小説『サブロウの冒険』「黒猫」-2
徳村慎
(2020.2.12.)
アマンダ「共同体感覚って夢のまた夢かな?」
サブロウ「いや、散歩してるときは、むしろ、自然と一体になれた気がしてたよ。パンダが神様だと思ってた頃とか、その次の段階で散歩に行ってた頃とか」
アマンダ「人間である必要がないんや?」
サブロウ「むしろ人間だと共有できない」
アマンダ「人間は利害関係がはっきりしとるからねぇ」
サブロウ「インナースペースこそ探求すべき分野なんだよねぇ」
パンダ「インナースピリチュアルだったりして」
カバ「神とバカは紙一重(かみひとえ)だなぁ」
パンダ「神を求める旅に終わりをつげて」
サブロウ「いや、神は、いるんだなぁ。やっぱりそう思うよ」
カバ「ニーチェは、神は死んだ、と言ってるのに。えらく古い考えだな」
サブロウ「いやむしろ、21世紀は、宗教の時代だよ。宗教戦争の時代だ。、、、ああ、図書館に行きたいなぁ。もっと知識を得たい」
パンダ「時々、誰かを殺すようなイメージがわくんだよね?」
サブロウ「腹が立つ相手をね。だまらせるというかね。相手を押さえつけたい欲求なのかなぁ?……ってことは僕は誰かに何かに、押さえつけられていると感じているのかもなぁ?」
カバ「見知らぬ相手でしょ。架空の見知らぬ相手を敵にして、空想してる」
パンダ「正常なんだろうか?」
サブロウ「よく思いつくのは、押さえつけられた相手を魔法でダイヤモンドに変えてしまう、というものだね」
カバ「金銭の欲というか富(とみ)だね。富に対するコンプレックスかなぁ?
それと、もちろん、押さえつけられたくない、という欲求だね」
パンダ「富ってのは、相対的なもので、本や楽器をいくら集めても飢え(知識欲求)は満たされないんだよ。いくら美味しいものを食べても
満たされないし、いくら美しい風景を見ようが、絵画や彫刻を見ようが満たされないんだと思う」
サブロウ「もちろん、一時的には満たされるし、絵画に向き合う気持ちがあれば、絵画で満たされることもあるよね。そうじゃないと、僕のやってる職業とか趣味とかが意味のないものになってしまう。。。(笑)」
カバ「それよりも表現したい欲求が強いよね」
サブロウ「強い。なんでなのか、わからないんだけどね」
アマンダ「昔っからやもんねサブロウちゃんが表現したいのって」
サブロウ「表現ってなんだろう?
ドローイング(素描)と即興でウクレレ弾くのは似ていて。写真とフィールドレコーディングは似ている。前やってた俳句モドキは、フィールドレコーディングに似ていて。サンプリング技術というか。スケッチというか。日常をそのまま詠んだものだったりするわけで。。。」
アマンダ「表現は、受け手のことも考えて、はじめて芸術やろ」
サブロウ「本当に芸術しかできない人間なんだよ。僕は、本当に不器用で。芸術しかできない。なんで芸術なのかとかわからないし。僕にもっと他の力があれば違う人生だったのかな、って思うけど。芸術しかできない、ってのは、やっぱりギフトというよりもハンディだよなぁ、と思うんだよね」
アマンダ「それを芸術のできない人から見たらうらやましく思っとるんやろうけど。芸術大学出ても職業が芸術じゃない人なんていっぱいおるし。
ただ、職業芸術が哲学が無いとか、言ってる意見もあるみたいだよねぇ。職業でも芸術をやり、趣味でも芸術をやってる者から言わせてもらうと、コンセプチュアルな部分が必要なこともあるけど、それは見た人がいろいろと感じてくれれば良いだけの話であって、、、。芸術家はコンセプトにしばられすぎない方が良い気がするなぁ。。。」
(つづく)
最後まで、読んでいたたまして、、、
ありがとうございます😊😃😆