美術日記2017.1.9.
徳村慎
1.横山大観
横山大観の絵を母と見た気がする。でも記憶は薄らいでいて、記憶とは、はかないものだなぁとも思う。過去の記憶と夢の中とが同じぐらいのリアリティになってしまうんだなぁ。
2.ドローイング網タイツ
網タイツからの発想。壁面に埋める感じに持ってくる。何故か頭の中はBABYMETALの曲がかかっている。(笑)
3.ドローイング、ヌード
シュッとした線に集約されて別物(抽象)になる手前。
4.日曜美術館 円空仏
一度観てるものをやっている。災害で母を亡くしてるとか言ってた。だから災害のあったところに駆けつけて仏像を彫ったらしい。円空仏の中に柔らかな表情があって僕は好きだ。
5.ネット「画伯」で検索。
かなり笑えるし、参考にしてドローイングを描くと良い感じだ。これもまたアウトサイダーアートと近いものなのだろう。
6.ヌード、ドローイング。
ドローイングの中で何かと一体になるか?……難しい疑問だ。一体にもなるし、離れることもある。美は離れることに近い気がする。しかし、離れすぎると抽象化が進む。一体になりすぎてもアウトサイダーアートのように抽象化が進むのだろう。美と一体になることは、対象と一体になることではない。
7.アプリ『スケッチ』
抽象画を描く。写真の上に描けることが分かる。
8.アプリ『ZenBrush2』
ヌードを筆で描く。肉厚な柔らかさが出てこれは良いドローイングだなぁ。
9.那智黒石のデザイン
家族と話しながら那智黒石のデザインを何個かラフスケッチで描く。
10.那智黒石お守り彫刻
花の窟神社の岩を模した彫刻をほどこした……お守りのような石。ここから発展していければ面白いかも知れないと家族と話す。
11.那智黒石お守りの台(焼杉)を作る。
父に焼杉のやり方を教えてもらう。ひとつひとつ出来ることを増やしていくことも大切。もちろん得意分野を高めることも大切。
12.YouTubeお札の作られ方、那智黒石に模様を彫刻。
切手サイズの銅板に彫り込み、銅版画になる。その技術の高さに驚く。僕も那智黒石の表面に小さな模様を彫るのに挑戦してみた。まだ上手く彫れないけど、挑戦し続ければ、きっと、と思う。
13.美術手帖2001年11月号
特集、村上隆。
うーん。古くはないような。考え自体は変わっていないというべきか。アートを楽しむ感覚からズレて自分がアートでなくなることがアート化であったり。例えば……落書きだと思ってたら→ヒップホップカルチャーのスプレーアートだったんだけど→やっぱ落書きじゃん……みたいな流れ。一周回ってやっぱ落書きなんだけど今度は自分が落書きの中に入ってるみたいな。それが目指すアート化かも知れない。
社会とか街とか、そういうものを求めて出るなり入るなり止(とど)まるなりしている時はまだ若者。いつの間にかその環境が馴染んでしまってるからこその大人というか。う~ん。ちょっと違うかなぁ?(笑)
今は自宅で都会的な音楽も聴けるわけで、田舎と都会の差が消えて、じゃあ、田舎ならではの魅力とか都会ならではの魅力は?……と考えてみる。そうすると田舎の魅力は自然が身近にあるってなってフィールドレコーディングも海の波の音とか鳥の声とかに行きがちではある。ビーチコーミングとかで綺麗な石を拾ったりしがちである。俳句の季語を自然の中から探しがちである。
そこが本当のフィールドか?……という疑問がちょっと思い浮かぶ。自宅がフィールドになってて。それはそうなるべくしてなったんだけど。シンプルに生きられる人は良い。モデルルームみたいな何も無い部屋にちょっと憧れる。しかし、そこに戻ることは難しい。ノーチラス号のように自分の集めた物に囲まれる。これが普通の人の至福なのではないか。
ノーチラス号が図鑑や絵画の本や知識の本や小説やCDやDVDや楽器なんかで満たされて、ふと集め過ぎじゃんって気付く。そうなると自分に制限することが楽しくて散歩のフィールドレコーディングとかもする。楽器を選ぶ。写真を撮る。しかし、自らフィールドに出て本物のフィールドは野外にあると思いがちだが、実際にはどうなのか、と疑問が出て来る。
インナースペースの探求は、夢を記すことや、小説やこうした駄文を書くことでも出来る。僕の場合はスケッチが神とつながる方法であったようにも思う。あるいは、ぬいぐるみで遊ぶこと。
最近読んだ『狂骨の夢』はインナースペースの探求の書としては素晴らしい効果が上がったと思う。夢は解釈無しで現実なのだというもの。それでも夢の探求の仕方は様々なんだとも思わせる。夢日記を書いていた時は解釈が気になったが、解釈しない方が広がるということに気づいて解釈しなくなった。解釈は駄文の中で少しだけ出せれば良いのだ。
フィールドとインナースペースの探求を超えて、道具(楽器やリューター)の機能に沿った使い方を考えたりもする。芸術は道具ありき。では道具の最大限の使い方を考えよう、というのが不協和音である。鉛筆で画用紙が破れるほど強く叩きつけるように絵を描くのもそれだ。
その探求もほどほどになるとリズムの変化を求めたりする。音楽ではリズムだし、絵では構図だ。
……というふうに村上隆とは考え方が違ってくるのだけど、スーパーフラットに出会えたからこその考え方だとも思う。
14.ハンドメイドサイト
登録を済ませる。そして情報を読む。送料を考えるのが難しい。まずは物が出来てからだなぁ。
15.YouTube『タモリ倶楽部』彫刻の股間表現
曖昧もっこり
葉っぱ
手で隠す
雲のような表現など。
男性裸体ブロンズ彫刻の股間表現は様々だ。規制との戦いが見られて面白かった。(笑)……これぞ美術だと思った。(笑)
16.TV(日曜美術館)『アートシーン』ヨーガン・レール、ナムジュン・パイク。
ヨーガン・レールは晩年、石垣島に移り住む。そこで海辺に打ち上げられたゴミを使ってオブジェを作る。
ナムジュン・パイクのビデオアート。
17.危機感。
自分のブログを見て危機感を薄っすらと抱く。
文芸日記2017.1.9.
音楽日記2017.1.8.
文芸日記2017.1.4.
音楽日記2016.12.27.
文芸日記2016.12.24.
音楽日記2016.12.22.
文芸日記2016.12.22.
美術日記2016.12.21.
文芸日記2016.12.20.
音楽日記2016.12.20.
つまり美術日記が少ないっ!
もっと美術に関することに興味があっても良いと思うけど、実際、文芸的なパラレルワールドへの興味とか音楽のストイックに作ったり影響を受けたりする世界に比べて、美術はインプットもアウトプットもものすごく少ないのだ。
18.太陽の写真を撮る。
太陽の写真って良いなぁ。エネルギーが感じられる。まぶしく暖かでアマテラス的な母なるものを感じさせる。散歩して写真を撮りたいなぁ。
太陽がアマテラスならガイア(地球)がイザナミか。花の窟神社の巌(いわ)はガイアだなぁ。そして海。
内に閉じこもらずに散歩したい。(インナースペースの探求は夜深夜や明けきらぬ早朝にでも出来る。)
19.硯の製作
徳村慎
1.横山大観
横山大観の絵を母と見た気がする。でも記憶は薄らいでいて、記憶とは、はかないものだなぁとも思う。過去の記憶と夢の中とが同じぐらいのリアリティになってしまうんだなぁ。
2.ドローイング網タイツ
網タイツからの発想。壁面に埋める感じに持ってくる。何故か頭の中はBABYMETALの曲がかかっている。(笑)
3.ドローイング、ヌード
シュッとした線に集約されて別物(抽象)になる手前。
4.日曜美術館 円空仏
一度観てるものをやっている。災害で母を亡くしてるとか言ってた。だから災害のあったところに駆けつけて仏像を彫ったらしい。円空仏の中に柔らかな表情があって僕は好きだ。
5.ネット「画伯」で検索。
かなり笑えるし、参考にしてドローイングを描くと良い感じだ。これもまたアウトサイダーアートと近いものなのだろう。
6.ヌード、ドローイング。
ドローイングの中で何かと一体になるか?……難しい疑問だ。一体にもなるし、離れることもある。美は離れることに近い気がする。しかし、離れすぎると抽象化が進む。一体になりすぎてもアウトサイダーアートのように抽象化が進むのだろう。美と一体になることは、対象と一体になることではない。
7.アプリ『スケッチ』
抽象画を描く。写真の上に描けることが分かる。
8.アプリ『ZenBrush2』
ヌードを筆で描く。肉厚な柔らかさが出てこれは良いドローイングだなぁ。
9.那智黒石のデザイン
家族と話しながら那智黒石のデザインを何個かラフスケッチで描く。
10.那智黒石お守り彫刻
花の窟神社の岩を模した彫刻をほどこした……お守りのような石。ここから発展していければ面白いかも知れないと家族と話す。
11.那智黒石お守りの台(焼杉)を作る。
父に焼杉のやり方を教えてもらう。ひとつひとつ出来ることを増やしていくことも大切。もちろん得意分野を高めることも大切。
12.YouTubeお札の作られ方、那智黒石に模様を彫刻。
切手サイズの銅板に彫り込み、銅版画になる。その技術の高さに驚く。僕も那智黒石の表面に小さな模様を彫るのに挑戦してみた。まだ上手く彫れないけど、挑戦し続ければ、きっと、と思う。
13.美術手帖2001年11月号
特集、村上隆。
うーん。古くはないような。考え自体は変わっていないというべきか。アートを楽しむ感覚からズレて自分がアートでなくなることがアート化であったり。例えば……落書きだと思ってたら→ヒップホップカルチャーのスプレーアートだったんだけど→やっぱ落書きじゃん……みたいな流れ。一周回ってやっぱ落書きなんだけど今度は自分が落書きの中に入ってるみたいな。それが目指すアート化かも知れない。
社会とか街とか、そういうものを求めて出るなり入るなり止(とど)まるなりしている時はまだ若者。いつの間にかその環境が馴染んでしまってるからこその大人というか。う~ん。ちょっと違うかなぁ?(笑)
今は自宅で都会的な音楽も聴けるわけで、田舎と都会の差が消えて、じゃあ、田舎ならではの魅力とか都会ならではの魅力は?……と考えてみる。そうすると田舎の魅力は自然が身近にあるってなってフィールドレコーディングも海の波の音とか鳥の声とかに行きがちではある。ビーチコーミングとかで綺麗な石を拾ったりしがちである。俳句の季語を自然の中から探しがちである。
そこが本当のフィールドか?……という疑問がちょっと思い浮かぶ。自宅がフィールドになってて。それはそうなるべくしてなったんだけど。シンプルに生きられる人は良い。モデルルームみたいな何も無い部屋にちょっと憧れる。しかし、そこに戻ることは難しい。ノーチラス号のように自分の集めた物に囲まれる。これが普通の人の至福なのではないか。
ノーチラス号が図鑑や絵画の本や知識の本や小説やCDやDVDや楽器なんかで満たされて、ふと集め過ぎじゃんって気付く。そうなると自分に制限することが楽しくて散歩のフィールドレコーディングとかもする。楽器を選ぶ。写真を撮る。しかし、自らフィールドに出て本物のフィールドは野外にあると思いがちだが、実際にはどうなのか、と疑問が出て来る。
インナースペースの探求は、夢を記すことや、小説やこうした駄文を書くことでも出来る。僕の場合はスケッチが神とつながる方法であったようにも思う。あるいは、ぬいぐるみで遊ぶこと。
最近読んだ『狂骨の夢』はインナースペースの探求の書としては素晴らしい効果が上がったと思う。夢は解釈無しで現実なのだというもの。それでも夢の探求の仕方は様々なんだとも思わせる。夢日記を書いていた時は解釈が気になったが、解釈しない方が広がるということに気づいて解釈しなくなった。解釈は駄文の中で少しだけ出せれば良いのだ。
フィールドとインナースペースの探求を超えて、道具(楽器やリューター)の機能に沿った使い方を考えたりもする。芸術は道具ありき。では道具の最大限の使い方を考えよう、というのが不協和音である。鉛筆で画用紙が破れるほど強く叩きつけるように絵を描くのもそれだ。
その探求もほどほどになるとリズムの変化を求めたりする。音楽ではリズムだし、絵では構図だ。
……というふうに村上隆とは考え方が違ってくるのだけど、スーパーフラットに出会えたからこその考え方だとも思う。
14.ハンドメイドサイト
登録を済ませる。そして情報を読む。送料を考えるのが難しい。まずは物が出来てからだなぁ。
15.YouTube『タモリ倶楽部』彫刻の股間表現
曖昧もっこり
葉っぱ
手で隠す
雲のような表現など。
男性裸体ブロンズ彫刻の股間表現は様々だ。規制との戦いが見られて面白かった。(笑)……これぞ美術だと思った。(笑)
16.TV(日曜美術館)『アートシーン』ヨーガン・レール、ナムジュン・パイク。
ヨーガン・レールは晩年、石垣島に移り住む。そこで海辺に打ち上げられたゴミを使ってオブジェを作る。
ナムジュン・パイクのビデオアート。
17.危機感。
自分のブログを見て危機感を薄っすらと抱く。
文芸日記2017.1.9.
音楽日記2017.1.8.
文芸日記2017.1.4.
音楽日記2016.12.27.
文芸日記2016.12.24.
音楽日記2016.12.22.
文芸日記2016.12.22.
美術日記2016.12.21.
文芸日記2016.12.20.
音楽日記2016.12.20.
つまり美術日記が少ないっ!
もっと美術に関することに興味があっても良いと思うけど、実際、文芸的なパラレルワールドへの興味とか音楽のストイックに作ったり影響を受けたりする世界に比べて、美術はインプットもアウトプットもものすごく少ないのだ。
18.太陽の写真を撮る。
太陽の写真って良いなぁ。エネルギーが感じられる。まぶしく暖かでアマテラス的な母なるものを感じさせる。散歩して写真を撮りたいなぁ。
太陽がアマテラスならガイア(地球)がイザナミか。花の窟神社の巌(いわ)はガイアだなぁ。そして海。
内に閉じこもらずに散歩したい。(インナースペースの探求は夜深夜や明けきらぬ早朝にでも出来る。)
19.硯の製作
那智黒石の硯を彫るのに、切断機と旋盤を使う。父に習う。
20.海で写真を撮る。
散歩すると海で写真を撮っている人がいて、やっぱりこの海の色は良いなぁ、と同じ感動を覚えて写真を撮る。
21.部屋でカリンバの写真を撮りコラージュ
コラージュが上手くいったように思う。木の質感が良い。
22.芦田愛菜ちゃんの写真を見る
やはり可愛い。これぞ美。美術なんです。ええ。そうなんです。誰がなんと言おうとも。
なるべく頭の中で可愛い子のデータベースを作っておかないと、いざ絵に描く彫刻をするといったときに可愛い子を造れない。だから見るのも大事。……だと思うんだよねぇ。