小説『宇宙次元軸均衡』
徳村慎
SF作家ラルドアッシュが原稿を前にしてコーヒーとお香とを楽しみつつ次なるSF小説のネタを練っていた。
宇宙がもし縮小しているなら、何処かに拡大しているのかも知れない。次元の1つの軸が正に向かい、もう1つの軸は負に向かう。例えば時間が逆行する世界だとか。食べるほど痩せて小さくなってしまう世界だとか。止まっている時ほど高速で進んでしまう世界だとか。
コーヒーをひとくち飲むと主題がハッキリとした。……母親が豊かな乳房からミルクを乳児に与える。すると大きくなって乳児は幼児へさらに児童にそれから少年は青年となり中年へと進む。そして母親は栄養を与えて小さくなる。乳を与えられた子供は大人に変わり、母親は赤子に変わり、逆転して育てるのだ。
精神的ミルク、なんて考えはどうか?……精神が軸を進んで大きくなったり小さくなったりする。……ふーむ。僕の考える世界が異次元に存在するならば、それも精神的ミルクである。いや待て。異次元へと進む軸が枝分かれすれば乳児、幼児、児童などといった者たちは全て別の世界で生き続けるのかも知れない。私という意識がその別の肉体間を飛び回り未来へと進んで行くかのように感じるのだ。
僕はそこそこ売れるSFを書いているが、そこそこ売れるというのは、そこそこ売れないのと同じなのだ。そうだ。お金が無限に存在する世界があるのではないか?……いや、どうだろう?
貧乏神に取り憑かれた人の軸と金持ちの神様が可愛がる人の軸。その軸は同じで一方が増えれば一方は減るのだ。しかし軸がX軸だけで動かずに急にY軸へと動いた場合を考えよう。いきなりお金は増えず減らず全ての人が一定数から変化しない世界。……これは実世界のようで面白くない。あくせく働いて増えているように感じるがその実何かが減っているのかも知れない。働き詰めの人間は時間を失う。高校時代から趣味で始めたSF小説もプロになると仕事だ。悩んで髪の毛をかきむしる日々。僕とホームレスと、どれだけの差があるんだ?……ホームレスが捨てられた弁当や野草を探して食って生きるのと、SF小説のネタを探して食って生きるのと差があるだろうか?……ふーむ。
僕らは宇宙人に侵略される映画を観たりする。しかし、僕らが生きているだけで誰かを侵略していないだろうか?……実は小さな生命体が隣接するひねった次元に住んでいて、何時(いつ)の間にか侵略してしまっているのだ。僕らも侵略されて侵略して。そんな網目状の世界が互いを吸収して分裂して軸が互いを影響しあっている。
ギシリと音を立てる。僕が椅子にもたれたからだ。いや待てよ。椅子も1つの世界かも知れない。椅子が生命で僕は無機物のような世界も考えられる。風のように砂を運んで砂漠を作る。砂漠に住む人々は外へ出ようと旅を続ける。しかし、何(いず)れ砂漠に取り込まれて人々は死ぬのだ。別惑星なのかも知れない。
ただ風を怖れる人々。しかし、その内風を利用する事を覚えて砂の上を進む橇(ソリ)を作る。そんな文明の世界。橇は帆を張って進む。砂の中をサメが泳ぐ。サメから逃れるために犬を殺して砂に投げ捨てる髭面の男性シャガ。子供ルンドは大切な犬を殺されて泣き叫ぶ。砂から全身を現したサメが犬を食べる。「ようやく、逃げられたで。泣くな。サメに食わさな、俺らが食われるんじゃ。ルンド。な、泣くな、もう」
巨大な橇船で出来た街へと進む親子。
「よう、取れたのぉ。がいなアザラシじゃわい」肉の店のお婆さんがシャガからアザラシを受け取り貝殻のお金を払った。シャガはルンドの手を引いて酒を買った。橇に戻ってアルコールランプに火を点(つ)ける。その巻き起す風が軽いパタパタ鳥の羽根で作られた精密モーターを回して電気を生み出す。自動ドラムが、ブリキの缶や紙の箱を叩いたり小さなシェイカーを振って、小さな音でリズムを奏でる。三味線でメロディや時折和音を弾くシャガはヒューマンビートボックスでベースとドラムをも口で刻み、音楽を生み出す。泣き顔だったルンドも小さな声で歌を歌った。即興でサメを逃れた自分たちの事を神に感謝したのだ。
しかし、突然サメの群れがやって来た。頭部に機械が付いている。「侵略だぁ。もう、この街もアカンもん。早(は)よ逃げんと」人々はお婆さんの声に従って砂の上の橇船を解体して一斉に逃げ始める。しかし、サメたちは次々に橇船を襲って人々を殺し食ってしまう。
シャガが震えるルンドの背をさすりながら前を見つめる。「だいじょぶやで。だいじょうぶや。心配すんな。アザラシもたんと食わせたるで。また、生き残ったもんらで街作ったらええんじゃ」砂漠に風が吹く。侵略者が機械でサメを操り街を破壊し尽くして食べ物や女たちを奪ってもシャガには、どうしようもない。ただ風が橇の帆をはらませて前に進むだけだ。
SF作家ラルドアッシュはペンを置いた。原稿は少し進んだ。窓の外を見ると美しい青空だ。散歩をするか。異世界は何処(どこ)にだってあるんだ。ポケットにスマホとメモ帳とペンを突っ込んでブラブラ街なんか歩いてみようと思い立つ。そうだ。本屋にも寄ってみよう。あれも異世界の宝庫なのだから。
(了)
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