また5作残っていますが、9作目の「ザルカスの罠」以外はごくあっさりと紹介しますので、一気に最終作まで紹介しますー

⑧生ける死(1958年)

■粗筋

:地球は水に覆われ、人類は金星に移住していたー地球の一部は、高山の頂上のみが残るのみ。

 死んだ女性を蘇らせようとした人々は、全ての生命を取り込む物の誕生を見る事になる。そして、彼女は全ての生命を吸い続けるために金星へ向かう所で終る。

 

―上記にあるように、「ザルカス」以外はこの程度しか記載されていません。

 ウルさんの作品はペーパーブックで186頁(2作目「ニオールク」は260頁)で固定されています。

 しかし、この作品も含めて、仏Wikiでの後期4作の扱いはかなりヒドいように感じます。

 Wikiはゲストでも編集できますので、是非充足を願いたいです(仏語外で編集しても自動翻訳で仏語に変換できるので外国人でも大丈夫だと思います)。

 

⑨ザルカスの罠(1958年)

 物語は、3部29章で構成されている。

 ここに登場する惑星ザルカス人は、定期的に脱皮し殺傷力ある念動力を持つー裂け口に長い出っ歯を持つ。しかし、文明は徐々に衰退し地球人の植民化により近代化が進み、古代からの信念すら捨てていた。

■粗筋

第一部:

 地球のエンジニア・ダルセルと諜報員ローランは、惑星ザルカスで原住星人ザルカス人人足を引きずれて、地質調査のためにザルカスの密林に入る。

 サファス・シン火山周辺で、黒曜石の柱が出現で調査隊は混乱する。ローランは洞窟に隠された受信機によって、三角形飛行物体の残骸の位置と、この星を狡猾に植民地化している神秘的な異星人種について、知る。

 地球人の2人は、三角形飛行物体が亜空間を移動できるようにする高い技術に関する情報を収集する必要性があった。翌日、2人はザルカス人人足隊長ゴゾに疑いを持ち、ザルカスの政府に監視されていると思うようになる。

 そして、彼らは3台の三角形飛行物体の事故現場に着いたことに気付く。調査隊は、森を横切り村に滞在していると、水没した巨大な彫刻の遺跡を見つける。ザルカス人人足ジンが、2人を危険から助けていった。

 ある夜、ローランは夢で火山の名になっている伝説の王により、ザルカス文明遺跡に辿り着く。しかし、目覚めると全て憶えていなかった。

 事故現場から数キロの位置に着くと、2人はザルカス人人足を薬で三角形飛行物体の残骸がある所に行かせた。

 事故現場に着くと、2人は三角形飛行物体を撮影し小さな細胞と未知の材料が詰められた《メビウスの輪》のシンボルがある小室を見つけるが、すでに荒らされた後だった。2人は、いくつかの金属元素を取り除くだけ満足した。

第二部:

 調査隊はザレクの村に着く。

 ローランはザルカス人人足に賃金を払うと、隊長のゴゾがいないことに気付く。村を歩いていたローランが、ゴゾが尊重と警察署長を兼任するザルカス人ツェチャ宅に入るのを、目撃する。

 彼は仲間のダルセルに警告し、翌日の夜、ローランはツェチャ宅に侵入し、ローラントダルセルが地球人で村の医師ジャウベール宅でX線検査を受ける事を知る。

 ローランは、ゴゾに自分の鼻にある送信機を見つからないように、自発的にジャウベール医師に話した。翌日、ゴゾはローランとダルセルに、自分はザルカス政府の諜報員で、2人は伝染病の診断をしなければならないと、言う。 

 しかし、X線検査は行われず、2人はジャウベール医師の監督下に置かれた。ジャウベール医師は、サファス・シン王とその王妃の遺体を2人に渡し、彼らを村から出るのを助力する。

 王と王妃の皮を被ったローランとダルセルは、ザルカスの首都に向かう事ができた。飛行中、ローランはまだザルカスの伝説に関する夢を見る。

第三部:

 ザルカスの首都に着いた2人に、軍のヘリが迎えに来る。基地の大佐は、2人が被った皮を外した時にやって来た。しかし、ローランは自分に着いたシン王の皮を取るのに苦労し、包帯に巻かれ昏睡してしまう。そこで、古代ザルカスの儀式の全節を暗唱する夢を見る。

 一方で、ローランらが持ち帰った破片によって、亜空間の秘密を解き明かす事が可能となったが、まだ謎は残っていたー専門家の観察によると、三角形飛行物体は物理的にはザルカス人に似ているのに、2m以上もあると推定。

 大佐は、辛うじて回復したローランに、三角形飛行物体を首都に連れ込むよう、指示―ローランはまたシン王の皮を被って、一日中、三角形飛行物体を追いかける。そして、ホテルに彼を連れ込み、辛うじてその攻撃を逃れる。

 基地に戻ったローランは過労で倒れ、新たなザルカスの儀式の詩を朗誦する。そこで、医師たちがシン王の皮がローランと一体化しつつある事に気付く。

 ローランの報告で、三角形飛行物体がいるホテルに侵入する任務にダルセルが志願。ダルセルにより、三角形飛行物体は水素を吸い込み、超低温で生きる知性あるハエと判明。

 一方で、ローランはシン王と変わり、ザルカス人の伝説の王として民に会いに行き、伝統を取り戻すよう頼む。そして、古城を開き自分の王座を見つけ、会議を行い地球人を信頼し、将来の同盟を頼み、シン王≠ローランは新たな次元に転生するために死ぬ。

 そして、ザルカス人司祭ゼズムが新王に就任。

 

―なんとなく「第9地区」と重なるものがあります。

「第9地区」も、地元地球人白人が難民異星人に対して酷い態度取るが、彼らの体液にかかり徐々に容貌が彼らに変わっていく中、地元地球人の差別を受け彼らに心を寄せるようになり、最期、母星に救命を求めて地球を旅経つ親子に尽力する、物ですがー「第9地区」はこれを基にしたのではないかと、上記の粗筋を読んで感じました。

  

 ザルカス人の《念動力》という設定が、ラストに不穏な気配を感じてしまいましたーザルカス人は伝統文化を忘れたがために、未開の異星人という立ち位置にはなった物の、却って共存関係(漫画版の一コマで文明化されたザルカス人の子孫)を保てたのですが、その能力に目覚めたら・・・

 それをシン王は、考えた上で民に地球人との共存を願ったのだろうかーフッと考えてしまいました。

 シン王と一体化し、転生のために死んだローランはローランとして、それを選択したのかー「オム族がいっぱい」同様に、原文全文読まないと真相分らないのですがね。

 ザルカス人に対して、死者(シン王と王妃)までしたい放題な地球人に、《罪を憎んで人を憎まず》なシン王―ファラオよりも殆ど月光仮面!!←これしか例えが思いつかないw

 

 「オム族」とは真逆の平和的-でも、植民者の一方的な物に感じます。 

 きっと、ウルさんは「巨大な恐怖」と「オム族」では停滞した文明を活性化するには物理的衝突が必要と語りながらも、実際はそれでは旧来と変わらない相互理解が重要だと考え、「ザルカス」でその旨を描いたようですがどうしても西洋人≠植民者目線になり、共存姿勢でないように見えますーどうしても、《非西洋》文明圏に対してそういう態度を取ってしまう西洋人と感じてしまいますーオリエンタルから世界は始まるのですがね・・・

クレオパトラ「何を言う、ローマが勝手に攻めておいて、いまさら何を言う」

ザルカス人伝説王シン「クレオパトラさん、子孫を信じましょう」

とこの作品読んだ、古代の王様がこんな会話しそうですがw

 ローランが、両族の仲介役としてザルカス文明の中興の祖となるならば、真の相互理解による共存への道が開かれるラストになるのですが・・・今だと、このラストでなければこの作品の本来示したテーマが表現できないのではありませんか、ウルさん?

 

 「オム族」同様、出版社の編集されたような違和感を強く感じます。

⑩ターミナル1(1959年)

■粗筋

:惑星アルゴールで、宇宙冒険家ジュリアスは「惑星ウォルデンはロケット基地でそこには高額な貴金属が埋まっている」という旧友マルジュと出会う。

 ジュリアスは、マルジュから渡されたスーツケース型送信機を手に、再び宇宙に飛び出す。

⑪制御下のオデッセイ(1959年)

■粗筋

:人生にうんざりしている男が宇宙船でカクテルを飲んでいると、ある女性に一目ぼれをするー2人は冒険の間に、迷い見つけては逃走する中、互いの愛を深めるーそして、2人は巨大生物にのまれて死ぬ。

 実は、これは全て2人を離婚させないためのカウンセリング用仮想現実だった。

⑫箱(1977年)

 執筆は1972年から始まってはいたが、出版の際には幾つかの出版社に断られ、2作目「ニオールク」から11作目「制御下のオデッセイ」までのシリーズの新作として、2巻で発売。

■粗筋

:惑星ソロールとカンジダの間で行われる、クルーラーの冒険―1938年に、クルーラーは南米ベネズエラの密林で行方不明になり、重度の病によりインディアンに引き取られ、その後、彼はドメリルに連れられ長い宇宙旅行に出る。

 ドメリルと共に惑星ソロールの首都に行き、他人族でカラフルな車と飛行機を見る。真菌症と保護服を被った2人は、ソロールの密林に入り、ヌーゾムという物に苦しむ。

 

―ウルさん名義で長編物はこれで最後です。

 自動邦訳題「箱」とは、ヌーゾムの幻覚作用持つ物質ヌー(noo)の事です。

 この作品後、ファンからの手紙が続き、1987年に作品の形式でファンに返答したそうです。

 

 ファンからすると、前作「制御下のオデッセイ」と映画「ラ・プラネット・ソヴァージュ(ファンタスティック・プラネット)」公開前年から執筆されていた「箱」に、「えぇっ~~~~」と思ってしまったと思われます。

 そのために、ウルさんに手紙を送ったという心情は分りますー私も粗筋だけ読む限り、上記の最終2作品には作家としての疲労を強く感じます。

 

 ウルさんは極めてSFマインドと想像力溢れた方ですが、奥さんが読んでいたSFに意見した際に「いけるかも」という感覚で初めて、思いの外はまって書きまくったけれど・・・ウルさん本人よりもあるかもしれませんが、殆どは1950年代終わり当りの欧米SF界隈が狭い世界で評価も低かったり、出版社の注文もあったりと段々勢いが萎れてしまったように感じます。

 現在でも、ルネ・ラルー監督の「ラ・プラネット・ソヴァージュ」「時の支配者」2作品で知られる原作「オム族」「ペルディードの孤児」があるのにも関らず、日本では一つも翻訳されず唯一漫画版「ニオールク」だけが紹介されているだけです。

 何となく大衆文化に対しては、日本以上に引っ込み思案な気がしますフランスエンタメ業界全体がー日本にウルさんの作品を全て紹介したら、流行りそうな気がします。