小説『黒い雲と愛の森』
徳村慎
波の音を聞きながら小石の堆積した浜辺に座っていた。
何時から考え始めたんだっけ?
そう考える事が馬鹿らしい程に以前からの気がする。それでも最近では無いか?……とも思えて結論は出ない。
結婚をして幸せな家庭を築くという誰もが当たり前にしていて、僕には永遠に得られないかも知れない事柄。何故、こんな妄想ばかりが浮かぶのかは分からない。理解不能。
叶えられないのなら、そんな夢、捨てちゃえば良いじゃん。もう一人の僕が頭の中で声を掛ける。大体、冷たくって適当な答えを言う人格は、東京弁を喋らせるに限る。……と思うのは単なる僕の東京コンプレックスだろう。
そうだよなァ。
田舎者丸出しの僕が溜め息を吐いて青空を見上げる。波は小石を洗って綺麗な音を立てる。青空へと吸い込まれる音。いや、僕が吸い込んでいるのだ。心の中には大きな空白が在る。この空白も何かで埋まらないかと考えて色々埋めてみるんだけど、埋まらないんだから、埋めないでおこう、そう思った途端に埋まったりする空白。そんな空白は本当に空白であるのか無いのか。空を見上げる顎の角度を保ったままで苦笑いして目を閉じた。
僕の指に絡み付くのは森の精霊の温もり。現実の記憶だと森の中では考えるものだ。しかし、此処は熊野。あの奇妙な緑色の太陽の浮かぶ異世界の森とは違う。あれは、やはり、夢だよなァ、と考える。
異世界で僕は、森の精霊フェルナンディーナから愛の告白を受けて、結婚しようと誓いあった。
柔らかな巨大な羊歯(シダ)の葉が丸まっていた。その葉がゆっくりと開いて僕達の子供を森は与えてくれた。
「結婚前なのに女神は子供を授けてくれたんだね」僕が笑うと、君は自分の額を指先で叩いて「ポジティブ」と呟く。
僕達の会話を聞いた、4つ目のリトルリグラが、真っ青な顔でニヤリと笑った。そして僕達を祝福する曲をヴァイオリンを使って即興で奏でた。
コンタクトマイクで拾ったヴァイオリンの音は、ギターエフェクターでピッチシフターを掛けていて、チェロの様な音に成っていた。
コロコロコロ、と笑いながら現れた2足歩行の最大20cmぐらいの動物、パンダオバケ数十匹がタンバリン、空き缶、竹筒、カスタネット、どんぶり鉢、カップアイスの容れ物にBB弾を入れた物、トライアングル、アサラト、洗濯板、ゴミ箱にガムテープを貼ったドラム等を叩いてリズムでヴァイオリンに合わせていく。
森には「電気じい」と呼ばれる爺さんも居て彼の禿げ頭から雷が出て居て電子楽器にもしっかり電気が供給されるのだ。
バロシラと呼ばれる2足歩行のハリネズミが出て来た。80cmくらいの親と30cmぐらいの子供が合わせて7匹現れた。ハリネズミ達がシャボン玉をしきりに空に放つ。親子でプカプカとシャボン玉を放ち、虹色に輝いて森を漂っている。
ポツリ。頬に雨が当たった。
僕は現実に引き戻される。熊野の海は荒くなり、灰色の波を生み出す。
家へ帰るか。ポツポツポツポツ。次第に降って来るのは、雨粒の点から、白い線の雨へと変わって行く。
雨に濡れる前に帰ろうと思い、浜から堤防を越えて防風林を突っ切ったが、楠(クスノキ)の大木の下で本降りになった。
国道は茶色い水溜まりを跳ね上げて猛スピードで走る車が通り抜ける。
雨は霧を呼び、国道を挟んで見えていた24時間営業のスーパーが白くなり消えて行く。
その内に自動車の走る中に妖魔の群れが現れた。
車よりも少し大きい風変わりな動物達。尻尾の分かれた狐。大きな釜に手足が生えた物。蛙達も手に手に道具を持って走って行く。何本も脚が生えた巨大な馬や、お歯黒を見せて笑う大きな女が車の向こうに見え隠れしている。小さな髑髏が瓢箪で出来た酒瓶を腰にぶら下げて走り抜け、一つ目小僧がベロンと舌を出して僕に笑い掛ける。黒い翼で爪の生えた脚を持つ昆虫の様な動物迄飛んで行く。
赤黒い肌の筋肉質な男が現れた。此奴(こいつ)は人間なのか?
「はは。お前にフェルナンディーナが惚れる訳は無いだろうが。諦めな」男は僕に近付き、楠に、もたれる。
「貴方は、もしかして……?」
ニヤリとして男は答える。「気付いたのか。森の精霊フェルナンディーナの元亭主さ。俺の子を育てるのなんて嫌だろうが?」長い竹ひごをナイフで素早く削って爪楊枝を作ると、男は歯をせせる。
「あの女はな、俺が一番脚が速いからって恋に堕ちたんだぜ?……お前は何かを持ってるのか?……あん?」
爪楊枝を口から出して僕の顎の辺りを指し示す。
「一生、大切に出来ます」僕は答えて雨を降らせる雲を見上げた。黒く、何もかもを吸い込んだ様な、素晴らしい層積雲を。
男は爪楊枝を歯にカツカツと当てた。「お前は、何もかもを吸収したがってんのかよ。……無理だよ。お前にゃ無理だ。人生にも、女の扱いにも、慣れてねぇんだな。持ってる事が大事なんだ。築き上げられる事なんて、お前の思っているよりも、ずっと少ないんだぜ?」爪楊枝の先はクルリと円を描いた。
男は暫(しば)しの沈黙の後で言った。「競争しようぜ。此処から奥に有る線路まで」男は空を飛ぶ燕(つばめ)に爪楊枝を投げた。燕は地面に落ちた。男は翼の間に刺さっていた爪楊枝を抜くと燕を空に返した。男は、筋力や運動能力を自慢したかったのだろうか。
「さあ。行くか!」男は駆け出す。
僕も飛び出そうとした瞬間、1匹のパンダオバケが肩に飛び移って言った。「やめとけ」
僕は「でも走らな、負けるから」と熊野弁で言って進もうとした瞬間、目の前を大きなダンプカーが走って行った。
妖魔の気配は消えて、現実に戻り、雨の国道には車が走る。微かに霧が晴れて24時間営業のスーパーが見えている。
止められなければダンプカーに轢(ひ)かれていた。「ありがとな」と肩を見たがパンダオバケは居ない。
僕は夢を見ていたのか。雨の降る黒い雲を見上げたら、やっぱり素晴らしい色だった。その黒い雲の色は、重くて怖くて、それでも手に入れたくなる美しさで。時折光る虹色の様な雨まで降らせる雲に、出逢えた感謝に目を閉じて、深呼吸をしてみた。
梅雨明けは近いな。この雨も止むのか。現実の雨に打たれながら、森の光が広がるのを心に感じる。押しボタン式の信号を押して、国道の横断歩道を渡るまでの時間に、去りがたい程の幸せを感じた。心には森の光が満ちていた。
(了)
あとがき。
書いている内に浮かんで来る景色が有ります。多分、子供の頃に読んだ本とか、熊野の風景とかが重なって、こんな世界になるのかな、と思います。
(≧∇≦)
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