夢日記2016.9.17. | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

夢日記2016.9.17.

徳村慎



1.オーディションの夢。


音楽だかダンスだかをやっているオーディション。女子にくっついて密着型のもの。



2.マンガ『オーバーレブ!』っぽい夢。



3.カード(アプリ)「9つのクリスタル」狭さ。

4.カード(アプリ)

大切にしたいこと「mars」闘争。
避けたいこと「大鎌」危険の前兆。


5.カード「ホームのエンジェル」

あなたの家(部屋)にジャンクはありませんか?……外と内に。

というのを引いた。ジャンク(ガラクタ)がジャンクでなくなっていた時は消えて、やはりジャンクがジャンクとして機能しているのだ。だから心の内のジャンクは存在する気がする。というか人生のジャンク部分を抱えてしまったような。

3DSとiPhone5sと、使ったとしてもウクレレ。こういうガジェット系だけが生き残ったというか。普通の楽器からは心が離れてしまっている。ガラクタドラムでもなく、シンセサイザー(キーボード)でもなく。風邪になってから余計に自分を拡張することが難しいな、と感じたり。

最近は仕事から帰ってもまた眠ってしまって夕方起きてTV観たりしてまた夜に眠るようなことも多かった。だから夢日記なんかが書けるわけで。だが今日は夕方眠らなかったから体調も良くなっているのかも知れない。

夏風邪が治った今も、精神的な支えみたいなものを求めてスピリチュアルなサイトなんかを回ったりタロットカードのアプリなんかを使ったりする。自分が船だとすると羅針盤が無くてどこに向かうのか分からないような状態だな、と思う。(自分を船に例えたのはアプリでジャンプの海賊のアクションマンガ『ONE PIECE』を読んでいるからかも知れない。)

自分を周りに導いて欲しいだけなのだろうか?……周りとはネット上の言葉だとか、タロットのアプリだとか、他にも色々、人や物なのだろうか?

夢がパラレルワールドに感じるよりも今日の夢は映画のようだった。女子が主人公の映画だ。自分が女子に生まれても今の自分と大差無いだろうな、と思う。だから元気な普通の女子が出てくるものはパラレルワールドであると感じないのだろう。次第に夢からパラレルワールド感が消えていくのだろうか?

僕にとって現実はつまらないものなのだろうか?……確かに最近、目標とかが消えて、風邪にかかった頃は「生きてて良いのだろうか?」と考えた。叶えたい夢とかが泡のように消えてしまった。夏風邪前後で僕は変わってしまったのだ。

ストレスがかかると食べて、嬉しいことがあっても食べて。結局、食べることが好きなんだなぁ。最近は肥満で成人病になりそうで怖い。あれは春だったか(通信制限がかかってアメブロで確認出来ないが)ダンス映画観てタップをやってみても足が痛くて何より心肺機能が弱まっているらしくてその頃からすでに肥満だったのだ。

思えば肥満でもあの頃は動いて楽しんでいたが。ダンスをやりたい、というよりも身体を動かすのが気持ち良かった。ロックバランシングの写真とかも、やっぱ田舎に住んでて良かったってアピールも無意識にあったんだと思う。今や田舎に住んでるのに外に出ていない。写真の数はグッと減ったし、もっと言えばドローイングの数も減った。彫刻も夏風邪を境に自分の作りたいものが無くなった。(今は、仕事としての干支なんかも少しやっていて、それはそれで面白いけど。)

目標がどうも「生きること」みたいな感じになってて。それはそれで良いのかもな、と思う自分が居て。強烈にやりたいことが無いのか、人並みにやりたいこと(ネットサーフィンなどの日常)を過ごしているのかは分からない。

原田ピストルって人の『Live in和歌山』っていう歌が「生きろ」なんて歌っているのを聴くと元気がもらえるけど、でも僕の生き方は何なのかってところの答えは自分で探すしかないわけで。(そりゃ当たり前だ、と言われそうだが)

サラリーマンの人で「いや、人生ってそういうもんでしょ。コイツは何を言ってるんだ?」という方も居るんだろうな、とも思う。確かにそうだ。目標なんて日々暮らす中での小さなことをこなしていくだけなんだから。

それでも40歳を前にして(正確には今年10月で38歳)思う。40歳までに生き方を変えられなかった人は生き方を変えられないっていうのは本当かも知れない。今さら結婚願望どころか恋愛願望も無いわ、というイジケてるのか悟りなのか分からないようなのに直面して。その悟りというか諦念というのか、そんなのがブワーっと何事に対しても襲い掛かって来て。で、大きな目標が無い、という。

夏風邪以後そういうのを何度か書いてるということは、自分的には大事件ってことなんだろう。でも、これから尖った事も言わず、(書かず、)丸くなるだけなのか?……とも考えてしまう。

ドローイングを描くことが消えて、音楽が消えたら、小説とかの芸術意欲も消えて、ドンドン日記で書くことが減って、夢さえも見なかったらどうしよう?……アメブロに書くことが消えたら。これが一番怖い。TwitterとFacebookに書かなくなってAmebaだけが唯一のSNSになってるから、本当に自分が消えたも同然になったりしたら。

Amebaブログやめたら自殺するかどうか、と言われるとたぶんしないとは思うけど、廃人だな。リア充過ぎてブログが書けないなんて言ってみたいけどねぇ。あ、それを目標にするか。「リア充過ぎて」と言うのを目標に頑張るか。

怖いことを考えずに楽しく考えないとな。「リア充過ぎて」と言えるには、どう努力するか。





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