小説 『返してもらいますよ』
徳村慎
革製の爪先の尖ったブーツで頬をグリグリといたぶられた。煙草の灰を顔面に落とされて熱い。目の中に入りそうで閉じる。「お前には痛みを味わってもらおう」男は足を振り下ろして俺の鼻の骨を潰した。
パチスロにハマって遊びまくった。それには理由が有る。離婚したのは俺の浮気が原因で。妻の真奈美が妊娠してからの遊びが、バレたのだ。全て俺の自業自得だ。寂しさを埋めるにはパチスロしか無かった。事務の仕事も手に付かずにミスを繰り返して辞めた。金も底を尽きて、少しだけ、と借りた借金が重なり膨らんで、返すアテも無く夜逃げをした。
地方都市から地方都市へと逃げ回る。工事現場を請け負う土建屋を回って日雇いになる。いつもは、ご飯に鯖缶を混ぜただけのものを、おにぎりにして少しずつ食べていた。今日はカップ麺だ。贅沢に顔が綻ぶ。土建屋で雇われたばかりの爺さんが、良い人でボロいラジオをくれた。そのラジオを聴きながら割り箸でエアドラムをやる。子供じみていても、気分を盛り上げるのが日常には必要なのだ。
ドアを叩く音がする。ちっ。なんや。せっかく、ええとこやのに。「はい?」ちょっとキレ気味の俺に対しても怯まず怒鳴り込む男。「お前かぁああああああァ!」
胸ぐらを掴まれて投げ飛ばされた。いきなり、ドアの外の砂利道に叩きつけられて息が出来ない。「見つかんねぇと思ってたのかァ?」腹に蹴りを入れられて痛みに身体を丸める。「追い込み掛けられて逃げられると思ってたの?」ヤバい。街金が雇った人間や。殺されるんか?
「きっちり働いて返してもらいますよ」さんざんいたぶられた後で俺の部屋に上がり込んだ2人組。痩せた革ブーツの男も相当な強さやけど、後ろで腕を組む髭面は格闘家のような身体つきや。更に強いんちゃうか?……と逃げる事を諦めた。
「お前の借金チャラにする代わりに、麻薬運んでもらおかのぅ」抜けた歯を金歯に替えたのだろう。喋る爺さんの口が開くと金色に見える。何かの組織らしい。パソコンで遊んでいる外人の子供は10歳ぐらいか。足には鎖が付いている。「ああ。この子は、なぁ。天才なんや。ハッカーやな。データを盗んで特許を出願する直前にこっちが先に出すんや。まあまあ、儲かるなぁ」それから日本で有名な大企業の名前を言った。そこからも特許料を取り立てているらしい。「今は、日本のアニメが好きな外人の子供が狙い目やぁ。まあ、逃げんように、身体の一部を切り取ったっても、ええんやがのぉ。この子は五体満足やなぁ。……アンタも気ぃつけぇやぁ」
モグリの医者に腹部を切開されて麻薬を取り出された。局部麻酔で自分の腹の中が見えてしまう。キモぃ。麻薬を運ぶようになって2ヶ月が経つ。空港で麻薬を嗅ぎつけた犬も居たが、組織の電子部品を作る専門家に貰った超音波を出す装置で追い払う。俺は、ただの容れ物に過ぎない。麻薬が腹に入っている間は内臓が圧迫されて苦しい。食べ物なんか入らない。手術台で横たわっていると声が聞こえた。「コイツも、薬漬けで使えませんね。暗殺でもやらせますか?」
俺はフラフラと歩いていた。総理大臣のところへ行け、その言葉だけが頭の中をグルグル回る。なにやら精神科医のような姿の爺さんの声だとは分かる。身体は、その言葉通りに動くだけ。意志も無く歩いて行く。総理大臣が大きな竜巻の起こった地域へと慰問に来ているらしい。俺は、たぶん、そこに、おる(居る)んや。
プシッ。空気銃のような音がした。俺の膝は撃ち抜かれる。床に倒れ込んだ。映画で見た、サイレンサーってヤツか。本当に銃声がしないんだな。俺の身体は、何やら袋に入れられて別の場所へと運ばれた。
医者だろうか?
防護服のような物を来てメスで俺の腹を切開する。痛みは、あまり無い。爆弾処理班だ。俺の腹の中の爆弾を無効にするために頑張っているらしい。もう、ええよ。俺は死ぬんやから。海にでも、ほりこんで(放り込んで)くれよ。
目覚めると白い天井が見えた。俺の周りも眩しい白だ。ベッドか?
元妻の真奈美が俺を見て泣いた。その横には小さな女の子が居る。この子は……?
あんたの子ぉやがぁ。元妻の声は震えていた。娘か。俺は、その瞬間、生きとって良かった、と声に出して泣いていた。もっかい頑張んなぁ。この子の父親としてふさわしい男になってぇよ。元妻の声には、独りだけで子供を育てて来た、辛さと自信に満ちていて、少しだけ優しく感じた。こんな、魅力的な女を俺は捨てたんか。やり直すわ。やり直すから。人生。
退院してから福祉の世話にもなりながら、金銭トラブルに関する法律を懸命に学んだ。今では、弱者を救うNPOで金銭トラブルなどのスペシャリストとして働いている。机の上を見る。再び妻になった真奈美と成長した娘の写真が、俺に自信を与え続けてくれる。俺の人生、返してもらいますよ。神さま。……自分の力で頑張りますから。
(了)
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