夢日記〜おんぼろの車
徳村慎
日本の地理。出来なかった中学時代。今でも出来ないけど。地理オセロを考える先生。もしかして学習障害なのか?……ってぐらい地理は覚えられない。
引っ越しで荷物をまとめる。将棋は日本のチェス。ビー玉やプラスチックの玉。周りにも遊んでいる同級生が数人いる。僕は黙々と片付ける。
車で移動。仕事でお世話になったKさんがワザと僕におんぼろの車を貸す。と同時にパラレルで父がワザと僕におんぼろの車を貸す。最初は助けを呼んだりしていたが、最終的には改造して乗りこなす僕。
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自分なりの解釈
地理が厳しい僕は劣等生なのに、その場の暗記モノばかり覚えて、しかもテストが終わると忘れて。おんぼろの車も自分自身じゃないか。しかし、おんぼろの車も見方を変えると輝けるのだ。
これは、小さい頃からの僕の夢ではないのか? おんぼろの格好良さは僕にしか分からないという自分なりの美学である。小さい頃に作ったボードゲームが僕なりの世界観なのではないか?……将棋にビー玉にプラスチックの物まで利用して僕の遊びは広がっていた。
今、再び遊べればと思う。遊びが芸術になったのだと思う。小説・絵画・音楽に。まあ、この夢日記も遊びと言えば遊びだが。
仕事でお世話になったKさんのことは長年嫌いだった。半分はイジメのようだったからだ。しかし、今となったら、僕も仕事が出来なかったんだなぁ、と考える。
今日は休日で11時半ぐらいまで眠った。実に爽やかな気分だ。おんぼろの車は、最終的には峠を攻められるまでになるのだろう。つまり僕はおんぼろを改造するようにコツコツと生きるんだと思う。
生きるのがつらいのは当たり前で、おんぼろな人生だったとしても、何かをやりながら豊かに生きることは可能だと思う。どうせ劣等生だ。楽しんだ者勝ちなのだ。頭が悪いことを自覚して生きれば、怖いものなんか無いんじゃないか?