感想
『スタンフォードの自分を変える教室』
ケリー・マクゴニガル
神崎朗子 訳
▼"意志力の問題は、いずれも2つの自己のせめぎ合いから生じます。"
2つどころか何個もあるぞ!
TVにするか、本を読むか、ラジオ聴きながら寝転がるか、音楽作るか、ドローイングを描くか……みたいなのがほぼ同時に現れて。悩んだ末に大抵TVになる。TV見ながら音楽しようとウクレレなんかを持っていく。
しかし、2つ同時にやると完全なダブルタスクではなくどちらも半分以下の処理しかしていないことになり、生み出された音楽は芸術性が低く、TVの内容もほぼ覚えていないことになる。TVの前でドローイングを描くとドローイングに集中することが多い。TVはBGMになってしまう。本を読みながらラジオを聴くのもラジオが邪魔することが多い。しかし音楽の無い状態で読んでも案外続かない。無音だと集中出来るがその意味にのみ捉われやすい。少し音楽が走ってる状態での読書の走った感じがあると一番情報量の読み取りが上手くなる。フィルターが丁度のところにあるというか。細かすぎず粗すぎず。
▼中脳の一部を損傷した女性が「恐怖」や「嫌悪」を感じなくなり父親や兄弟にたびたび性的な誘いをかけたりするようになってしまった。
何故、男性は近親相姦もののAVにハマるのか?(需要があるのか?)禁止されることで欲望は増幅するからだ。現実に母親とヤるのを想像したら気持ち悪くて仕方ないが。妹系アイドルを考えれば、むしろ禁止されることをやることで興奮するスリルも分かる。ドラッグが禁止されていなかったらスリルは半減して若者は、やらないような気もする。しかし、著者は「恐怖」「嫌悪」が大事なのだと言う。欲望の制御が可能だからだ。本来、禁止されているとしたくなるのが人間だ。
▼瞑想
この本では瞑想をすすめている。確かに5分タイマーをセットしてやってみると気持ちが良い。①動かずにじっと座ります。②呼吸に意識を集中します。③呼吸しているときの感覚をつかみ、気が散りはじめたら意識します。というもの。簡単だがやってみると脳内が軽くなったような気分になる。
▼散歩
散歩も瞑想と同じく意志力を向上させるのに良いらしい。また散歩を再開したいな、という気分がある。疲れさせない程度での散歩を考えたい。これからの課題である。
▼誘惑
良い暮らしをしたいという目標が良い消費をしたいという誘惑にすり替わる。良い暮らしとは心豊かな暮らしであって豊かな消費ではない。
または浮気相手を求めることや、ダイエット中なのにチョコレートに魅力を感じること。何らかの抑制が褒美を求めるらしい。
長期目標を立ててそこに真っ直ぐに向かうことがこれほど困難だとは思わなかった。しかし、考えてみれば長期目標とは子供の頃からの夢でしかない。そう考えれば無理も無く長期目標へと向かって生きるだろう。
芸術家(漫画家、画家、音楽家)になりたいという夢が今の自分の仕事や趣味となっているし、科学者になりたいという夢が時々書くSF小説みたいなものになるのだろう。あるいは哲学者になりたいという夢がこうした感想などの文章になっている気がする。自分のやっていることの全てに理由があるのだ。僕の長期目標はやはり芸術家だ。正確には那智黒石彫刻家か。仏を作るというのは仏像彫刻をするという意味の他に神仏への信仰や哲学の体現であるとも考えられる。
幸せな家庭を夢見た女性は結婚で夢の第1部が終わるだろう。しかし自分の幸せと家庭の幸せを同時に満たすのは案外難しいかも知れない。いや、女性と書いたが僕も同じなのだ。幸せを夢見てしまう時もある。僕の性格には難があるので結婚は無理だと思うが。自分の幸せを第一に考えて行動するから他人は二番目以下である。自分と同等に扱える人間がこの先現れるとは思えないのだ。せいぜいアイドルが可愛いな、ぐらいの気持ちしかないだろう。そのアイドルはいつでも切れるという存在だから可愛いのかも知れない。……そうなると妻とか子供とかの存在が居ない僕は本当の意味では人への共感など無いのかも知れない。
しかし、これも共感こそが愛であるとの認識から生まれる思考であり、愛を仏と言い換えれば、共感も共感しないことも仏なのだ。
自分にとって害をなす人や物を遠ざけることも大切かも知れない。浮気相手やダイエット中のチョコレートは遠ざけるべきだ。結局、本能的に付き合いたくない人は避けるべきだろう。嫌いな人はもちろん、好き過ぎる(浮気相手になりそうな)人も。仏は中道である、とはいろんな意味に取れて面白い。しかし、自分を変えることは仏であるか?……難しい。この根本の問題があるから『スタンフォードの自分を変える教室』を買うのを何度もためらったのだと思う。
本を買うのもストレス発散のためかも知れない。良い本を持っている、というのは良い本を深く理解する、ということであって良い本を買ったという満足ではない。けれども僕は本を買えば読まずに半分は満足してしまう。計画を立てただけで仕事を終えた気分になるのだと、この本は言っている。買い物依存症は結局、買ったことで買った物の機能とは関係無く満足することなのだろう。
人と人のつながりも買い物依存症に似ている部分もあると思う。FacebookなどのSNSで多くの人とつながっているという錯覚に近い思い。LINEやメールで24時間耐久レースか?……とツッコミを入れたくなるハイテンションな自分たち。ほどほどにしておけば良いとは思うんだけど。Amebaブログでもちょっと気になると思えば読者登録してあまり読みに行かないとか。読者登録の時点で満足してる自分が居る。(笑)
▼明日も同じ行動をする
人間は今日やったことを毎日続けてしまう人間らしい。タバコをやめようとしても「明日やめる」言い訳をして結局毎日続けるものらしい。だからやりたいことがあれば今日やるべきだ。……僕にとっては「散歩」だな。あるいは先程とは矛盾するようだが「買わねばならない本を買う」こと。『イエスマン』という映画を観たが、とにかく何でもイエスと答えて今日やるってことなんだろう。……と書いてる今、休日はカロリーあまり摂らないようにしようと思ったのに炭水化物食べちゃったし。(泣)
▼禁止より実行
面白かったのは「やらない」ように禁止されるとそのことばかり考えてしまう、ということ。だからダイエットはかえって太る原因になるのだという。
コーヒーを飲まないようにしよう、という禁止ではなく、紅茶を飲もう、という実行の方がやりやすいという。あるいは、遅刻しないようにする、ではなく、一番乗りするようにする、という方向に変える。
自殺を考えないようにするのではなく、自殺のことも考えていいが、自殺そのものを実行しない、という方が良いらしい。自殺を考えないように心掛けるとますます自殺を考えてしまうのだという。
やりたいことの優先順位が長期的な目標に合致していることが大切らしい。
う~ん。僕の長期的目標かぁ。本をたくさん読みたいとか、那智黒石で神仏の像を掘り続けたいとか、音楽も今の通りにやり続けたいとか。時々は小説も書きたいとか。長期的目標としては今をどれだけ続けられるか、だ。10年後の自分は今のことをやり続けながら少し上手くなっていたい、と思う。
やる力、やらない力、望む力。やるのは芸術系の趣味と仕事をやり続けること。やらないのは、やはり最近肥満だから、食べ方を考えたり、散歩したりしたい。ラジオ体操は1週間ほど前からやるようになったが。望むのは10年後も健康に今と同じ自分でいられれば、それで良しとしたい。
というのも最近、落ち込むことが多いのだ。前までは「これでいいんだ」と思えたことが「これでいいのか?」と思えたりして迷いが生じたのだ。自分の中の理想像を求めるのではなく、他人との比較をするようになってから、迷いが生じた。これを軌道修正してもう一度自分との戦いに持ち込まねば、自分を殺してしまう。自分を殺せば、それこそ何も残らない。何も。
今、楽器もある程度揃ったので、そんなに欲しい楽器も無いし。10年後までに無理に読まねばならぬ本も無い。読みたい本はほぼ手に入れているし、『源氏物語』などは読み終えていないので10年後までに読み終えたいとは思うが。そんなに今とは変わりないと思う。ダリとダダイズムについての美術書が欲しいとかはあるが、それもすぐにクリア出来る目標だからいい。(早く探して買えよ、という自分へのツッコミを入れつつ。笑)
ああ、ダダイズムの作品を作ってみたいとちょっと思ったりはする。海岸に打ち上がったゴミをアッサンブラージュして何か作れないかな?……とか。これも散歩でビーチコーミングをやりたいとか色々とつながる。昔は海で拾った流木で彫刻したりもした。
10年後ではなく、今年の目標みたいなことしか思いつけない。これでいいのだろう。たぶん。一歩ずつ。(笑)
徳村慎
