夢日記~稲中卓球部、教室、迷子
徳村慎
1.
他人とともに稲中卓球部の中の世界に居るみたいな感じ。具体的には、微妙に覚えてないが、全くの他人と居るのは間違いなかった。
2.
色んな感情で(エロスもありか?)悪ガキとして過ごす学生時代。
美術教師S先生と女の教師が居て隠れて見張っている。サンマの塩焼きを食べながら僕らは台(小学校にあった運動会の時などに朝礼で使う台。白色)の上に乗る。そこが教室らしい。
3.
母と暗闇を迷子になりそうになりながら歩く。
**
自分なりの解釈
稲中卓球部の世界に居る。たぶん、稲中卓球部のスチルイメージが浮かんだからだろう。先日、マンガ『行け!稲中卓球部』を読み返し終えた。それにしても夢は不思議なもので、稲中卓球部の世界に入れるのである。
やたら夢を見終わってから「バカって言われるのよ」「ケッ、稚魚が」というマンガのセリフを思い出す。僕が自分自身をバカだと認識して、稚魚のようなものだと認識しているからじゃないだろうか?
エロスありの学生時代。女教師がエロスの対象となっている。高校の時、女の美術の講師が好きだったなぁ。あれは、恋愛感情だったのか、ただの親しみを込めた感情だったのかは、微妙な線だが。
悪ガキで友達もたくさん居る。そういう僕が居るなんて、パラレルワールドも大したもんだ。サンマの塩焼きは昨日食べたものの中で最も美味しかったものだ。
朝礼台の上が教室なんて面白い。でも、皆んなその小さな四角の中に入って、台が大きくなるんだよね。不思議な感覚。
昨日は非二元とかヘミシンクとか運命論とかのブログを読んでた。それと久しぶりにカオシレーターをいじった。そういうのが夢に影響しているんだと思う。
迷子になりそうなのは、スピリチュアルな思想とかだろうか?
3番目の夢の前にも、宗教のブログを読んでいた。迷っているのは、本を買うかどうかだ。CDも迷っているけど。
ヘミシンク音楽のYouTubeとか、気持ち良い。まあ、ヒーリング系だね。ただ、アンビエントやチルアウトやエレクトロニカに比べると単調すぎる気もするけど。それも、また、ありなのかな?
徳村慎
1.
他人とともに稲中卓球部の中の世界に居るみたいな感じ。具体的には、微妙に覚えてないが、全くの他人と居るのは間違いなかった。
2.
色んな感情で(エロスもありか?)悪ガキとして過ごす学生時代。
美術教師S先生と女の教師が居て隠れて見張っている。サンマの塩焼きを食べながら僕らは台(小学校にあった運動会の時などに朝礼で使う台。白色)の上に乗る。そこが教室らしい。
3.
母と暗闇を迷子になりそうになりながら歩く。
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自分なりの解釈
稲中卓球部の世界に居る。たぶん、稲中卓球部のスチルイメージが浮かんだからだろう。先日、マンガ『行け!稲中卓球部』を読み返し終えた。それにしても夢は不思議なもので、稲中卓球部の世界に入れるのである。
やたら夢を見終わってから「バカって言われるのよ」「ケッ、稚魚が」というマンガのセリフを思い出す。僕が自分自身をバカだと認識して、稚魚のようなものだと認識しているからじゃないだろうか?
エロスありの学生時代。女教師がエロスの対象となっている。高校の時、女の美術の講師が好きだったなぁ。あれは、恋愛感情だったのか、ただの親しみを込めた感情だったのかは、微妙な線だが。
悪ガキで友達もたくさん居る。そういう僕が居るなんて、パラレルワールドも大したもんだ。サンマの塩焼きは昨日食べたものの中で最も美味しかったものだ。
朝礼台の上が教室なんて面白い。でも、皆んなその小さな四角の中に入って、台が大きくなるんだよね。不思議な感覚。
昨日は非二元とかヘミシンクとか運命論とかのブログを読んでた。それと久しぶりにカオシレーターをいじった。そういうのが夢に影響しているんだと思う。
迷子になりそうなのは、スピリチュアルな思想とかだろうか?
3番目の夢の前にも、宗教のブログを読んでいた。迷っているのは、本を買うかどうかだ。CDも迷っているけど。
ヘミシンク音楽のYouTubeとか、気持ち良い。まあ、ヒーリング系だね。ただ、アンビエントやチルアウトやエレクトロニカに比べると単調すぎる気もするけど。それも、また、ありなのかな?
一時期、自分が眠るための音楽を作ってて、新作が出来ると2日ぐらいは眠れるんだけど、それ以降は眠れなくなるようなものだった。で、最終的に何も音楽をかけずに眠るようになった。
最近は、眠たい時に聴くASMR(音フェチ)が心地良いと分かった。女の子のささやき声も気持ち良い。
良い音楽を聴くと真似したいと思う。それで頭が冴えてきて起きてくるのが普通なんだと思う。ちょっと眠いな、と思う時に聴くASMRと、眠くなくて時間だけがある時に聴くASMRは、やはり印象が違う。
この世は善悪、男女、火と水、陰陽に分かれない、というブログを読んだ(気がする。僕の読み方であっていればの話)。非二元とは面白い考えだなぁ、と感心している。
自分という存在がずっと変わってない気がする。一定の幸福で生きているような。自分が変わるというのは、変えれば良くなるという前提での話だと思う。ニーチェの言葉に「超人への過程」という進化論を哲学に持って来た考えがある。人は変わることで何かを得るような、そういう思想だろう。だけど、もう古い気がする。得るために変わろうとするのが無理な人だって居るし、変わろう変わろうばかりで、焦りばかりで進まないのなら進むのではなく止まることを意識すると、本当に進む気がする。
暗闇(夜)を進むのは、出口(朝日)の探求なのか、それとも、過程を楽しめ、ということなのか。どうも後者である気もするのだ。