
絵画『人間を食べる恐竜』
徳村慎
それまで、キーボードを弾いたり、パンダのぬいぐるみにケーキかチョコレートでも買おうかどうか相談したりしてたのだが、絵を描いてみた。
自分のための芸術をやっている者としては、僕はアール・ブリュットやアウトサイダー・アートをやっているという自覚がある。他人のための芸術が、主流の芸術だと思う。ファイン・アートであり、デザインであり、フォーク・アートであり。それらアートの外側に位置するアートとしては、アウトサイダー・アートの位置付けが僕の絵に最も近い。
『人間を食べる恐竜』というタイトルだが、恐竜を描いていて人間を食べさせたくなって書き加えて、さらに最後に太陽まで描いたものなのだ。
恐竜は怖いものの象徴なのだ。
あなたの怖いものは、なんですか?
両親を超えられない怖さ、孤独で死んで行く怖さ、生きてきた意味なんて無いのだと知った怖さ。いろいろあるだろう。
では、食べられるのは自分自身をも含む人間、人類だということになる。仏のしるしに眉の間に点がある。TVの旅番組のインドではよく見る装飾だ。地蔵なんかにもある。つまり、ここでは仏=人類なのだ。そして殺戮を眺める太陽も仏である。眺めている、というよりスルーしているのだ。禅である。
怖いもの、を苦しいもの、と言い換えると、人間は四苦八苦の生き物なのである。生老病死、怨憎会苦、愛別離苦、求不得苦、五蘊盛苦。
全ては苦しみなのである。苦しむのは怖い。怖い=苦しみだ。
太陽は照らす。しかし、闇を破壊したりはしない。照らせば影が生まれるのだ。陰陽こそがこの世の成り立ち。恐竜だって破壊対象ではない。苦しみを破壊するのではない。スルーするのである。そこに幸せはある。
好きな人に「死にたい」と言われる苦しみを最近味わった。それもスルーしなければダメなんだ。好きな人自身も死にたい苦しみをスルーして、僕も助けられない苦しみをスルーせねばならない。そうしないと恐竜に喰われちまう。
ああ、絵画は人の心を素直に語る。僕は死の恐怖に怯えていたのか。こうして文章にすると何もかも分かってしまう。夢日記と同じなのだ。……そういや、最近、夢を見ない。そろそろ楽しい夢を見たいもんだが。
線描の絵画こそ今の僕の中では最高の絵画なのだ。絵画は線によって解放され限定され、また解放される。
そろそろ新しい楽器が欲しいと思ってしまうのは、楽器の買い物依存症か。これもスルーした先に何かが見えるように願う。