小説『潜水艦オリドンナノラ』上
徳村慎
1.オリドンナノラの艦長
僕は潜水艦オリドンナノラの艦長だ。いや、オリドンナノラ自体が僕だとも言える。岩礁の多い地帯をすり抜けて進む。潜水艦は平泳ぎのように進む。決してクロールではない。
オリドンナノラの乗組員たちは死んでも新たに生き返る。ただし、別の人格で。科学医療技術が進んで死体を生き返らせることが出来ても一度停止した脳を復旧させても元には戻らないのだ。しかし、別の記憶を与えて別の人間には出来る。はじめ我々はバックアップデータを作り、与えることにした。すると死ぬ前の記憶までしか再生されないため、半魚人たちと戦った時に同じ過ちを繰り返して死ぬことが多い。だから別の人間に作り変えることになったのだ。
半魚人たちは巣を持たない。それに群れで生活する時もあれば、単独で行動することもある。高い知性があり、人間よりも賢いとされる。ただ憎むべきはその思想でこの地球から人類を葬り、半魚人の支配する世界に変えようとする考えを持つのだ。この半魚人は他の惑星から来たものという意見もあったし、ロボットであるという意見もあったが、都市伝説では地球上で何者かによって造られたものではないか、というのだ。恐らくは科学者の手によってであろう。僕は実は真実を知っている。都市伝説は中々真に迫るものがあると知っている。
オリドンナノラの乗組員は僕以外全員少女で構成されている。小学生から高校生まで一貫の私立女子校のような雰囲気がある。いや、もっと規律の厳しい世界かも知れない。僕は唯一の男性であり、唯一の支配者だ。
ところが、半魚人たちも娘の身体つきなのだ。ちょうど高校を卒業したぐらいの娘の身体をしている。女性の半魚人に対する戦闘は男性では幾分甘くなる。それが危険だ。だから僕は乗組員を少女にした。それで女性の半魚人に対して厳しい戦闘が可能となったのだ。
少女たちは潜水服を着て海底近くで戦闘を繰り広げる。その撮影された映像を見たが、誰が誰だか分からない。戦闘での少女たちはクローン人間のように見える。それが乗組員というものなのだと僕は認識している。例えばアスカという少女がナナという名前に変わりさらにカオリという名前に変わってさらにミナという名前に変わった。何回死んで名前が変わり続けるのか。だから私は識別番号のみを覚えていて名前に興味は消えてしまったのだ。
少女の乗組員たちに死への恐怖は消えたようだ。死んでも生き返るのだから、と。しかし、今の人生は一度きりでもあるのだ。生き返った人間は別人になるのだから。少女乗組員たちはバルカン砲の弾のようなものだ。次から次に消費してしまう。僕は無情な人間として少女たちの目には映っているのだろうか?
2.『ピエル』第1章
*艦長室で『ピエル』という小説を読んだ。
夢だった。怪物はドラゴンのようであったが、もっと醜悪なものだった。バルカン砲で戦って退治した直後に別の怪物に腹から背中をつらぬくように刺されてピエルは死んだ。昔のことを夢に見るなんてな。
ピエルは布団の上で眠りから覚めると今記憶している夢を記すことにしている。どんなにくだらない夢の断片でも良い。とにかく記すことで何かが見えるんじゃないかと考えている。もちろん、100の夢を書いたところで見えないかも知れないけど。
でもピエルの見る夢の世界では画家として頑張っていたり、音楽家として頑張っていたり、趣味で小説を書いていて仕事がバリバリ出来たり。ピエルは色んな人間になる。時には殺人事件の被害者になったりもするけど、面白くてやめられない。奇妙な世界で王様になったり、妖精さんと恋に落ちたり。自転車レースをやったり、テニスの選手として頑張ったり。料理を見事な発想で作り上げたり。時にはゲームをやったり。
パラレルワールドを旅する方法はたくさんある。夢を見ること。イメージすること。小説を書くこと。いや、それらはアウトプットだ。TVや他人の小説を読んだりすることだって旅なのだ。それはインプットだな。
『ヴァリス』を読み終えてから小説が頭に入らない。それでもマンガは読んでいた。楽しい時間だ。僕が誰かに成れる時間。つまりは誰にも成れない僕が現実の僕であって。ファットみたいにドラッグに手を出せるならどんなに良いだろう。ぶっ飛んでドロドロになるヤツ。なんならそのまま死んでも良い。
これを読んだ17歳の僕ならこう言うだろう。「馬鹿だな。自分の人生を歩めないのかよ。思い通りになるように努力するんだよ。絵を描け。絵は全てを表現出来る手段だ。ドラッグよりもぶっ飛べるぜ」
あるいは20歳の僕なら「音楽理論の解析と自分の音楽理論の発見が楽しくて眠れないんだ。眠りたくない」なんて言うんだろう。
怪物たちは暴れまわりピエルは死んで生き返ってを繰り返す。科学医療技術が発達するということは死ぬことが出来ないということだ。怪物たちがどこから来たのかは良く分かっていない。ピエルは生き返ってバルカン砲を手に戦うのだ。
僕とサンダとアリマは連絡のみで顔はほとんど合わさない戦友だった。「ピエル、お前はどんな女が良い?」とサンダが訊ねる。僕は答える。「どんなのでも良いよ」そうだ。どんなのでも良かった。獣じゃなくて人なら。いや、それすらも怪しい。獣やロボットだったとしても愛に変わりは無いんじゃないのか?
戦争経験の間は暇になると『テニスの王子様』や『カードキャプターさくら』などのアニメなんかを良く観た。戦争からなるべく離れた世界が楽しかった。大人なのに屈折していると思いつつも見続けた。これもロリコン化する原因なのかも知れない。
5年間の戦争経験を積んで故郷に帰った。「あの人は戦争の兵士としてしか働けなかったんだ」と誰ともなしに言われるようになった。近所を散歩しても、少し遠い本屋に出かけても言われている気がした。「ピエルはダメなヤツ」と自分でも自己卑下した。
何故か大阪の砂漠には5mぐらいの少女のトルソーが埋まっていて怪物たちはそれを奪うためにやって来るのだという話だ。少女のトルソーの写真を見たが貧乳でぽっこりお腹(なか)の可愛いものだった。まさに理想だ。