徳村慎
2019.8.1.つづき
『新世界より』下巻1/4。
早希と覚は、真里亜と守を連れ戻すために追いかける。ふつかけで滑落して、バケネズミのコロニーにたどり着く。ロボトミー手術をされた女王のバケネズミ。コンクリートの建物。急速に発展したバケネズミのコロニー。
ひょっとしたら、ミノシロモドキ(図書館)を捕まえて情報を得ているんじゃないか?……と覚は言う。
社会が進歩すると、ロボトミー手術のような怖い側面もある。バケネズミたちは、旧時代(つまりは僕の生きているこの時代)の悪い部分まで吸収してしまっているようだ。
しかし、それを言うならば、早希たちの住む新世界だって、オーウェルの小説『1984年』に似ているディストピアとも言える。徹底した管理、監視社会。社会というものが支配被支配で語られるならば、同じオーウェルの『動物農場』にも似ている部分がある。ここに来て、『新世界より』は、おぞましい社会だと気付いてくる。
呪力がコントロール出来ない、乱視や近視の者も排除される。怖い世界だ。
2019.8.2.
『種田山頭火』
パラパラめくって読む。
>昼寝さめてどちらを見ても山
野外で昼寝しているらしい。面白い。行乞は、苦しいこともあるだろうけど、句作の楽しみもあるのだろう。
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『新世界より』下巻1/3。Ⅳを読了。
夢の中で瞬=Xに、真里亜の逃走を手助けしてはいけない、彼女は死ななきゃいけない。と言われる。
覚と早希は結ばれる。
記憶を消されるなら、町を出るだけのことだよ、と言う覚。その時は私が町を出て、覚はそれについて来るの、と答える早希。
現実逃避。これなら、経験がある。
今は、現実をポジティブに受け止めているので、現実逃避は、しないけど。
まあでも、どうせ低収入ならば、那智黒石の仕事じゃなくても良いんじゃないか、と思ったこともある。でも、今がたぶんベストなのであって。好きなことが出来てるうちは、楽しめば良いと思う。
町を出て暮らすことを考えるのは、当然なことかも知れないし、若者が田舎から居なくなるのも当然なのかも知れない。優秀な人ほど都会に出てしまうと思う。まあ、だから東京なんかは優秀な人の集まりだから(というイメージで)憧れるんだろうけど。
文化は都市部に集まる。。。
では田舎の文化とは何だ?
精神病の文化(アウトサイダー・アートとかアールブリュット)とか工芸やフォークアートとか。自然が沢山あるところからの発想だとか。熊野の歴史的な部分と進歩していく未来だとか。
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『新世界より』下巻3/7。
バケネズミ同士の戦争。なんと、シオヤアブがオオスズメバチに勝ってしまった。人間の呪力で大量殺戮されたのだ、というシセイ氏の意見。そして真里亜が死んだという話。骨をDNA鑑定までしたから間違いない、と。真里亜と守が居なくなって12年が過ぎている。早希は26歳。保健所の職員になっている。覚は、農場で研究している。
いよいよ恐ろしい最終局面になるような感じなのか?……アニメ映画『もののけ姫』とかでもそうだったけど、後半の戦争シーンは陰惨だったなぁ。『もののけ姫』は音楽は美しいけど、ストーリーは、あまり見返そうとは思わない作品だったなぁ。
見返したくない作品としては、ビョーク主演の映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』も最後がつらくて。最後に主人公が死んじゃうんだよなぁ。
『新世界より』は、暗い結末になって欲しくないなぁ。
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『谷川俊太郎詩集』2/7
廃墟は時の骨だ
たしかにそうかも。廃墟に会うということは、何だか不気味な感じなのだが。詩人の目には、時の骨として、美しいものとして、映っているのだろう。
TV『鉄腕DASH』のDASH島も、廃墟があったなぁ。自然が廃墟を覆うような姿を見ると、不気味な感じとか、神秘だとか、いろんな感情があるけど。時の骨とは、やはり詩人の言葉なのだなぁ。詩だ。
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私が今の豊かさを信ずる時
この星にいて死を知りながら
私は自由だ
という詩を読むと。ああ、今の豊かさは、例え死んでも後悔しないんだろうなぁ、と思った。そうだ。自由なのだ。
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天に無
たしかに。天に無。宇宙のような広がりは、無を考えてしまう。素粒子同士がぶつかって宇宙が生まれたというのも、神秘だが。人生では、追いつかないものがあって。そうなんだなぁ。天に無、かぁ。
無を語る言葉はなく
すべてを語る言葉もない
まあ、仏教経典にも限界がある、みたいなことなのか。うーむ。限界を知りつつ限界に挑戦するのが、詩人なのか。
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-6につづく。
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