小説T-BRO'Sシリーズ『丸砥石と兄弟』
徳村慎
一定の角度で丸砥石に当てる。指に感じる微妙さ加減。水の薄い膜の下で、砥石の粒に擦れる微かな振動を、神経を指先に集中して感じ取る。烏翠石(ウスイセキ:那智黒石)がドロップの形をなしていく。そこに、一体になる瞬間は、有る。その刹那は、無音の世界。心を閉じているかのように研ぎ澄まし、けれども、石に対しては開いている。それでも、まだ、分からない。石の気持ちには、遠かった。
お爺ちゃんは、石の気持ちに成れ、と語った。僕が教えられたのは、たったそのひと言だ。硯を彫り上げると山にふらりと出掛ける。そんなお爺ちゃんが見つめていたものを今は心から見てみたいと願う。しかし、中々、叶わない。たぶん、風景を見ていても同じものなど見えていないのだ。石を彫っていてもそうだろう。
兄が横で縦の丸砥石を使う。冬の水しぶきは冷たい。水量の調節で磨き方を変えているのだ。爪を削り、皮膚を火傷し、石は磨き上がる。究極の0.1mm以下。いや、0.01mmぐらいの誤差が気になって直す。そうすると指は傷だらけだ。突き詰める事で得られる傷は、兵士の名誉だと兄は笑った。
燃え盛る火事に逃げ惑い、明くる朝、黒焦げの小さな旅館を見たお爺ちゃんと高校生の父。悔し涙を流す父にお爺ちゃんは語った。また、建てたらええが。職人には腕さえありゃあ、なんとか、なるんじゃ。大きな手で父の背中を叩いて笑った。旅館の片手間で烏翠石の仕事をやっていた徳村屋の転換期だった。危機こそが大きな跳躍を生む。
一通り烏翠石の見習い職人として3年ほど学んだ父が、お爺ちゃんに試される時が来た。石で板を作れ、というものだ。どれだけ正確な板を作れるか。試行錯誤を重ねた。削り過ぎて板が丸くなったり、集中力が切れてベルトサンダーに離してしまった板が割れたり。磨きが雑で傷が入ってしまったり。仕上がった漆黒の板を前に、お爺ちゃんは、ただ頷いた。それが職人として一歩を踏み出した瞬間だった。
数々の受賞歴の中でも、お爺ちゃんと父が親子でデザイン展の金賞を受賞した時が、父にとって印象深いという。甲乙付け難い2人の作品に対してどちらも金賞だ、と審査員が判断したのだ。不惑の年の父がようやくお爺ちゃんと並んだ瞬間だった。
お爺ちゃんの葬式で父は、「私にとっては父でもあり、尊敬出来る師のような存在でもありました」と話した。僕も喪服で深く頷いていた。受け継がれる血脈が有るとするならば、石に対する集中力。ただ、それだけ。好きだ、という想いこそが技術の上達に繋がるのだ。
僕の考えた烏翠石と御浜小石を組み合わせるフュージョンを「コレはいけるから、やり続けろ」と言ったのは兄だ。最初はガタガタの石同士が目立ち、接着など出来なかった。丁寧にグラインダーで処理して平らにしていく技術を習得しなければならなかった。石の精度は0.05mm以下を求められた。何度も投げ出し、何度も諦めかけて、父からも「売れない」と言われた。しかし、やり遂げた時は石の粉まみれなのも忘れて「出来たァ!」と叫んだものだ。このフュージョンのネックレスでの受賞をきっかけに兄が徳村屋に戻って来た。ジュエリーの計画を夜遅くまで語り合う日々が続いた。今では父もフュージョンの技を認めている。「ここまで来たんやから、諦めるな」とまで言うようになった。
兄の横で、新たな技術を身に付けようとドロップを作って行く。まだ直せる、まだ直せる、と形を直すと少し小さくなってしまった。そして、もう一度。やり直す姿を見て兄が笑いながら言った。「爺ちゃんも見やるぞぉ」僕は「当たり前やん」と笑い返した。
(了)
あとがき。
小説ですから、所々、フィクションが混じっています。主に台詞が。でも、そうする事で小説はリアルに成るのかも?(笑)
兄に言われたのは、T-BRO'Sの活動の小説化が面白いんじゃないか?……という意見でした。確かに、普段やってる事なんで、書けますよね。逆に、この仕事をやっていなければ書けない小説だとすると、これが僕の個性に繋がるのかなァ?……小説Tシリの第一弾でした。
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