徳村慎
いつのまにか雨は止(や)んでいる。
ぬかるんだ山道を進み、滝へとやって来た。
滝壺(たきつぼ)に向かって、般若心経やら、聖書の詩篇の言葉やら、さまざまな呪文を唱えてみる。
しばらくすると、滝壺から龍神が現れた。
龍神「お前たちはみぃなちゃんの居場所を知りたいのか。。。教えてやろう。ここから北に向かうと神川村がある。そこには、那智黒石があって、そこに魔法使いガルムスとみぃなちゃんは居るのだ。。。みぃなちゃんと再会できることを祈っておるぞ」
ツチコロビ=僕が言った。
「ここから北へ向かうのか。。。那智黒石の里にみぃなちゃんが居るんだってコロビ。。。頑張って行くんだコロビ」
ツチコロビは語る。
早朝になり、光のさす森の中。
僕ら3人は進んでいく。
雨は上がった。。。
と、僕は書いている。
実は雨が上がったのは、徳村慎の自宅なのだ。
雨粒が落ちる音がする。小雨は降り続いていたのだろうか?
早朝なのだが、鳥の声は、まだ聴こえない。
まだ闇夜の中で眠っているのだろうか?
それとも太陽は顔を出したのか。
こんなに早くから(深夜から)起きていると、朝食をとる頃にはお腹がすいて美味しいことだろう。空腹は最高のスパイスなのだ。
僕の遠距離の彼女は、スパイスを食べられない。
辛いものがダメなのだ。唐辛子、胡椒(こしょう)、
生姜(しょうが)、カラシ(マスタード)などがダメなのだ。ただし、ワサビは食べられるらしい。
もし一緒に暮らすことになったら、カレーは匂いをかいでも気分が悪くなるから、別の部屋で換気しながら食べてね、と言われた。
僕は彼女にもらったパンダのティッシュカバーと一緒に寝ている。とっても可愛いのだ。もらった時は嬉しかった。
この小説を書いていると、鼻先を蚊がかすめ飛んでいった。(2020年の)12月30日だぞ。
2020年は温暖化で蚊が冬でも生きているのか。それとも、もともと蚊なんてものは年中発生しているものなのか。
ボkuは居間ナ似woシて胃る脳?
君だけさ気味da毛差
キmi大系里
和歌tte黒連留野和
(僕は今何をしているの?
君だけさ、分かってくれるのは)
もしも僕が君と一緒に暮らしたら、深夜に起きる僕に君は嫌気がさして君は君の故郷に帰ってしまうかもしれない。
嫌だ。深夜に起きてしまうのは仕方ないが眠る努力をした方が良いよなぁ。。。
責任の無いB型作業所。それでもそこに集まる人にとっては重大な責任なわけで。お金を手に入れるのは、非常に重大なことなわけで。
それでも、仕事がどれだけ大変かは、大変な仕事をしないと分からないだろう、とは思うんだなぁ。。。
彼女は逃げてるんじゃない。大変な仕事もある程度経験しているのだ。それでも、、、責任は、上の立場になればなるほどある。
ふと思う。僕は、何をすれば良いのだろう?
甥っ子にも会わなくなった。兄は離婚したのだから、当然だ。最後に会ったのは10月か11月だったろうか? 少年野球をやる女子のピッチャーが眩しい姿だったっけ。そこに甥っ子は居た。
上の甥っ子は、僕の部屋のCASIOミニキーボードSA-46を見たのだろうか?
ミニ鍵盤は、小中学生の使うようなものじゃないか、とも思う。しかし、SA-46は、440Hzを指定出来る楽器なのだ。使い手による。
そうだ。楽器は使い手によるのだ。
KORGガジェットベースシンセサイザーvolca bassと、teenage engineering PO-33 K.O! サンプラーを組み合わせるだけで、すごく良い楽器になるのだ。これはDAISOの税抜100円のソプラノリコーダーのように使い手によって変わるのだ。
上の甥っ子は、SA-46を壊してしまった。
僕の持っているSA-46ではない。僕が買う前に、甥っ子は、持っていたのだ。ジェットダイスケの動画を観ていたらしく、甥っ子は真似をしていた。
甥っ子の見える世界は、僕の見る世界よりも美しいのだろうか?、、、良く分からない。
特別学級で過ごしているらしい甥っ子の方が、感受性が高いという可能性はある。
しかし、芸術は、感情を表現することで生まれる。
テクニックが無いとダメなのだ。
それでも、感性がテクニックを超えるものがあるのではないか、と思う。いや、テクニックを隠すところまで行くと、感性しかないのだ、と思えるようなテクニックということなのかもしれない。
B型作業所で働く男性、仮にBさんとしよう。
Bさんはオープンチャットで空気を読まない。
連投もするし、動画を貼り付けたりもする。
動画なんて、よほど暇じゃなければ観れないのに。
結局、自分から出て行くハメになるのだ。でもBさんは憎めない。
雨の音が僕を包む。雨の音が僕の家を包む。
オープンチャットのRさんは、よく僕の夢を聴く。
ひょっとしたら夢で検索して僕のブログを調べられている可能性もある。。。
それでも、僕は僕だし。Rさんの人生はRさんが大切にすれば良いのだ。
他人の人生を生きる必要はない。
というか、他人の人生を生きるな。
RさんはBさんに厳しい一面があった。
それは、そうだろう。オプチャの乗っ取りをされそうになったのだから。
雨の音は降り続く。そろそろ雨戸を開けようか。
時間は6:49だ。
2020年現在から、2021年の未来にかけて、徳村慎はツチコロビへと変化(へんげ)したのだ。
それは、ゆっくりとした変化だった。
モニュメントを作り終わった4月には、全身の産毛(うぶげ)が濃くなってるな、という感じだった。
8月にはその毛がさらに濃くなり、人間の形から、肉塊の大きな毛だらけの球体へと変貌した。
そして、2021年にネコロビと出会うのだ。
いや違うか。ネコロビと出会ったのが2020年だったか。ということは2019年なのか。今は2019年だ。いやいや、2020年じゃないのか。
あああ。混乱している!
2020年に書いた小説の「今』が2051年でも、1947年でも別に良いじゃないか!
ツチコロビは僕だ。同時に2つの人生が重なっているのは夢の中の人物のようだ。
森の中をずっと進んでいくと那智黒石の里に出たのだった。。。
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最後まで、読んでいただきまして、、、
ありがとうございます😊😃😆