随想『ぽつり』2016.8.4.
徳村慎
▼Facebookの友達
久しぶりにFacebookを見に行った。これまでは皆んな自慢ばかりだと感じていたが、今は皆んなギリギリだろうが頑張ってるんだと思った。
Facebook友達の木工彫刻の方の作品にも久しぶりに「いいね!」を押した。あの人も頑張っているんだな、と思う。「100歳になったら仙人になり」とか「ひきこもって彫刻作ってました」とかが共感出来る。いろんな出会いがあったことを否定するのは、やめようと思った。
あと無農薬農家の方にも「いいね!」を押す。無農薬で農業を続けるのは大変だろう。信念を持って貫くのは容易くはない。虫喰いの葉っぱを鶏のエサにしたりして上手くやっているがそれも厳しい状態でのことだ。外国産や農薬を使った安い国産農作物が無農薬農家のような真面目な農家を廃業に追いやるのだ、といつも語っている。その通りなのだろう。
油画を描く元高校の教師で恩師にも「いいね!」をした。僕が美術の方面で頑張れたのも恩師あってこその部分もある。恩師が油画を描いているのを僕はおそらくうらやましいと思っているのだ。だから恩師の油画を批評してしまうのだろう。それに気づくと僕は申し訳ない気持ちにもなった。
地元に住んでいるプロのシンセサイザー奏者にも「いいね!」した。合同セッションで演奏させてもらったのが今では良い思い出だ。あのシンセサイザーのコレクションは僕に多大な影響を与えた。旦那さんはボイスパフォーマーでギターやリラも弾く。そっちもものすごく影響を受けた。
皆んな自分の職業に誇りを持って頑張っている。僕も那智黒石の彫刻をやり続けて誇りだけは負けないように頑張りたい。
▼勝つとは何か?
勝つとは何か?……それを考えてみようと思う。人によっては富を持つことだったりする。あるいは技術。あるいは心の平安とか。これらの中で勝つ方法を選ぶとするなら自然他人との争いで勝つことから離れてしまう。やはり心の平安になるだろうか。
この場合、心をかき乱させれば勝ちだと思う恋愛マスターも居るかも知れない。自分の中に求めているものが明確な場合は心の平安は得やすい。しかし、何も無しで心の平安は得られるのだろうか?
明確な勝敗にこだわっている世界からは遠ざかりたく思う。それでも僕が誰かと違うのだ、という誇りが無ければ心の平安は得られないのではないか、とも思う。
お坊さんが何も持たない生活をするにあたって、これだけの修行をしているのだから、と誰かと比較することなく平安が得られるだろうか?
勝敗のみが決まる世界が小さいと思う一方で僕はどこかしら勝ちにこだわっていたのではないか?……自分も小さな世界で生きているのではないか?
例えば自分の中で譲れないものを発見してそれを磨き上げることも勝ちだと言える。
徳村慎
▼Facebookの友達
久しぶりにFacebookを見に行った。これまでは皆んな自慢ばかりだと感じていたが、今は皆んなギリギリだろうが頑張ってるんだと思った。
Facebook友達の木工彫刻の方の作品にも久しぶりに「いいね!」を押した。あの人も頑張っているんだな、と思う。「100歳になったら仙人になり」とか「ひきこもって彫刻作ってました」とかが共感出来る。いろんな出会いがあったことを否定するのは、やめようと思った。
あと無農薬農家の方にも「いいね!」を押す。無農薬で農業を続けるのは大変だろう。信念を持って貫くのは容易くはない。虫喰いの葉っぱを鶏のエサにしたりして上手くやっているがそれも厳しい状態でのことだ。外国産や農薬を使った安い国産農作物が無農薬農家のような真面目な農家を廃業に追いやるのだ、といつも語っている。その通りなのだろう。
油画を描く元高校の教師で恩師にも「いいね!」をした。僕が美術の方面で頑張れたのも恩師あってこその部分もある。恩師が油画を描いているのを僕はおそらくうらやましいと思っているのだ。だから恩師の油画を批評してしまうのだろう。それに気づくと僕は申し訳ない気持ちにもなった。
地元に住んでいるプロのシンセサイザー奏者にも「いいね!」した。合同セッションで演奏させてもらったのが今では良い思い出だ。あのシンセサイザーのコレクションは僕に多大な影響を与えた。旦那さんはボイスパフォーマーでギターやリラも弾く。そっちもものすごく影響を受けた。
皆んな自分の職業に誇りを持って頑張っている。僕も那智黒石の彫刻をやり続けて誇りだけは負けないように頑張りたい。
▼勝つとは何か?
勝つとは何か?……それを考えてみようと思う。人によっては富を持つことだったりする。あるいは技術。あるいは心の平安とか。これらの中で勝つ方法を選ぶとするなら自然他人との争いで勝つことから離れてしまう。やはり心の平安になるだろうか。
この場合、心をかき乱させれば勝ちだと思う恋愛マスターも居るかも知れない。自分の中に求めているものが明確な場合は心の平安は得やすい。しかし、何も無しで心の平安は得られるのだろうか?
明確な勝敗にこだわっている世界からは遠ざかりたく思う。それでも僕が誰かと違うのだ、という誇りが無ければ心の平安は得られないのではないか、とも思う。
お坊さんが何も持たない生活をするにあたって、これだけの修行をしているのだから、と誰かと比較することなく平安が得られるだろうか?
勝敗のみが決まる世界が小さいと思う一方で僕はどこかしら勝ちにこだわっていたのではないか?……自分も小さな世界で生きているのではないか?
例えば自分の中で譲れないものを発見してそれを磨き上げることも勝ちだと言える。
▼那智黒石の次の一手
那智黒石の次の一手を模索している。商工会議所関連の取り組みに参加した。マーケティングによるマッチングさせるものと地元のデザイナーさんが売り場を見直してくれるものの2つ。
プロダクトアウトは企業側がお客様に商品を提案する形。マーケットインはお客様が何を求めているかから商品が生まれる形。
マーケットインは新たな取り組みで面白い。(食品ではなく)工芸品のビッグデータを持つ人物を引っ張ってこれるか、だが。取り組み自体は面白いと思う。ただ、ビッグデータというのがどの程度の時間で変化するものか?……とかマーケティングというのを後追いすることで変化に対応出来るのか?……という疑問はある。求めるものを作るならオーダーメイドが一番良いってことになり、小ロットでの一品ものが工芸の世界では最高のものだ。それはビッグデータを活用出来るものとは少し違ってくるかも知れない。
地元のデザイナーさんとの話し合いで売り場を改善するのも簡単なようで中々難しい。その中でポスターによる商品への誘導が一番納得出来た。現時点での案としてポスター自体のデザインが何より良い。ポスターを張ることで委託での小売店の1店舗目は具体的に見えて来たが、2店舗目が難しい。デザイナーさんも改善案は出して来たし、僕たち那智黒石共同組合の皆んなも考えてはいるのだが、どうすれば良いのかが方向さえあまり見えない。デザインとか改善ってこんなに難しいんだなぁ、と思う。
先程は明確な勝敗はダメと語りながらも、売り上げというのは確保したいから生き方としても矛盾するかも知れないけど、商売は商売としてキッチリしたい。組合でも話したが魅力ある商品があって売り子さん(販売店員さん)がオススメしてくれるような店舗は、那智黒石に関しては時代の流れでもう無いのだ。やはり、そうなると商品ディスプレイで勝負するしかない部分もあって難しい。改善しなければならない点はたくさんある。でも改善する具体案を出すのは非常に難しい。
那智黒石がもっと地元にも認知されるところから、はじめるべきかも知れないし、そうなると僕たちの努力ももっと必要なのかも知れない。