中元すず香の秘密 | カブログ君の音楽と旅

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アイドルは谷口愛梨・上村ひなの・筒井あやめ・渡辺莉奈、歌手は佐久間彩加・伊沢友香が推しメンです。

この記事は去年の9月に中元すず香(su-metal)というタイトルで書いたものですが、その後中元すず香の補足記事を沢山書いた為に内容が薄くなってしまいました。そこで中元すず香の秘密というタイトルに変更し、レアな情報から想像される事を私の独断と偏見で中元すず香の秘密として書きました。



中元すず香は広島県出身でベビーメタルのメインボーカルであるスーメタルとして大活躍中です。

中元すず香は3姉妹の末っ子で、次女は乃木坂46の中元日芽香、長女は読者モデルらしい。

因みに長女は一番美人で、歌も一番うまいという都市伝説のような話があるが、日芽香もそんな風な話をしていたと思う。もしそれが本当ならとんでもない逸材が埋もれている事になる。中元すず香は幼少の頃より、お店に入るとBGMに反応して歌ったり、踊ったりしてよく迷子になったらしい。


この事から中元すず香は生まれつき歌うのも踊るのも大好きだったという事は間違いない。

更によく迷子になったという事は踊りながら音の鳴る方に移動したのであろうし、親はそれを叱らないで好きにさせていた事の表れだろう。勿論2、3歳の時の話であろうからまともに踊れるわけではなく、ただ楽しくてぴょんぴょん飛び跳ねていただけだろうし、歌も適当に歌っていたのだろう。そしてその事が両親に中元すず香にモデルの仕事や後の芸能界入りを後押しした大きな動機になったのだと思う。


中元すず香は3歳よりモデル活動をしており、4歳の時にバンダイの子供向け化粧品のイメージガールとしてグランプリを受賞しました。

たまたま応募した全国規模のコンテストで優勝した事で、両親はますます自信をつけ、モデルだけでなくすず香が最も好きな歌やダンスもきちんと習わせてやりたいと思うようになったのだと思う。

すず香にとってラッキーだったのはすず香2歳の時にタレント養成の学校アクターズスクール広島が開校した事であった。

しかもすず香が6歳の時にPerfumeが全国的に有名になり、東京に拠点を移した時期でもあった。

お蔭で広島においてはキッズたちのアクターズスクール広島入学熱が一気に高まった時期だ。


そんな熱い時期であるすず香7歳の時に第4回アルパークスカラシップオーディションに参加し、70名中1位になって、グランプリを獲得し、アクターズスクール広島に特待生として事実上授業料免除で入学した。アクターズスクール広島からしたら、バンダイのCMに出ていた可愛い子で、歌もダンスもできる中元すず香はぜひ入って欲しかった子供であったに違いない。因みに妹に対してライバル心の強い日芽香も両親に頼んで受けさせてもらったが、残念ながら不合格だった。この話は日芽香がオーディションの当日の朝、一生懸命練習していたら長女にぼろくそに貶されたので、気分を害して、受けに行かなかったというのが真相らしい。いづれにしろ妹は特待生で、自分は不合格という姉としてのプライドがずたずたになったに違いない。普段のすず香は姉が大好きで、いつも後から追いかけていたが、人生初めての姉妹逆転という悲劇の日となった。


勿論日芽香はこの屈辱を晴らそうと一生懸命努力して半年後には無事合格した。

中元すず香は優秀だったから一学年上の日芽香と一緒のクラスに入れられたが、この頃の1歳差はハンデが大きく、しかもすず香は12月20日生まれだったからまわりについていくのに相当苦労したらしい。だからこの頃のすず香はダンスが苦手で嫌いだったという話になっている。

でも実際はダンスが嫌いでも苦手でもなく、たまたま年上と比較されて苦労しただけの事である。

もう一つすず香のダンスはカウントがとれないという欠点もあったが、たまたま日芽香と同じクラスになった事や日芽香とツィンズとして練習していた事から姉の動きに同期して踊るという常人には難しい技を徐々に習得していった。幼い頃から日芽香の事が大好きで、何でも真似をして追いかけていたからこそ可能だった技だろう。


アクターズスクールが広島にあった事と同じくらい重要な事はそこにMIKIKO先生こと水野幹子がいた事です。

現在では日本を代表する有名振付師ミキコ先生は彼女は音が鳴った瞬間に見た事の無いグルーブ感で踊り出し、本能だけで120%で踊るぶっ飛び系の怪物だと言っています。

本人にあのダンスは良かったねと言っても何も覚えてなく、きょとんとする位の集中力である。

それだけに皆と合わせるダンスはどちらかというと苦手で、つい目一杯のダンスではじけてしまう。

もう一つこの独特のグルーブ感を作り出しているのは彼女の身体的特徴だろうと私は思います。


彼女を褒める言葉で全力ダンスが有名だが、実際は全力しかできないのである。加減をするのが難しいらしく何事にも全力なのである。他には彼女は常に生歌で、口パク流行のアイドル界では珍しいという声があるが、実は口パクが苦手なのである。幼い頃から常に生歌だったから急に口パクをしろと言われても出来ないのである。この話も常時全力少女らしい逸話である。


一方で、BABYMETALと言えば全力ダンスが特徴のように言われ、私も度々BABYMETALの魅力は全力ダンスと書いているが、実は全力ではない。一度3人で話し合って今日のステージは全力でやろうと本気の全力で踊った事があったらしい。そうしたら3人とも最後はへろへろで立っているのもやっとの状態になり、それからは考え方を変えた。お客さんの反応を見ながら力を抜くところは抜いてメリハリのあるダンスを踊るようにしたそうである。


そう考えると全力ダンスしかできない中元すず香がヘロヘロになったら困るのでメリハリダンスをしているとしたら矛盾を感じる人が出てくると思います。しかし、そこはちゃんとMIKIKO先生が答えを言っていて、彼女のダンスは常に120%のダンスだと言っていて、ぶっ飛び系の怪物とまでいっています。つまり、彼女は過剰ダンスだったので、少し大人になってセーブする事も覚えて今は抑えて100%位で踊っているのである。だから他人から見たら100%のダンスでも本人は抑えに抑えた80%位の力で踊っているのである。


彼女は耳がダンボの耳の様に横に突き出してして、パパと一緒で耳がよく聞こえて嬉しいと言っていますが、一方で後ろからは話しかけないで、聞こえにくいからとも言っています。

更に指と腕が湾曲しており、体も非常に柔らかいから、腕とか体を廻すと独特のグルーブ感が出るのだと思います。腕の彎曲は猿腕と言うそうであるが、すず香は子供の頃、猿に似ていると言われていたらしいのでこの事も無関係ではないかもしれない。一方で、チーズ好きでちょこまか動き、落ち着きがないからねずみに似ているとも言われていたらしい。

床屋のサインポールやスパイラルモービルと同じで、湾曲した腕が独特の動きを醸し出している。


彼女の歯並びも相当自由で、口を閉じていると格好良いが、笑うと可愛い。しかし歯並びは相当なものだが、私はこの自由奔放な感じが好きで、矯正はしないでもらいたい思っています。

中元すず香はステージに上がると凛々しく、ステージから降りると天然の女子高生に戻るという話は有名ですが、これは歯並びとも大きく関係していると思います。

彼女は恐らく歯並びの悪さを自覚しており、スBABYMETALのイメージの為でもあるが、ステージ上では極力笑顔を見せないようにしており、馬鹿笑いは決してしない。

しかし、インタビューとかになるとたまに破顔一笑になり、一気に3枚目の顔になってしまう。この2枚目のステージから3枚目に一気に落ちるのが、中元すず香の魅力でもある。

人気アイドルという遠い存在から一気に身近な隣の家の女子高生にもなれるのである。


彼女は他人から見たら欠点だと思うかも知れない身体的特徴を前向きにとらえて寧ろ誇りに思っている所が凄い。実際彼女のVサインを見たらどこまで曲がるんだと思うくらい曲がっているし、お辞儀も殆ど前屈並みに曲がる。


体の柔らかい中元すず香:

https://www.youtube.com/watch?v=L--I9QFR0kc&index=30&list=RDnWp4FaCgoc8


8歳の時にアミューズ第2回スターキッズオーディションにて準グランプリを受賞し、アミューズのキッズ部門所属となりました。中元すず香は様々なオーディションを受けて全て勝ち抜いていますが、この時最初で最後の準優勝に甘んじています。

グランプリは福岡県出身の9歳岡山友里愛がとりましたが、当時アミューズキッズとして所属していた以降の情報は無く、今はアミューズにも所属していないので芸能界に入らなかったのかもしれません。


明日への扉(9歳):http://www.youtube.com/watch?v=ISkxLtdZi9g



可憐Girlsのオーディションに合格し、SUZUKAという役で武藤彩未・島ゆいかと共にメンバー入りした。

9歳の時にテレビ東京系アニメ絶対可憐チルドレンで、期間限定の可憐Girl'sとして活動し、声優にも挑戦、番組終了と共に可憐Girl'sは解散した。



Over The Future:https://www.youtube.com/watch?v=lPe2p5FlWrw



この頃、MIKIKO先生はアミューズの会長に感性を磨いてきなさいと言われ、ニューヨークに2年間行っています。

着るもののこだわりはあまりなく、私服は姉日芽香のお下がりが殆どであると思っているファンが多いと思います。

私もそう思っていましたが、実際はそうではなさそうで、日芽香が洋服を買う時は母親が一緒が多いらしいし、すず香と母親が日芽香の洋服を買ってくる事も多いようで、日芽香自身もなぜ?と言っています。

つまり、母親が完全に主導権を握っていて、ママプロデュースの可能性が高い。

更に言えば、すず香はananなどのファッション雑誌をよく読むが、日芽香は殆ど買った事がなく、たまにすず香が買った雑誌を見る程度らしい。お下がりは単に日芽香が姉だから母親が買っているのであり、勿体ない事もあって妹すず香も着ているだけのようだ。

つまり、母親は二人に似合う洋服を買って、実質2人共ママプロデュースだという事のようだ。



10歳の時にはミュージカル冒険者たちに出演し、演技と歌に活躍したが、この時は主役の女の子がもう一人いて交代で演技した。

11歳の時の再演はすず香一人が演じ、東京公演と名古屋公演を行った。

尚、この中で歌われている島唄と歌の考古学の島唄を混同している人がいるが、皆が感動して拍手が鳴り止まなかったという伝説の歌声は最後に紹介する山梨出身のグループTHE BOOMの島唄です。

勿論ミュージカルの島唄も聞いていて心が洗われるようないい曲です。




冒険者たち:https://www.youtube.com/watch?v=MQ7lqbvtdDU



明日咲く花(11歳):http://www.youtube.com/watch?v=PKkjoXweyrg


11歳でさくら学院に入学し、重音部のベビーメタルメンバーとなり、愛称のすぅちゃんからスーメタルとなり、メインボーカルとダンスを担当している。



結成当時:http://www.youtube.com/watch?v=cirhQ8iLdbw&list=RDWdYgSlKe2gc&index=17



当初は広島から新幹線や飛行機で通っていたが、その内母親が上京し、一緒に住み始める。

ベビーメタルとしては初の海外ツアーシンガポール・インドネシア・台湾の公演もやっている。

14歳の時にシンガポールで、海外初公演を実施した。


シンガポール公演:http://www.babymetalnewswire.com/2015/01/21/2012-11-10-exclusive-babymetal-backstage-footage-at-anime-festival-asia-singapore-2012/



14歳で後輩等からやや不安視されながらも唯一の中3の為、2代目の生徒会長になり、広島県観光PR実行委員会メンバーにもなった。


おしい!広島県:https://www.youtube.com/watch?v=2H5XYB-GQC0



生徒会長は皆の投票で選ばれると聞いて不安だったが、皆が自分を選んでくれてほっとしたらしい。

CDのDは何の略か聞かれてデロリアンというおバカな面もあり、また力うどんはベテランの職人さんが特に力を込めて打ったうどんというおちゃめなところもある。

更に自転車に乗れない、靴ひもを結べない、靴下の色違い、撮影の時にお気に入りの物と言われてお好み焼きのへらを持って行った等のボケキャラ満載人間である。


彼女はあるラジオ番組で菊地最愛が成績が5から4に落ちて悔しいと言った時、司会者が俺なんて2ばっかりだったからそんな事気にするなと言った。そしたらすず香は聞かれてもいないのに私も2が多いと仲間ができた時のようにはしゃいで言ってしまった。それが地獄の始まりだった。司会者は場を和まそうと冗談で言っていたので、いきなりやっぱり馬鹿だと言われてしまったのである。可哀想としか言いようがないが、実際由結と最愛に教えた算数が全部間違っていたらしいから弁護のしようがない。しかし私はすず香は決して馬鹿でも運動音痴でもないと断言できる。彼女にとって学校の勉強はたぶん二の次で、歌って踊って皆を楽しませる事が自分の使命だと、この世に生まれてきた意味だと思っているから直接関係のない事には興味が湧かないだけなのだと思う。


森先生曰く、人付き合いの苦手な中元に生徒会長が務まるか不安だったが、立派にやってのけた。

中元すず香は普段は0点だが、ステージに上がると100点になると言っていますが、プロ歌手にとってこれ以上の褒め言葉は無いと思う。普段50点でステージ上でも50点のタレントなんか必要無い。

これはまさしくスーパーマンと同じで、普段冴えない新聞記者が危機になるとスーパーマンに変身するのと同じで、普段目立たない中学生がステージに上がるとスーパーレディならぬスーパーウーマンになるのである。

15歳の時に、東京国際フォーラムホールCで行なわれた卒業式を最後にさくら学院を去った。

15歳時点での公称は身長159cm、体重37kg、BMI14.6、靴サイズ23cmとなっている。


中元すず香がSU-METALとして登場すると目立つのが、イヤーモニターだ。メーカーはFitEarのカスタムイヤーモニターで、シェルカラーは右が赤、左が黒、フェイスプレートは左右共にクリアだ。プロの使うイヤーモニターは耳の型を取って完全特注で作られている。なぜ使うかというとスピーカーは客席に向けられているのでどこを歌っているのかわからなくなったり、大きな会場では音が拡散されてリズムが崩れたり、野外ステージでは殆ど聞こえなくなったり、タイムラグが生じたりする場合があるからです。

ステージ上では原則として自分の声は全く聞こえない為、演奏と自分の声を聴きやすくしてミックスした音を聞かせて貰いながら歌うのです。またテンポ信号を流してもらったり、舞台進行上の連絡事項の伝達にも使われます。以前はスピーカーがミュージシャンに向けられていたが、気が散ったり、聴力に悪影響を与えかねない事が問題となって、イヤーモニターが広く使われるようになった。つまりイヤーモニターは耳栓の代わりもしているのである。


My Graduation Toss:https://www.youtube.com/watch?v=YNtgptXr8-o


FRIENDS:https://www.youtube.com/watch?v=bTfA0BS9ksM


中元すず香送別会

チーズ色のすぅさんと:http://www.youtube.com/watch?v=U4bRyiF7vG0&list=RDnWp4FaCgoc8&index=6


The Road To Graduation Final (part1of8) :https://www.youtube.com/watch?v=P9LwyHYUTp4


The Road To Graduation Final (part3of8) :https://www.youtube.com/watch?v=ZMSyMkT48GY


The Road To Graduation Final (part4of8) :https://www.youtube.com/watch?v=mY3Gez6PJMY


The Road To Graduation Final (part5of8) :https://www.youtube.com/watch?v=2h6hbwWHgbI


The Road To Graduation Final (part6of8) :https://www.youtube.com/watch?v=hge5zWk5lx4


The Road To Graduation Final (part7of8) :https://www.youtube.com/watch?v=AcJgNCUuVk4


The Road To Graduation Final (part8of8) :https://www.youtube.com/watch?v=_IXjFV04-ZU



私を例えるとすると歌だと思うと言ったらしいが、この言葉がすず香の気持ちの全てを表していると思う。その心の中を覗いてみると一点の曇りも無い純真無垢で揺らぎの無い覚悟が見える。そしてそんな気持ちにさせたのは紛れも無く、両親であり兄弟なのだ。すず香は生まれながらにして歌う為にこの世に降臨した歌姫なのだ。BABYMETALのメインボーカルを経験する事によってカッコいい自分もいるんだと気づいたとも言っています。荒削りの才能の塊が周りのスタッフに磨かれる事により、徐々に輝きを増し、遂には世界をも照らし出しているのである。


去年3月22日にビルボード200チャートで187位にチャートインした時、米国以外でリリースされた全世界のアルバムの売り上げなどで順位を決めるワールドワイドアルバムチャートで2位だったのですが、再度チャートインし、9月の9位から一気に1位になりました。

因みにこのチャートインは日本人の最年少記録平均年齢14.7歳でもありました。

7月のヨーロッパツアー(フランス・ドイツ・イギリス)・8月のレディガガのオープニングアクト・北米ツアー(ロサンゼルス・カナダ)・国内ツアー(東京・大阪)・9月の幕張メッセと正に八面六臂の活躍である。

11月に追加のNY公演・ロンドン公演更、今年は1月10日さいたまスーパーアリーナでの新春キツネ祭りと今日本で一番忙しいグループである。

しかも彼女らは中学校・高校に通いながらの活動であるから尊敬せざるを得ない。


ロンドン公演:https://www.youtube.com/watch?v=1Ht9Jta3Mb4



5月から6月にかけてはフェスも含めた9か国を巡る世界ツアーが控えており、まだ若いがモデルデビューから既に14年を経過しており、様々な経験を重ねながらもうベテランの域に達しつつあるスーパーレディの道を着実に歩んでいる。

中元すず香はベビーメタルで行った海外が初だが、他の2人は何度か行ったことがあったらしい。

さくら学院での期末テストの成績はあまり良くなく、おっちょこちょいの面もあるが、歌とダンスでは誰よりも一生懸命にやるので多くの後輩から好かれており、一部からは憧れの存在でもある。

中元すず香の一番の魅力は真っ直ぐ、爽やかで綺麗な声と全力のダンスであり、目標はアクターズスクール広島とアミューズの先輩であるパフュームで、夢はユイのようなシンガーソングライターである。



以下は中元すず香がさくら学院の公開授業で、歌の考古学の一時限目にプレゼンをした時の話です。

やり方は生徒達が1人ずつ自分が生まれる前に発表された曲を発掘し、その曲の歌詞の意味や時代背景などを調べ、5分間その曲についてプレゼンをし、プレゼン後にその曲をアカペラで1コーラス歌い上げ、歌ってる最中は観客は手拍子もせず、静かに聴き入るという企画でした。

最後に登場した中元すず香は「私は曲を色でイメージすることが多いんですが、皆さんはこの島唄って曲で何色をイメージしますか?私は最初沖縄の空や海のような爽やかな色をイメージしていました。」


この曲を色でイメージする事が多いという言葉で、中には中元すず香は共感覚の持ち主ではないかという意見があります。共感覚とは外部からの刺激に際し、普通の感覚と違う感覚を生じさせる知覚現象をいいます。共感覚を持つ人は文字や音に色を感じたり、形に味を感じたりするそうです。しかし彼女は島唄が沖縄の空や海のような爽やかな色をイメージしたと言っています。つまり彼女は普通の人が想像する景色をただ思い描いただけなのです。しかし歌詞の意味を調べる事により、自分の考えていた色のイメージと全く違っていて驚いたと言っているのです。


「だけど、この島唄の歌詞を調べていくとそのイメージは変わっていきました。」と、ホワイトボードを使い、歌詞の説明をし始めた。


でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
【災厄を告げるというでいごの花が咲き、(1945.4.1)沖縄本島に米軍が上陸した】


でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た 繰りかへす哀しみは 島わたる 波のよう
【でいごが咲き乱れる1945.4-6月に、寄せ引く波の様に、殺戮は繰り返された】


ウージぬ森で あなたと出会い ウージぬ下で 千代にさよなら
【サトウキビ畑であなたと出会い、防空壕で君が代にいう永久の御代との別れ】


島唄よ風にのり 鳥と共に 海を渡れ 島唄よ風にのり 届けておくれ わたしぬ涙
【島唄よ風にのり しびとの魂と共に 海を渡れ 島唄よ風にのり 本土に伝えておくれ、沖縄の悲哀を】


「実はこういう意味の歌詞なんです。」と言ったその後で、アカペラで聴き手に訴えかけるように歌ったそうですが、私がもしその場にいたら涙が止まらなかったと思います。


一昨年の8月6日(広島に原爆が落とされた日)は東京アイドルフェスティバルの翌日だったので、東京でこの日を迎えたすず香、丁度ロンドン五輪真っ最中でニュースはメダルを取った選手の話題ばかりだった。それはそれで喜ばしいことなんだけど、8時15分になってもその話題が続き、どのチャンネルを回しても原爆の話題は無く、なんか残念なような悲しい気持ちになったらしい。

でも前日8時15分に黙祷してねとお願いしていたさくら学院の仲間からは次々と黙祷したよとメールが届いて、あまり期待していなかったけれど、やっぱり伝える事は大切だなと思ったそうです。


そして、なぜ彼女がこの歌を選んだのかという理由をゆっくりと語りだした。
彼女は広島に生まれ育ち、故に“8月6日”という日は特別な日なのだと言う。
1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された日。
学校教育の中でも実際に被曝された方の話を聞いたり、その事について調べ、学んだりする。
広島の学校では夏休み期間にも関わらず、この日だけは登校日に指定されており、黙祷を捧げる。
そして広島ではその当日のテレビでは特別番組が組まれ、犠牲者の鎮魂と平和への祈りに想いを馳せる、それは彼女にとって当たり前の事だったから、少しショックだったようです。


以下は実際に参加したある人の感想です。
平和への祈りを込めた少女の歌は、その場にいた200人弱全ての人の心を震わせた。
僕自身、人の歌を聴いて思わず ため息が漏れたのは生まれて初めての経験だったし、気づいたら右頬に涙が伝わっていた。いつまでも、本当にいつまでも拍手が鳴りやまなかった。


私はこの話を知ってますます中元すず香の大ファンになりました。

中元すず香の魅力は子供の時からの映像が沢山あるので、ファンを父兄と呼ぶさくら学院では自分の子供のように皆が応援したくなる事、顔が可愛いとこ、ボーイッシュなとこ、顔が綺麗なとこ、はにかむ顔、憎めないとこ、かっこいいとこ、歌が上手いとこ、声が綺麗なとこ、声が可愛いとこ、声が力強いとこ、ダンスが上手いとこ、ダンスが激しいとこ、一生懸命なとこ、素朴なとこ、飾らないとこ、家族を愛しているとこ、度胸があるとこ、おっちょこちょいなとこ、人好きあいが苦手なとこ等全てが魅力なんですけど、やっぱり一番は歌って踊っている姿がはじけるようで、本当に嬉しそうで、こんなに歌とダンスの好きな子は見た事が無いし、見ている方も嬉しくなって、爽やかになって、気持ちが良くなってついつい笑顔になる点です。


彼女は非常に珍しいと言われるピンクノイズの持ち主だと言われています。

過去の日本人歌手では美空ひばりと宇多田ヒカルとかがそうらしいです。

中元すず香は、あの真っ直ぐな歌い方で、声量があって、絶好調の時にはピンクノイズが出まくりのようで、私は何度か昇天しそうになりました。

ピンクノイズはパワーが周波数に反比例する雑音の事で、同じ周波数成分を持つ光がピンク色に見えることからピンクノイズと呼ばれ、いわゆる1/fゆらぎを持った信号源をマクロに見た場合も似た感じになる。1/fゆらぎとはパワーが周波数fに反比例するゆらぎの事であり、心拍・ろうそくの炎の揺れ方・電車の揺れ・小川のせせらぎ・目の動き方・木漏れ日・蛍の光り方などがそれに当たる。

中元すず香の声はやさしい木漏れ日の様な癒しの声なのだ。


中元すず香は家族でカラオケに行って皆が歌い疲れていても、最後まで歌っているそうである。

姉日芽香と行った時は2人で7時間連続で歌いっぱなしだったそうである。

更に一人カラオケもよく行くようで、皆が知らない歌を歌うのは申し訳ないし、下手な歌でも気がねなく歌えるから一人が気楽でいいと言っています。一人だとなりきって歌えるからいいのだが、BABYMETALの曲は一人カラオケでは違和感があるから歌わないそうである。

でも私が考えるに本人はまだ気づいていないだろうが、ピンクノイズで癒されているのである。

一人カラオケを好むのは人を癒すのもいいが、自分が癒される曲を探っているのである。

恐らく彼女は歌った事のない色んな曲を試して、将来シンガーソングライターになった時にどんな曲が自分の声にあっているか探しているのだと思う。

そこには作詞作曲のヒントもあるし、日頃の疲れも取れるしで、一石二鳥なのである。

水野由結が歌姫と言い、菊地最愛がいつもステージですぅちゃんの声に酔いしれていますと言っているが、それこそピンクノイズのお蔭なのである。中元すず香が歌が好きで好きでたまらないのは有名な話だが、そうなる大きな理由の一つがピンクノイズのせいなのである。


中元すず香は歌って踊って人を幸せな気分にさせる為に生まれてきたと言っても過言ではないと思いますし、こんな子を育てた両親・兄弟・ASH・さくら学院・アミューズ全てにあっぱれと言いたいです。

特にアニメ絶対可憐チルドレンの主題歌の為に可憐girlsを結成した中元すず香にダンスを教えた水野幹子、すず香の声を聞いてヘビメタと合うと考えた小林さん、その意見を取り入れてさくら学院に重音部を許可した上層部、重音部の成功に心血を注いだコバメタル、それに答えたスーメタル・ユイメタル・モアメタル、素晴らしいダンスを考え指導したミキコメタル、最後にメタル魂を注ぎ込んだ神バンド、これら全てが一丸となって作り上げたベビーメタルにあっぱれです。

期間限定で始まったユニットですから、これから何年続けられるのか分りませんが、少なくとも世界が欲している内は日本を世界に知らしめる、日本の音楽の素晴らしさを知らしめる為に、頑張って欲しい。


最後に、中元すず香の歌う島唄が無かったので、本家THE BOOMの歌う島唄を紹介します。

THE BOOMは去年12月17日に武道館解散ライブを最後に解散しました。


島唄:http://www.youtube.com/watch?v=1DMrM3VWJx0


作詞・作曲した宮沢和史さんのエピソード

http://shinzou-times.blogspot.jp/2010/06/blog-post_8352.html




2月の昨日までの検索キーワードは1位中元すず香、2位BABYMETAL、3位さくら学院、4位中元日芽香、5位リートでした。

昨日多く見られた音楽関連ページは1位KOBAMETAL、2位中元日芽香、3位中元すず香解体新書、4位中元すず香の軌跡でした。

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