小説Tシリ『風邪と一歩』 | まことアート・夢日記

まことアート・夢日記

まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

小説T-BRO'Sシリーズ
『風邪と一歩』
徳村慎


兄が風邪で倒れて、僕だけで作品製作をしていた。作品の発表日まで、あと僅かの日数。

ゴホッ、ゴホッ。咳が出た。
僕まで風邪に罹(かか)ったのか。

握力の落ちた指先が震えて、グラインダーに指先が擦(す)れた。火傷しそうな熱さ。乾いたグラインダーの砥石が、やたらと怖く感じる。グラインダーのスイッチをOFFに入れて休憩に入る。自分の椅子に座ってお茶を入れたら、頭の中が白く霞んだ。

何分か経ってグラインダーの前に立つ。お茶は、ひと口飲んだだけ。咳が続けて出て来る。痰が絡む。汗が流れる。もう、あと少しなのに。自分に腹が立つ。

工房内の作業を行う機械から機械へと駆け回り、脚が、もつれた。くそっ。くそっ。

膝に手を遣(や)り息を整える。しかし肺が勝手に動き続けて咳が止まらない。くそっ。ちくしょっ。

風邪になんか負ける弱い自分じゃない。そう思い込もうとしても頭が微かに痛む。この頭痛は締め付けられる様な感じだ。

痰を吐き捨て、咳が治(おさま)ると再びグラインダーに向かい合う。石と砥石が擦(こす)れて小さな火花が出た。火花が飛んだ、というよりは、石自体が焼けた炭の様に赤く灯るのだ。石英質の多い白色の御浜小石は、透明な成分が多くて赤い光が隣の結晶を透かして見える。

何が僕の夢だったのか。ふと思った。幼い頃からクレヨンを握って離さなかった僕は、大人に成って家業の那智黒石の製造加工に携わる。夢を追って来たのか、どうなのか。叶えられたのだろうか?

叔父の訃報を聞いた時に浮かんだのは僕が見た最期の姿だ。「お前は何(なん)か持っとると思うから、絶対に何か成し遂げると思うわ」切れ切れにそんな言葉を遺(のこ)してくれた叔父。

果たして僕に何かを成せる力が有るのか?……この僕に?

じりじりと暑さを増す工房。風邪で疲れた身体を動かすと石は少しずつでも形が出来て行く。

午前中は焦ってウスイ石(烏翠石、那智黒石の事)を割ってしまった。グラインダーで熱を加え過ぎたのだ。元々、ウスイ石は割れ易(やす)い。職人が「石の目」と呼ぶ割れる方向が在るのだ。宝石では「劈開(へきかい)」とも呼ばれる。熱を加え続けると必ず割れる。石に熱が籠(こ)もれば、別の石へと変えて、冷ましながら作業を進める必要がある。

あと、ひとつだ……ひとつなのに。疲労はピークだ。咳が出て止まらなく成った。

椅子に座り込んで涙目で左手で胸を押さえる。……もうアカンのか。これぐらいで終わりかよ。……しゃあない。どうせ無理やったんや。僕の能力じゃ無理やったんや。

其の時、ボーッと霞む思考の中で、兄からLINEで連絡を受けた。「お前のフュージョンのデザイン、先方に気に入られたぞ!」

嬉しそうな表情の顔文字に涙が湧いて出て来る。目を閉じた。それでも瞼(まぶた)の隙間から溢れそうだった。視界が涙で曇るのに、思考回路が安定して行く。脳内から病魔の影を追い払えた。

認められたんや。僕らのフュージョン。

ウスイ石と御浜小石を平らに加工して擦(す)り合わせて接合する技術がフュージョンだ。僕達が生み出した独自の技法で、誰かに教わった訳では無い。兄弟で、此の技法を完成させるのに10年も掛かってしまった。

咳が少し治る。……よっしゃ。最後の1個や。僕は椅子から立ち上がりグラインダーの前に向かって行く。風邪で、もたつく足元でも、しっかり踏み締めて、一歩ずつ進んで行く。そうだ。一歩ずつ。

(了)


あとがき。
実は風邪は、本当に今ひいてますぅ。(泣笑)……こんな連続ですよね。
σ(^_^;)



iPhoneから送信