本米大リーグのヤンキースと再契約せず、退任が決まったジョー・トーリ監督が19日、当地で会見し、再契約を拒否した理由について「(1年の)契約年数が不満だった。出来高(条項)はわたしへの侮辱だ」と話した。ヤンキースは年俸500万ドル(約5億8000万円)、プレーオフで各ステージに進出するごとに100万ドルの出来高が付く1年契約を提示。2年目の2009年は来季のワールドシリーズ進出が条件だった。
 1時間以上に及んだ会見で、同監督は「重要なのは金額ではない。(球団の)姿勢と信頼だ」と述べた。18日に球団首脳が会議を行っていたフロリダ州タンパに呼ばれたが、話し合いはわずか20分で終了。「条件に関する交渉の余地はなかった」と明かした。 
本クリーブランド・インディアンスは16日、ボストン・レッドソックスとのア・リーグ優勝決定シリーズ第4戦に快勝。10年ぶりのリーグ優勝に王手をかけたが、打者12人を送り込んで一気に7点を先制した5回の猛攻には、エリク・ウェッジ監督も驚きを隠せない様子だった。

 インディアンス打線はこの日、「魔球」ナックルボールを駆使するレッドソックスの先発ティム・ウェークフィールド投手の前に4回までわずか1安打。ウェッジ監督も「(打線が爆発する)予感めいたものはなかったね。(ウェークフィールドは)初回からボールがよく落ちていたし、時おりストレートや変化球も交えていいピッチングをしていた。本当に攻略するのは難しかった」と試合後に語るほどだった。

 しかし5回の先頭打者ケーシー・ブレーク三塁手がレフトへ先制ソロアーチを放つと、流れは一変。結局この回だけで7点を奪い、一気に試合を決めてしまった。「ブレークの一発は大きかったね。あそこで1点入ったことで、一気に乗れたんだ。選手全員が次につなげるよう一生懸命に仕事をしてくれた。あの回の殊勲者は一人じゃない、たくさんいるよ」

 インディアンスは今シリーズで初戦を落としたものの、そこから3連勝。巻き返しの秘密はどこにあるのか、何か変えたのかと問われたウェッジ監督は、「いや、何も変えなかった。強いて言うなら、ピッチャーは少しアグレッシブなピッチングができるようになったと思う。それ以外はこれまでチームとしてやらなければならないことを同じようにやってきただけ」と普段どおりを強調。「選手一人ひとりに、それぞれやらなきゃいけないことがある。試合に勝つにはそれらをきちんと正しくこなすことで、やらなきゃいけないのはそれだけ」と語っていた。
本アリゾナ・ダイヤモンドバックスのボブ・メルビン監督は11日、コロラド・ロッキーズとのナ・リーグ優勝決定シリーズ第1戦を1-5で落とした後、ロッキーズ松井稼頭央二塁手が絡んだ2つのプレーなどを振り返った。

 Dバックスは同点の3回、先発のブランドン・ウェブ投手が松井を詰まらせながらも、レフト前に落ちるタイムリーを打たれて1点を失う。さらにブラッド・ホープ左翼手にも落ちる球をたたかれてライト前への2点タイムリーを許した。メルビン監督は「ホープの一打が痛かった。非常にバットが振れていたね。マツイにもしぶとく運ばれた」と相手チームをたたえるほかなかった。

 また、3点を追う7回無死一、二塁のチャンスではサードゴロの際に二塁へ向かった一塁走者のジャスティン・アップトン外野手が、松井に向かってスライディングしてスローイングを邪魔したとして守備妨害を宣告された。これで打者走者がアウトになり、かつ三塁まで進んだ走者も二塁に戻されたDバックスは、この回満塁の好機を作ったが、1点も挙げられなかった。

 メルビン監督は「(アップトンは)ベースに向かって滑っていた。本人にも聞いてみれば分かるはずだ。(松井が踏もうとした位置と)同じところへ足を出していたがね」と守備妨害の判定に不満を漏らしていた。
本ニューヨーク・ヤンキースのAロッドことアレックス・ロドリゲス三塁手の代理人を務めるスコット・ボラス氏が、Aロッドはヤンキースとの残り3年の契約を破棄してフリーエージェント(FA)となる可能性が高いことを認めた。AP通信が9日付で報じた。

 同通信社によるとボラス氏は、ロドリゲスがひとつの球団で長くプレーすることを望んでいるとの表現で、長期契約が来季以降の所属先を決める必要条件であることを示唆。同通信社は、Aロッドが狙う歴代最多本塁打記録(現時点ではバリー・ボンズの762本)も、交渉の要因となると分析している。

 ロドリゲスは、2001年に10年2億5200万ドル(約295億円)でテキサス・レンジャーズと契約。2004年のヤンキース移籍後もそれが引き継がれたが、今オフにFAとなる権利を有している。

 また同通信社は、Aロッドの新天地候補としてシカゴ・カブス、ロサンゼルス・エンゼルスの2球団の名前を挙げている。
本米経済誌フォーブスが8日に発表した中国の長者番付で、26歳の女性、楊恵妍氏が、資産総額160億ドル(約1兆8800億円)で1位となった。

 楊氏は、父親の楊国強氏が創業した不動産開発会社、碧桂園(2007.HK: 株価 , 企業情報 , レポート )の4月の香港証券取引所上場により、一気に長者番付の首位に躍り出た。 


 中国メディアによると、富を築く前には農業や建設現場で働いていたという父親の楊氏は、2005年に同社の持ち株を娘の楊氏に譲渡したという。


 英字紙のチャイナ・デーリーは、楊恵妍氏が米オハイオ州立大学の卒業生で、お見合いで知り合った中国当局の高官の息子と結婚したとも報じている。


 中国南部の広東省を拠点とする同社は、別荘やマンションなどの建設を手掛けており、父親の楊氏が現在も会長兼最高経営責任者(CEO)、娘の楊氏は取締役を務めている。

本コロラド・ロッキーズの松井稼頭央二塁手は、フィラデルフィア・フィリーズとのナ・リーグ地区シリーズ第3戦に「1番・二塁」で先発出場。5回に左中間を破る先制のタイムリー三塁打を放つなど、3打数2安打、1打点の活躍を見せた。一方、フィリーズの井口資仁二塁手は、7回の勝ち越し機に代打で出場するも凡退。ロッキーズは同点の8回に1点を勝ち越して2-1で勝利。地区シリーズを3連勝で終え、球団史上初のリーグ優勝決定シリーズ進出を決めた。

 第2戦で逆転満塁アーチを含む3安打、5打点と爆発した松井は、初回の第1打席こそセカンドゴロに倒れたが、3回の第2打席ではショートへの内野安打で出塁。そして5回、2死二塁と先制のチャンスで回ってきた第3打席では、フィリーズの先発左腕ジェイミー・モイヤー投手の4球目をとらえ、左中間を破るタイムリースリーベースとした。同点の7回には2死二塁の好機で打席に入ったが、勝負を避けられ、敬遠四球で歩かされた。

 井口は、フィリーズがシェーン・ビクトリーノ右翼手のソロアーチで同点と追いついた7回に、2死二塁のチャンスで打席へ。しかしロッキーズの2番手右腕マット・ハージェス投手に、平凡なショートフライに打ち取られた。なお守備には就かず、そのままベンチに下がった。

 敵地で連勝して地元に戻ったロッキーズは、新人右腕ユバルド・ヒメネス投手が7回に同点弾を浴びたものの、プレーオフ初先発で7回途中まで3安打、1失点と好投。打線も8回に2死一、三塁のチャンスを作ると、代打ジェフ・ベーカーがライトへ決勝タイムリーをはじき返した。
本フィラデルフィア・フィリーズとの地区シリーズ第2戦、4回の逆転満塁ホームランを含む3本の長打と5打点をマークし、コロラド・ロッキーズのシリーズ2勝目に大きく貢献した松井稼頭央二塁手。試合後に報道陣の取材に応じ、大試合での一発を振り返った。

 松井は通訳を介して「昨日はチャンスで打てなかった。だから、とにかくヒットを打とうと心がけて打席に立った」と4回2死満塁の場面での心境についてコメント。代わったばかりのフィリーズ2番手カイル・ローシュ投手に浴びせたライトオーバーのグランドスラムに関しては「打ったのは、内角の速球。打った瞬間、入ると思った」と手ごたえを口にした。

 ロッキーズは、レギュラーシーズン最後の15試合を14勝1敗で終え、12年ぶりのポストシーズンでも2連勝と快進撃が続いている。松井は「このチームは優れたバッターがたくさんいるので、僕や(正遊撃手で2番のトロイ・)トゥロウィッキーが塁に出て、相手を焦らせるよう心掛けている」とチームが好調な理由と自らの役割について話していた。
本ベルギーの首都ブリュッセル市内の公園で、切断された若い白人男性とみられる死体の一部が見つかり、そばに「私はキラです」との日本語がローマ字書きされた2枚のメモ紙が残されていたことが2日、分かった。

 「キラ」は日本の人気マンガ「デスノート」に登場する連続殺人犯の名前で、警察は、作品に触発された猟奇殺人の可能性があるとみて調べている。

 地元警察によると、見つかったのは両足の太ももと胴体の下半身部分。先月28日夕、公園内の遊歩道脇に、むき出しの状態で置かれているのを通行人が発見した。

 メモ紙には、2枚とも手書きで「WATASHI WA KIRA DESU」と書かれ、1枚ずつ異なる色のインクが使われていた。
本米大リーグは1日、プレーオフ最後のいすを争うナ・リーグのワイルドカード(2位の最高勝率)決定戦で、ロッキーズがパドレスに延長13回、9-8で逆転サヨナラ勝ちし、プレーオフ出場8チームが出そろった。ロッキーズは12年ぶり2度目のプレーオフ進出で、松井稼にとっては初めて。3日(日本時間4日)からの地区シリーズ(5回戦制)で井口のフィリーズと対戦する。
 ロッキーズの松井稼は1番二塁でフル出場し、6打数2安打1打点。第1打席の二塁打から先制のホームを踏み、6回には中犠飛。先頭打者で迎えた13回にはサヨナラの口火を切る二塁打を放った。米国4年目のレギュラーシーズンを104試合の出場で、打率2割8分8厘、4本塁打、37打点で終えた。 
本ヤンキースに移籍したルースは投手から外野手に専念する事になります。そしてその年にいきなり「54本塁打」を放つと、1927年には不滅の大記録と言われた「60本塁打」を放ちました。1961年にロジャー・マリスが「61本塁打」を放ち、ルースの記録は塗り替えれ、その後も、マーク・マグワイアバリー・ボンズと更新されました。今となっては当たり前のように毎年50本塁打を打つ選手が現れますが、当時はルース1人が飛びぬけてホームランを量産していました。

 また1919年に「ブラックソックス事件」でメジャーリーグは信用を失い、人気にも陰りが出てきたこの時期に、ルースの豪快なホームランで人気を取り戻し、「メジャーリーグを救った男」と言われるようになりました。

 1923年には新本拠地、ヤンキー・スタジアムが建設され、7万4千人が見守るオープニングゲームでは、ヤンキー・スタジアム第1号ホームランも放ちました。

 この1923年にはヤンキースのチーム史上初のワールドチャンピオンにも大きく貢献しました。

 1930年には年棒8万ドルで契約更改し、当時のアメリカ大統領ハーバート・フーバーよりも稼ぐ男として「大統領よりも稼ぐ男」と話題になりました。

 1933年7月6日、ある少年の「カール・ハッベルとベーブ・ルースの対決が見たい」という一通の手紙から実現したオールスターゲーム。この第1回オールスターゲームで、記念すべき第1号本塁打は、ベーブ・ルースが3回にビル・ハラハンから放った一発でした。くしくもカール・ハッベルは8回から登板しましたが、最終回にベーブ・ルースがベンチに下がったため、両者の対戦を観る事は出来ませんでした。ちなみに翌年の第2回のオールスターゲームではこの夢の対戦が実現し、ハッベルのスクリューボールにベーブ・ルースは手が出ず、見逃し三振に終わりました。

 メジャー22年間で、首位打者1回(1924)、本塁打王12回(1918~1921,1923,1924,1926~1931)、打点王6回(1919~1921,1923,1926,1928)MVP1回(1923)、ヤンキースに在籍した15年間で7度のリーグチャンピオン、4度のワールドチャンピオンをもたらし、1935年にバットを置きました。

 引退後は監督就任を目指しましたが、結局最後までどこのチームからも声はかかりませんでした。

 また1919年オフに、ルースを金銭トレードでヤンキースに放出したレッドソックスは、1918年にルースを擁してワールドチャンピオンになって以来ワールドチャンピオンから遠ざかっています。これが
「バンビーノの呪い」 と言われています(第100回を迎えた2004年ワールドシリーズで、86年ぶりにレッドソックスはワールドチャンピオンに輝き、バンビーノの呪いから開放されました)。