ノンフィクション『フリーワンマンセッション5』音楽2017.5.4.→2017.10.1.
徳村慎
『フリーワンマンセッション5』つまり、この時期に録音した、自由に弾く即興曲の5番目。
31分13秒のピアノソロ。
このピアノソロを聴いて感じたことを書いていく。これも即興の文章といえる。
はじまり。
片足の短い蛙。カエルは泳ぐ。自由に泳ぐ。
ずっと下には大きな魚の影が泳いでいて。幾重にも重ねられた色彩。深み。
カエルは人間になり僕の姿になろうとする。2人の僕が出来てしまってもいい。
人間は泳ぐ。心の欠陥を補うように泳ぐ。それを見てため息をつく窓辺の僕。
誰しも満たされない何かを抱えているというのはウソなんじゃないか。
あるいは、ウソをウソだと言える太陽のような光。暖かな陽射し。
夏の水は透明で。太陽の光を吸い込んで流れる。僕は1人で泳ぐ。向こうの家の窓からもう1人の僕が見ている。
雨粒が降って来た。
川は少し濁る。
僕は10匹の蛙の身体に分かれてバラバラに岸に散る。
レンガの建物。
水の中は乾いた土地だ。
その土地の空に雨が降る。水の中のレンガの建物は沈んでしまった。
僕が君なら、と呼びかける男。
女は私があなたなら、なんて考えないよ、と言う。
光。冷たい雪のような光。
突然大地の黒。沈んだ冬から芽吹く春。
春の水不足が夏を枯れさせて。
秋は永遠に来ない。
気持ちの悪い夏が続く。
病気で倒れる人々。
蛙の足が大きく見える。次第に足は小さくなり、蛙の全身が見える。泳いでも泳いでも岸にたどり着かない。
兵士たちが転げ回って駆け回る大地。
川の蛙は遠くの兵士たちの起こす戦争の煙を見つめる。
時は進んでいく。時計の針。
兵士たちも消えて蛙も消えて。
オタマジャクシがゆるゆると泳ぐ。
次第に元気に泳ぐ。
足が出て。手が出て。一瞬人間になったオタマジャクシは、緑色になり、蛙に変わる。
水彩画のような蛙たちと川の風景。
卵をにゅるにゅると生み出す。卵からオタマジャクシが生まれる。
オタマジャクシが昆虫に食べられる。
蛙の姿をした兵士が昆虫を食べる。昆虫は人間を食べる。
肉片が色鮮やかな赤。そして黒。殺人事件。いや、ここは戦争など無いのだ、そう思う。
銃や鍋が手に手を取って踊る。
それを窓から眺める僕。
巨大兵器が踊っている。
曇り空から光や雨粒が1つ1つ落ちてくる。枯葉も落ちる。桜の花びらも落ちる。
窓を閉めて出かける人間。これは僕なのか。たくさんの自分が道を歩いている。ビルの谷間、スクランブル交差点。
それらは遠い空から見下ろせばただの点でしかない。雲の上、雲の建物の窓から僕は見ている。
雲の上をスキーする人々。
溶けた雲。雲は綿あめ。
綿あめがちぎれて飛ぶ。少し悲しい気持ちで僕は地上から見つめている。
川の横に立つ僕。
川の流れを聴こうとする。
川は一定のリズムで流れる。
僕は橋の上から、もう1人の僕を突き落とす。川に流される僕。
川の流れ。岩に当たり砕ける僕の身体。
砕けると10匹の蛙になる。蛙は流れていく。
ピアノは終わった。
31分13秒。
続くような終わり方で、実際、リピートで続くのだ。この曲を1時間聴くとまた違う映像が見えるかも知れない。
秋の眠られぬ夜に聴くのも意味があるような曲だ。