
絵画『うず』
徳村慎
ひたすら、渦(うず)を描きたくなった。
ちょっとパンダの顔にも見える気もするけど。
なぜ渦を描いているのか?
なんとなく。暇つぶしに。
FM三重で最新の曲らしき曲を聴きながら、まったりと描く。
最近読んでる本『現代思想の教科書』には、ディシプリンとハビトゥスという話が出て来る。ディシプリンは型にはめた教育、ハビトゥスは持ってる土地柄や校風というようなことを意味するらしい。
僕は大学を中退しているので、ディシプリンに反発したり、ハビトゥスにハマらなかった部分もあるが、それでも何らかのディシプリンやハビトゥスにハマってるいるとも言えるのだ。
学校教育は小中学~高校も入るだろうし、熊野という土地に住んでいるから、その影響下にあると言えるからだ。
ということで、僕の絵画も、何かしらの影響下で行われていて。美術というものの最下層のような表現が僕の絵画(ドローイング)と言える。
100円均一で買ったメモ用紙に描くという金銭的に軽くなるという問題。と共に絵画の展覧会には出さないという勇気とか芸術の展覧会への不信という問題。
誰でも出来ることをやろう、というシンプルな芸術。そこに立ち返るのだ。
音楽もテクニックではなく、感情でもなく、ただ楽器を鳴らしている状態に近い。最近作った『Keybords』は、特にそんな感じの音楽だ。それだけに、色んなことを思い浮かべやすい。
そして思い浮かぶのは、詩のような小説のような世界だ。夢日記は音楽日記へと変わっていくような感じがする。
ハッキリとした夢を見なくなったからだ。音楽日記に描いているヴィジョンの方が夢らしさがある。
最近、楽しいことが中々見つけられない。寒いからだ、と家族は言う。確かにそうだろう。散歩もしたくないし。楽器を買おうか、とも思うが買ったところで、気分が変わることもないだろうと思い直して買わないことにする。
昨日は、コンサートに言ってから、気分が良かった。それで久しぶりに『現代思想の教科書』の続きを読んでみたら面白くて。冬の寒さに勝つには、知的好奇心を満たすのが良いかも知れないと考えていたりする。
まあ、そんなこんなで描いた渦(うず)なんです。来年(2018年)で40歳だもんなぁ。
あ、あとねぇ。最近、新興宗教の本に興味があって、時々ネットやamazonで調べてんだけど。なんというかね。価値観が変わりそうな感じでねぇ。これまでやって来たことは間違ってたのかなぁ、とかも思うんだよね。いや、間違ってた、ってハッキリとしてるわけじゃなくて。これからは、もっと視野を広くしたいなぁ、なんて考えたりして。でも、視野が広がると、自分の良いと思ってたことですら、ちっぽけ過ぎて、虚しい感じがする。
新興宗教の本が答えをくれるわけじゃないのは分かってるんだよ。でも、生きるのも虚しいけど、死ぬのも怖いからさ。なにか、よりどころ、みたいなのが欲しくて。まあ、よりどころで言えば、今のよりどころは、『現代思想の教科書』だったりもするわけで。
40になると、何を求めて生きてんだろう?……性欲でも食欲でもなく、睡眠欲すら無いかも知れない。動物にとって本能ってやっぱ大事だと思うけど、その本能が削られていくような時期じゃないかと思う。まあ、それを更年期と呼んだりするんだろうけど。
実際、眠れないとか、けっこうあるんだよね。仕事の無い休みの日なんか、ダルくて眠るしかないのに眠れないみたいな。なんか矛盾した行動なんだよ。
時々、夜、一睡もせずに朝を迎えたりが普通になってたり。もう眠らなくても怖くないんだよ。あと、逆に早く寝て朝が早いとか。12:00ぐらいに寝てるのに3:00に目が覚めるとかね。睡眠の質は悪くなってるなぁ、と感じる歳になった。
こうして文章に書いてみると、やっぱ渦を描いたのは、疲れてるからなんだろうなぁ。絵画がメインなのか文章がメインなのかも分からないなぁ。(笑)
自分の守って来たものってなんだろう?
那智黒石のプロだというプライドとかかな?……芸術家のハシクレだという小さなプライド。今は、それも消えかかっていて。もっと、人間はほとんど平等なんだなぁ、という視点というか。その視点を強化するには、霊的な世界を自分に与えるしかないんだと思う。でも、それも、すぐに壊れちゃうのかなぁ?
ああ、こうやって愚痴みたいなの書いてるときが一番落ち着くわ。(笑)