目も、納得のとても良い組み合わせ!!
團十郎襲名披露が、秋の巡業、10月の大阪を残すのみになる中で、いよいよ世代交代が現実となりました。
このことを書きたいのですが、それは後日にします。
――――――――――――――――
といいますのは、すでに書き溜めたものがありますので、そこからいきます。

我が家の中川右介が日刊ゲンダイに書いた2月の歌舞伎評は
【『連獅子』で長三郎が登場したときの拍手の大きさは「歌舞伎座が揺れた」と感じたほど】(中川右介)
2/20(火) 9:06配信 日刊ゲンダイ

 

今年の2月中川は、歌舞伎座、名古屋御園座、大阪松竹座に行きました。この原稿の出だしは、
「2月は4都市・5劇場で歌舞伎公演。まず名古屋・御園座では13代目市川團十郎襲名披露公演。尾上菊之助が『勧進帳』で富樫を演じているので行ってみた。」ということで、
「團十郎の弁慶の出来は、相手役の富樫によって決まると言っていい。菊之助のときが一番、團十郎が燃えることを再確認。同年生まれで名門家の御曹司で少年時代は共演も多かった2人だが、仲がいいのか悪いのか分からない。その緊張感が、富樫が攻め、弁慶が跳ね返し、富樫が弁慶の思いを受け止める筋とシンクロし、鬼気迫る白熱の舞台を生む。完全燃焼した達成感だろう、最後の花道での團十郎の眼は、潤んでいるのか光っていた。」と、続く。


ところが、日刊ゲンダイの編集者は中村屋贔屓なのかな「『連獅子』で長三郎が…」を見出しにしたようです。
まあ、日刊ゲンダイだけでなく、総じてマスコミは成田屋嫌いが多いようですから、しかたないですね。
そのことについてはいずれ私のブログで書きたいと思っています。

さて、その菊之助、3月歌舞伎座で『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の〈寺子屋〉で、立役の松王丸。たぶん初役ですよね。これは凄い!

武部源蔵は、片岡愛之助。松王丸女房・千代が中村梅枝。

源蔵女房・戸浪が坂東新悟。
良い配役ですね。
菊之助の舞台で、一番印象強く残っているのは、2010年5月大阪松竹座での團菊祭で、『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』〈合邦庵室の場〉の玉手御前の初演。ものすごく迫力のあるラストシーンでした。菊之助32歳。
その時私の頭に浮かんだのは、〈この迫力なら、『義経千本櫻』の「いがみの権太」ができる〉ということでした。
その後菊之助は国立劇場で『通し狂言 義経千本櫻』、狐忠信、いがみの権太、碇知盛の三役を演じています。

直近では、2022年10月の国立劇場。

これは観に行ってないのですが、この三役は立役の卒論と言われるものですから、立役に向かう菊之助の本気度が伝わりますね。


同世代でこの三役に挑戦したのは、團十郎の海老蔵時代、2010年9月南座

坂東玉三郎が静御前で付き合ってくださって、忘れられない舞台でした。

菊之助は、4月、5月と、歌舞伎座が続きます。

3月歌舞伎座、夜の部は『通し狂言 伊勢音頭恋寝刃』

松本幸四郎の福岡貢、菊之助の今田万次郎、愛之助の料理人喜助、等々。

この三人に、尾上松緑が、今後の歌舞伎座の中心になるのかな?

その中で、團十郎はどう位置付けられるのか?

――――――――――――――――――
よく言われることですが「当代團十郎は、海老蔵のころから歌舞伎座にあまり出ないけど、もっと歌舞伎座で観たい」と。
歌舞伎座は基本的に年功序列の秩序で配役が決まりますから、30歳代では主役級の役は演れなかったのです。
歌舞伎座でもたまに「花形歌舞伎」がありますが、その場合でも年長の市川染五郎(現・松本幸四郎)が立役で、立女方は尾上菊之助って、だいたい決まっていたのです。
けれども、30歳までに舞台の真ん中で演じる経験を積んでないと、主役を張る舞台役者として成就しません。
そこで、團十郎の海老蔵時代は、新橋演舞場ほか南座などの地方劇場で、主役としての研鑽を積んでいたのです。
その結果、團十郎の持ち役は「歌舞伎十八番」それぞれの主役はもとより、『通し狂言 義経千本櫻』の狐忠信、いがみの権太、碇知盛、

『源平布引滝』の木曽義賢、斎藤実盛、『源氏物語』の光源氏……等々。
同世代の役者の中では、確固たる存在感を示しています。

中村屋についても、十八代目中村勘三郎は8月の納涼歌舞伎、コクーン歌舞伎、平成中村座という場を作って、主役を張れる舞台役者としての研鑽を積んでいきました。その遺産を勘九郎と七之助が継承し続けているのですね。
その結果として、
【十八世中村勘三郎十三回忌追善】と銘打たれた2月の歌舞伎座を立派に華やかに盛り上げることができたのです。
「勘三郎」と言えば「笑える歌舞伎」を連想する人か多いようですが、そうじゃないんです。古典の基本を修得したからこそ、新作を成功させることができたのです。
そのことが勘九郎と七之助に伝承されているからこそ、2月歌舞伎座は大成功だったのです。
―――――――――――――――――
ということで、ここでブログアップします。
この後、2月の中村屋兄弟の舞台から今後への期待、
2月の大阪松竹座の中村壱太郎、尾上右近の舞台から、さらに3月南座の中村隼人を加えての、今後への期待など、

尾上松也についても書き加えたいな。


これらのブログの後に、5月團菊祭、さらには秋の團十郎襲名披露への期待へと、ブログを続けたいと思っています。

※ なお、敬称についてですが、プロの芸術家や文筆家の方は広い意味での公人ですので、舞台そのものや作品について記す時は、私は敬称を付けません。昔からの慣例です。プライベートな内容と思われる時は「さん」の敬称を付けます。よろしくご了承ください。