夢日記〜大学
徳村慎
大学に入り直して美術を学んでいる。しかし、鈍臭い感じで課題の提出が遅れそう。
課題は、一度、紙粘土で造形しておいて、それを基に平面絵画の作品を作るもの。大学の講師は女性。
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自分なりの解釈
大学を中退している僕が、大学で学び直したいという気持ちが奥底にあるのか。ただ、現実に置き換えると、ストレートに学び直すというよりは、今、自分なりに独学で学び直している感じだ。
女性の講師というのも、優しさのあふれる指導者を求めているのかも知れない。
紙粘土は生物のような感じだったが、実際に作っていた作品は釣りのルアーみたいなものを絵本に挟み込むようなスタイルの作品となっていた。
釣りは最近、やってない。最近やってないものを象徴しているのか。そういえばルアー釣りは、やったことがない。毛針はあるが。スマホのゲーム、釣りスタ、が夢になっているのか?
絵本は家の形をしていたように思う。フロイト的に言えば家は女(子宮)をあらわす。昔、美術作品は恋人だと考えていたので、そのままの夢かも知れない。→よく作品は自分の子供だという意見があるが。僕は恋人かな?
大学の校舎は迷宮のようだ。迷う場所なのかも知れない。死と隣り合わせの場所でもある。迷いたいと思う本能的な部分かも知れない。幽霊を見たいと思う気持ちとか。新興宗教も実は良い部分があるんじゃないのか、とか。
立派な場所で学び直さなければならないのか。社会に出て学び直すという感じで。ようやく、自分の中で、折り合いがついたような。学問と自分というのが。石田英敬『現代思想の教科書』を読んでいる。それを読み終えたら僕が新たな視野を手に入れられるのかも、という期待がある。
仕事も学び直す感じで日々を過ごしている気がする。那智黒石の仕事は、どこまで行っても自分との向き合いでしかないと思う。冬で仕事に向かない冷たさで大変だが、僕なりに頑張っている。
一生学び続けるのだろう。一生迷宮にいるのだ。そして楽しい迷宮でもある。夢の中で僕は迷宮に出入りしているのだ。学校とは図書館でもあり街の本屋での立ち読みでもあるような。学びたいという気持ちが大きくなっているのだろう。
ところで学びたいこととは何だろうか?
やはり『現代思想の教科書』のようなものから、那智黒石の小さな彫刻、音楽、宗教などじゃないだろうか?