徳村慎
2019.7.31.
『新世界より』上巻4/5〜5/6ぐらい。
Ⅱを読み終わる。
火を眺めながら、早希(主人公の少女)が瞬(キャンプにやってきたグループの少年)の真言を唱えて、瞬の呪力を復活させる。
イニシエーションでは炎を見る。
なるほど。確か、炎を見る宗教があったなぁ。『世界の宗教総解説』みたいな題名の本に書いてあったと思う。集まって炎を見つめながら何でも話す、というような感じだったか、それともどんなのだったか。『マザー・ネイチャーズ・トーク』にも書いてあったような。
ロウソクの炎も、よく見るとゆらゆら燃える。
あの、ゆらゆらが良いのかも知れない。
人の心の奥深い部分をさらしたり、探求したりするのには最適なのだろう。
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『谷川俊太郎詩集』1/4
今日だけがある、というような詩。
今だけがある非二元に似ている。
今しかないならば、今、僕は、仕事をサボりたくてたまらないのだ。それでも、仕事に行くのだろう。
いや、今とは何か?……それが今なのか?
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工房に着いた。
仕事に来てみれば何のことはない。普通の仕事なのに。来る前は嫌だと思うものなのだ。今しかないなら、今は、普通に仕事をして休憩している。今とは、何なのか?
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『新世界より』上巻7/8。
少年同士、少女同士のペッティング。新世界では、身体の接触が当たり前にある。これが、争いを避けるボノボと同じやり方なのだ。
瞬は、卵を孵化させようとしている。その割れた卵の中身はヒヨコとは別の怪物だった。瞬は一体何をしていたのか?……早希の仲間のうちでは、最も呪力の高い瞬は。
昔、4〜5年前に小説『新世界より』について、話したことがあったような気がしてならない。これは妄想かも知れない。元カノが話していたような気がするのだ。しかし、その時、僕は『新世界より』を読んでいない。元カノは、何故か僕が『新世界より』を読んだと思い込んで話していたように思う。。。妄想なのか?
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『新世界より』上巻読了。
業魔となった瞬。瞬は早希に好きだったと伝えて地中に埋まって死ぬ。
業魔は、新世界の精神病のようなものだ。瞬は、無意識を制御出来ないから死ぬのだ。ついに新世界の謎が解明されつつある。業魔は治しようのない病気らしい。当初は業魔は、統合失調症と似ていると思われていたが、実はパニック障害に近いのだと瞬は説明した。
僕は、統合失調症だ。薬を飲み続けている。病気が暴走することもあるし、暴走しなくても、元カノと『新世界より』について話したんじゃないか、と記憶が混乱していたりする。
パニック障害は、僕の好きだったツイキャスの人の症状だなぁ。歌を伝えようと思ったり、コメントに返事をしようと思うとダメらしい。趣味でやっているツイキャスが出来なくなるなんて可哀想だ。
ユングの共通する無意識についての説明も少しあった。意識というのは、心の一部に過ぎないという考え方だ。ユングは間違っていないが、アドラー心理学が流行って、意識だろうが無意識だろうが、自分の意志なのだ、得をするように動くものが人間だ、という考えも分かる。心が制御出来なくなった部分は、やはりユングに近いとも言えるし、自分のキャパシティにあってない自分の得になる働きとも言える。
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『谷川俊太郎詩集』1/4
不幸を忘れるほどに不幸ではなかった
幸福を忘れるほどに幸福ではなかった
うーん。今は、浮き沈みが無くて、とても幸福だ。付き合う人が家族しか居ないからかも知れない。浮き沈みが無いことが悟りではなく、浮いていようが沈んでいようが、全て充実するのが非二元なのか。。。奥が深いです。
うーん。でも、この谷川俊太郎の詩は、とてもあたたかい。極端な幸不幸と違うけど、まあ、平凡に生きてるかな、みたいな感じで。
誰の心でもない私の心を
これは、難しいなぁ、と思う。私というのは、現在過去未来において私しか存在していないのか?
という疑問がある。
でも、私が谷川俊太郎(詩人)の心と読者の心の2つを言い表している点で、私は少なくとも2人は居るのだ。もっと言えば読者は何万人の数がこの詩を読んでいるのだから、私は何万人も居るのだ。。。と思ったりする。
下手の横好きでいろんなことをやっているが、私なんて、どこにでも居るのかも知れない。ここで不思議な気持ちになるのだ。私というのは、本当に私しか存在していないのか?……と。
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神を求める祈り、神を呪う哲学
宗教、哲学、心理学は、一体じゃないのだろうか?
僕は宗教は社会(科学)だと思っていたのだが。実際には無宗教こそが社会科学の行き着くところかも知れない。
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泥臭さ。スタイルは一定の方が良いのか。フォークアートの那智黒石。スタイルは変化しているつもりだが、基本は工芸。たぶん、他の人から見て変化しているとは思わないだろうなぁ。
やり続ければ何かになっている。僕は、やり続けられるのだろうか?
ってことは毎日やり続けている俳句モドキが何かに変化したりするのだろうか?
仕事の那智黒石をしない休日でも俳句モドキを作ってたり、夢日記は書いているなぁ。。。
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『新世界より』下巻1/27。
瞬の記憶が消えている。それに気づく早希。
記憶が消えたり、無かった記憶が作られてしまったり。
僕も経験がある。
安定剤を眠る前に飲んで、お腹が空いて起きて食べてる時とか。翌日記憶が無かったことがある。眠りながら食べてると家族に言われた。
記憶が作られてしまうのは、良くある。最近では弱虫ペダルの真似をしていじめられた記憶が作られたが、高校の時に弱虫ペダルは無かったことがウィキペディアを調べて分かった。
早希の記憶を大人たちに消されてしまっているのだ。人為的に記憶は消せるものなのか。強い安定剤を飲んだりすると記憶が飛ぶが。小説『新世界より』では、どんな方法で記憶を消しているのだろう?
2019.8.1.
『もっと知りたいモネ』
パラパラと読む。後年のモネは独学者に見せようとするあまり、初期の学んでいた頃を語らなかったらしい。
分かる。最近の僕は、学生時代のことを、あまり思い返さない。ド下手な自分が嫌いだからだ。モネの場合独学を強調したかったのだろうが、似顔絵(カリカチュア)が上手い。まあ、僕の場合は、今でもド下手だけど。
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『新世界より』下巻。1/9
悪鬼と業魔。それぞれの病気が倫理委員会の長から語られる。早希は、弱い人間に伝えてはならないと言われる。そして、仲間の内の最も弱いと思われる守が居なくなる。探さないで下さい、と書き置きを残して。
悪鬼は殺人を快楽とするような性質の病気だ。
業魔は知らぬ内に周りの物質を変化してしまい人間でさえも死に至らしめる病気だ。
漫画やアニメの『AKIRA』に似ている。
暴走した超能力が全てを滅ぼす。
僕は悪鬼ではない。業魔でもない。むしろ能力は低い。しかし、能力の低いと思われていた早希は心が強かった。僕は……弱い。いや、弱いと言っても、もっと弱い人も居るのは知っている。強いのだろうか?……よく分からない。生命力が強いと言われたことがある。それは褒めて言っているのか、どうなのかは、今では分からないけど。
生命力かぁ。低収入でも生きていける、みたいな考えは生命力の強さなのかも知れない。しかし、芸術が認められないまま死ぬのは、嫌だなぁ。いや、認められなくても良いと心の中で思っている部分もあるなぁ。→どっちだよ。(笑)
TV『幸せボンビーガール』を久し振りに観た。離島で暮らす女性。
好きなことを仕事にしている感じがあって、とても好感が持てる。低収入でも、幸せなんだろうなぁ、と思う女性の姿。とても良い。
本『年収90万円で東京ハッピーライフ』とは違うかも知れないけど、でも、幸福とは、低年収の方が近いのではないか、なんて思ってしまった。
家族を作って家族のために生きるのは、しんどいことも多いだろう。まあ、家族を作るのが幸せな人も居るだろうけど。趣味をやるために生きるなら、恋人(妻)とか子供は必要ない気がする。
というか、そういう考えが強い、という意味なのか?……家族を持たずに自分の好きなことだけして死ねるような生き方が強さなのか?(笑)
薬(安定剤)を飲んで、好きな本を読んで、そういう暮らしは強いのだろうか?
誰でもやれることだ、と思うのだが、もしかすると、誰でもやれることではないのかも知れない。
社会彫刻かぁ。僕の人生を1冊の本にしたら、どうなるんだろう?……今、40歳で半分越えてるのかなぁ?……半分越えたってのは、『新世界より』で上巻を読み終えて下巻を読み進めてる感じだろうか?
人生の下巻は波乱が無くて、つまらない本かも知れない、などと思うけれど。もうひと花咲かせるなんて言ってたら老人のようで違う気がするし。昔は早く老人になりたかったけど。今は、何もせずとも老人になるのだなぁ、と思う。なぜか病気や交通事故や心の病での死とは無縁に老人になる気がする。危険に出会ったら眠るなり逃げるなりして、やり過ごせると思うのだ。
私小説に興味がある。
しかし、私小説には客観的な視点が必要なのだという。じゃあ、僕には書けないなぁ。10年後。50歳で書けるだろうか?……それとも20年後の60歳で書けるだろうか?……30年後の70歳?
生きた証を残したいという人間は、自分史なんかに手を出すのかも知れないなぁ。僕もそんな1人になるのだろうか?
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『新世界より』下巻1/7。
守を雪の中のかまくらで発見する。
守は、無意識に呪力を使って竜巻を起こした。それが業魔になるかも知れない力だと早希は思う。
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-5へつづく。
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