徳村慎
(2020.2.12.)
アマンダ「コンセプトが希薄な絵画は、現代アートからは、こぼれ落ちるやろ」
サブロウ「そもそも現代アートの方が偉いのか?、、、という問題がある」
パンダ「全てがフラットな日本だ、というスーパーフラットの提唱する世界は、面白い。日本画も漫画もアニメもフィギュアもフラットな価値観に考える、、、というコンセプトは、やはりすごい」
カバ「神をフラットなものにしてしまってるんだね」
サブロウ「ある意味、世界はスーパーフラットなんだよ。これは村上隆の絵画だけにとどまらず、僕の音楽でも、同じことが言えると思う」
パンダ「もっと言えば、すべての人が、スーパーフラットの中で選択するんだよなぁ」
アマンダ「ちょっと待って。現代人は情報の中に埋(う)もれて生きてるけど、選択は、できてないわよ?」
カバ「確かに。。。これじゃ、フラットなだけで、選択する芸術じゃなくなっているよなぁ」
サブロウ「コーラが好きだから、コンビニに行って10回中9回はコーラ買うよ。。。選択してないよなぁ。。。流されてんだよ。。。いや、コーラしか買わないのは、信念になるから流されていないのか?」
アマンダ「工芸のプロなのに、現代アート的な立ち位置も考えられるなんて、那智黒石は奥が深い。。。(笑)」
サブロウ「それは、軽くバカにしてんのか?(笑)」
パンダ「現代アートの定義って何だろ?」
カバ「第二次世界大戦以降の美術」
アマンダ「いや、今なら9.11以降でしょ」
カバ「日本だと3.11以降かな」
アマンダ「すると2011年以降やね。。。」
サブロウ「今年2020年の東京オリンピック以降ってのが、そろそろ現代アートの定義になるんじゃないの?」
アマンダ「話を戻して、コンセプトって必要なの?」
サブロウ「コンセプトが必要なのは、プレゼンテーションとかが重視されるからだろ。プレゼンテーション無しで考える芸術もあって良いと思うんだよね」
パンダ「デジタルペイントでうまくいったなぁ、ってのは、iPhoneXRの能力であって、サブロウの能力ではないんじゃないの?」
カバ「いや、iPhoneを使いこなしてるのはサブロウだ」
パンダ「確かになぁ。フィールドレコーディングなんて、普通に暮らしてるとノイズとして感じてるか感じてないかってぐらいの音を録音するだけだしなぁ。これもボイスレコーダーの能力じゃないの?、、、って考えることも出来るけど、サブロウの能力だとも考えられるんだよねぇ」
カバ「面白いね」
サブロウ「現代アートは果たして美術なのか?、、、って問題もあるよなぁ」
パンダ「もっと言うと、コンセプトが必要なのはデザインじゃん。現代アートは、美術のデザイン化だとも考えられるよね」
カバ「デザインというか、コンセプチュアルアートというか。でも、コンセプトなんて、意外に後付けの理論だったりする。直感で描いた落書きの方が良いものができることもあるし、たとえば現実世界にある鳥をそのまま模写して彫刻を作ったりしても良いものである可能性がある。けれど、まあ、そこにコンセプトを足さないと、見向きもされないから、コンセプトを足してるってのが現状かもしれない。理解されようと努力するのが現代アートか」
アマンダ「お。ようやく、話が戻ってきたね。理解される努力。共同体感覚。他人に興味がなくて果たして芸術はできるのか?」
パンダ「できるよ」
カバ「できないよ」
サブロウ「アドラー心理学では、他人の人生を生きるな、って言ってるよね。他人からの評価を気にするな、と。承認欲求を満たすのは悪いことなんだと」
アマンダ「じゃあ、ひとりよがりな芸術でいいの?」
サブロウ「自分が自分を認めるような表現が一番だってことだな」
アマンダ「自信があれば、他人(他者)からの評価は気にならないのね」
サブロウ「自分のベストを尽くせば、いいってことだよ。自分をごまかすような芸術は、芸術じゃない。これは悪い芸術だな、と自分で自分のことを評価しているようなのは芸術ではないんだなぁ」
アマンダ「ひとりよがりな芸術の方が、他人の評価を気にする芸術よりはマシってことか」
サブロウ「まあね」
(つづく)
最後まで、読んでいただきまして、、、
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