徳村慎
2019.7.29.つづき
『新世界より』上巻4/5。
戦争が終わって、眠り、目が覚めて、抜け出す少年と少女。バケネズミの案内で、ようやく湖までたどり着き、仲間の子供と合流する。
この新世界の成り立ち。やはり、不必要な子供は仕末されるのか?……仲間どうしで殺しあうような人間は、殺されてしまうのだろうか?
なんだか、ヒトラーの優生学のようにも思えるシステム。遺伝的に呪力を持った者たちの世界だから、あり得る。あとは、身体障害者が居ない世界というのも、、、仕末なのか?
そもそも結界はなぜあるのか?
今日は、中学生の時の社会の教師を思い出したけど、たぶん、優生学というのが思い起こせたから、思い出したのだろう。
この世は、不平等だ。あの世にこそ平等はある、と考えた僕だが。社会の教師は、不平等を無くすのが社会である、と言っていた。あの世も神も無いのだ、と。あの世で平等になろうとするのは、ニーチェの時代の人間もそうだったらしくて、ニーチェが「神は死んだ」と言ったのは、宗教の終焉の宣言なのだ。
しかし、宗教は20世紀に終わったのではない。
むしろ21世紀は宗教によってはじまった。……と『いま世界の哲学者が考えていること』に書いてあった。テロは宗教が関わっている。アメリカとロシア(ソビエト)という冷戦から、アメリカとテロという新たな戦争に変わっている。
絵は、もっと上手い人が居る。その時にどうするのかを考えるべきだ、と中学の教師は語っていた気がするが、もちろん、これはそのまま教師にも当てはまることのはずであって。もっと上手く教えたり出来る教師が上には上が居るはずなのだ。
でも、オリンピック選手だって、金メダルで終わりかというと、そこから上が無いかと言えば、違うかも知れない。
うーん。しかし、人生、幸せは何だ?
と考えると、『年収90万円で東京ハッピーライフ』は、低収入でも、幸せなのであって。この本、読んだ時は、そんなに影響されると思ってなかったけど、かなり影響されてるなぁ。今、文庫化されてるみたいだけど。文庫化されたのは、題名から「東京」が抜けてるみたいだけど。
上を目指しても、キリが無い。
幸せを目指せば良い。
*
『新世界より』上巻4/5。
バケネズミの帆船に送られて。人間の世界に戻っていく。しかし、この世界の謎は解けていない。
読書は、楽しい。別の世界を見せてくれる。
*
『谷川俊太郎詩集』1/11
国語の本に載っている詩は、やはり良いものを選んでいるんだなぁ。グッとくる詩は、やはり有名な詩らしい。かなしみ、という詩が良い。過去に何かを忘れてきた、という内容の詩。
過去に忘れてきたのは、情熱だろうか?(笑)
もう情熱は無いのかなぁ?
音楽もツイキャスライブをあまりやらなくなった。
今、情熱があるのは、なんだろう?
読書かな?
やりたい時にグワーっとやる方が好きなのかも知れない。
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『谷川俊太郎詩集』1/11
目を開けて神様が見えるか?
(つぶると見えた、うす目で見えない。)
たしかに神様は、そういう存在だなぁ。
神様を感じるのは詩人で。
僕にとっての神とは何か?
昼寝の神が居たり、読書の神が居たり、俳句モドキの神が居て、家に帰れば音楽演奏の神、たまーにドローイングの神。
最近、昼寝の神様が僕に知恵を授けようとしてるら
しい。って書くと詩人になれるかも。(笑)
昼寝の中に見る夢のような現(うつつ)のような発想が、読書のさまざまな考えに結びつく。読書が好きなんじゃなく、考えることが好きなのかも知れない。1ページを、あるいは1行を3日かけて考えられたら、ものすごく幸せじゃないかなぁ?
今日は、マイルス・デイヴィスの『オン・ザ・コーナー』を聴きながら、工房に出勤して。その時にすでに中学生の時のことを思い出していた。
仕事がひと段落したら、昼寝しながら、中学生の時のことを思い出して、あれは何だったのか?……と考えていた。文章化もしてみる。しかし、文章化してみると、なんともちっぽけな人間のように思えた。社会の先生に社会は必要なのかを訊いても、勉強が足りないと思われて当然だ。そんなことを思い出しながら、読書をしていた。優生学、つまり進化論の曲解である理論が思い浮かんだのだ。社会というのは、優生学なのか、と。弱い遺伝子を滅亡させるためのものなのか、と。
まあ、しかし、それはあまりにも弱者優位な考えで生きているように思われそうなので、主張するのは嫌になる。
昼寝の神よ。あなたは惰眠を貪(むさぼ)る僕を起こすために、悪夢を見せたのか?
『新世界より』は、小説の世界として楽しめば良いじゃないか、と。
夢日記を毎日書いている。夢を見なかった日以外書いている。だから、ほとんど毎日書いているのだ。
夢は神とつながらないのだろうか?
時々、僕は夢の中で、大学であり図書館でもある建物で本を読んでいたり美術の授業を受けていたりする。最近は大学を中退して良かったとも思えるようになった。だって分からないってことは、知りたい楽しみが多いってことじゃないか、と。僕は大学を中退することで一生学ぶことを選んだのだ、と言えなくはないか?
神なんて居ないと思ったりもする。
神秘的なものが神なのだ、と思ったりもする。
*
はるのひととき/わたしはかみさまと/しずかなはなしをした
というのは、またもや神様なのだ。
僕がこうして生きていられるのは、奇跡なのか。先祖の先祖が海の水から生まれてきた奇跡。ところが、僕は僕のDNAを子供に受け継がせることが出来ないようだ。結婚せずに一生を終えそうだ。明日、死んでも後悔が無いように。それが哲学だ。面白い音楽を奏でたい、美味しいご飯を食べたい、というのは哲学なのか。
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『谷川俊太郎詩集』1/7
寂しいから仲間を火星に求める。
たしかに。地球人は、宇宙人を求める。
なぜか、谷川俊太郎の詩を読んでいて、読みたい本は、平行で読んでも良いから借りようと思った。そうだ。明日、死んでも後悔が無いように。
読みたい本のリストから、どんどん、本を読もうと決めた。画集も良いし、詩集も良いけど、小説と哲学が良いんじゃないのか?
哲学と宗教は、探求し終えることは無いのだ。読みたいから読むんだよ。非二元は、ひとつの結論かも知れないけど、探求が終わることは無いんだよ。
いや、探求が終わった人が、うらやましいけど。でも、探求が一生続くのも面白いじゃないか。
時間が足りないなぁ。探求、、、まあ、読書にはいくら時間があっても足りない。一生かかっても図書館の本を全て読むことは出来ない。それを楽しいことと考えるのか、苦しいことと考えるのか。
無限の知識と考えると、神秘的な宇宙のようでもある。
そいえば……。
最近、GANMA(漫画アプリ)を読まなくなったなぁ。漫画でしか表現出来ないことって多いと思うけど、小説は、やはり漫画の上を行くものだな、と思う。いや、漫画でも、名作ならば、小説の名作に並ぶのだろうけど。小説の名作は、すごい。最近は、図書館にある名作以外読んでないので、余計に小説は、すごいと感心してしまうのだ。
活字の世界は、五感をフルに活用出来てしまう。
GANMAで時々読んでいるのが『高架下のキャンバス』という漫画だ。更新が遅いので、読むのを忘れてしまっているが。平面絵画の天才少女と少年。高架下に描く絵。こんなのを読んでたら、絵を描きたくなってしまう。
2019.7.30.
『谷川俊太郎詩集』1/5。
神を信じないで神の匂いに甘えながら、、、
というフレーズ。その通りだ。悟りがあるなら、知りたいという甘え。実験音楽という甘え。俳句モドキという甘え。ドローイングという甘え。甘えの形態に名前をつけて芸術ぶっている。あるいは、悟りを求めていると話す。これらの甘えは、いけない。
いけないことを知りつつ、神秘的な姿に触れられる喜びは、大きい。谷川俊太郎の詩は、神秘だ。宇宙のような詩だ。宇宙と言って大き過ぎるなら、生命の神秘と呼んでも良い。生命の神秘って悟りに近いのかな?……うーん。
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『種田山頭火』(草木塔)
パッと開いたところ。
月のあかるい水汲んでおく
やっぱり山頭火は美しい句を作るんだよなぁ。
行乞で美しいものをたくさん見たんだろうか。それとも元々美しい表現が出来たのだろうか?
山頭火になりたいと思ってもなれない。ピカソやダリやバスキアになりたいと思ってもなれない。坂本龍一になりたいと思ってもなれない。
だけど、彼らの作品は美しいと思う。
そこは曲げられない部分かなぁ。『谷川俊太郎詩集』にも同じような美しさを感じる。
誰かになるのではなく自分にならなきゃダメなのだ。でも自分になるって何だろう?……本物の自分とは、何なのか?……おそらく今の自分が本物の自分なのだ。今の自分を認めることが必要なのだ。
草木塔のように人生を凝縮して1冊になるなんて、素晴らしいと思う。思うけれど、僕には無理かも知れないなぁ。ピカソは多作で。それも憧れるけれど。
俳句モドキの新たな境地を開きたいものだ。あるいはドローイングの。あるいは実験音楽の。
実験音楽と書くが、実験しているつもりはなくて。ただ単にノイズ系をアコースティックでやりたかったのだ。前衛音楽と言えば、そんなものか、とも思うし、それもジャンルだと思う。動作のあるフィールドレコーディングという言い方が近いかも知れない。結局、それは、何なのだろう?
Twitterで実験音楽は、暗黒時代(過去)に戻る作品だ、みたいなことが書いてあって。実験音楽というのは古いものなのかも知れないけど。音楽は、全て古いものとも言えるし。僕のやりたい音楽は、実験ではないのだから、もっと自由な言葉、新しい言葉が必要だとは思うのだが、、、良いネーミングが思い浮かばない。一時期、悉皆成仏音楽、という言葉を思いついたのだが、それは僕の中で定着しなかった。
坂本龍一がピアノの弦を弾き(内部奏法)、あるいはエレキギターを引っ掻いたりする。大友良英がギターやターンテーブルでノイズを出す。
ノイズ系と呼ばれる音楽だ。あるいは、現代音楽。
僕は彼らの真似をしたかっただけだ。
*
-4につづく。
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