随想「歩み」3
徳村慎
葉っぱの重なり。重なる層をレイヤーなどと言う。芸術論で「凄い芸術はレイヤーが何百も在る」と書いてあった。確か『美術手帖』で村上隆が書いていた物のように思う。
レイヤーとは言わば、見る側を芸術作品に感情移入を導く引っかかりの事だ。引っかかりが沢山有れば人々は芸術を感動(購入)してくれ易い。芸術を商売としてしか見ていないのか、と叱られそうだが、「武士は食わねど高楊枝」とはいかないのが資本主義社会なのである。(汗笑)
レイヤーは作品が「こう解釈出来る」という見え方の事だとも言える。解釈が様々に有れば作品の鑑賞者が増える。→本当に商売っ気の有る言い方で申し訳ないけど。
これを考えると美術では、抽象絵画やそれを突き詰めたデザインが世に出回る物として最も多いのも理解出来る。
逆に言えばデザインとは押し付けがましくない美術なのだ。
ノートの色は黄色だろうが青だろうが何でも良いのだが、単純な程受け入れられ易い。もちろん、日記を書くにはフリフリの絵柄で、作業用のノートは罫線がクッキリした物で、図面が多いならばマス目が多いノートで……、と使い分けるならばアレコレと個性の有るノートが思い浮かぶだろう。しかし、汎用性の高い実際に売れるノートは単純なデザインの物だ。
「大衆はメジャーな大作を期待せずにニッチ市場へと変わっている」と現在の経済では言われている。
成る程、かつての映画から比べてメジャーな作品がメガヒットを生み出す事は無くなった。映画は小さなヒットだけで食っていく業界へと変わったのかも知れない。
いやいや、果たしてそうだろうか?
確かにニッチになった。しかし、今もヒットをしているのは軟弱な物だ。子供から大人まで楽しめると謳った映画ばかりではないか。ダウンロードなどで映画館に観に行く事自体が減ってしまった現在。スマホが現在の映画館なのだ。本、写真、新聞、ラジオ、レコード、映画、TV、CDなどなどのメディアがダウンロードという魔物に一括されただけだ。スマホ最強、みたいな感じだ。(笑)
今の映画のヒット作に僕が不満タラタラなのは、テーマの希薄さに起因するのではないかと思える。レイヤーだけを求めるのじゃ駄作になるのだろう。だからニッチな物に大人は目移りしているのだ。本当はニッチなんか求めていないのかも知れないのに。そうすれば昔から残る小説の強さが理解出来る。昔にも悪い物は沢山出ていて時代を経て淘汰されたから今に残るオールディーズが名曲揃いであるのだ。単純に「昔は良かった」という話ではない。
小説の機能の強さは想像力を限界まで引き出す事にある。昔の芸術の方が欠けている分だけ完成されている。小説や詩のように文字だけで映像や音楽の無い方が良い場合が多々有る。それではいっそ絵の動かない漫画の方が良い場合もあるんだし、音楽だけの方が訴える力を持つ場合も有るだろう。
結論を言おう。テーマは、しっかりと持っていながらレイヤーを感じさせる。これが良い芸術ではないか。そのレイヤーを奪うのが(想像力を奪う)マルチなメディアであったりもするのだと思う。古典的な芸術への可能性を最近は物凄く感じるのだ。
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