小説『ラグビー道』 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

小説『ラグビー道』
徳村慎


体重を乗せて踏んばり両脚の間からパスを回す。砂の匂いと汗の臭いが混じって動きが増していく。しかし、瞬間を切り取っているように1秒が長い。筋肉を意識して加速していくのにさらに筋肉は速く動きたくてたまらないように震える。ヘッドギアの締めつけが心地良い。真っ直ぐに思考自体が綺麗に鋭さを増す。

酷いのは、見ていないところでタックルの際に殴る奴だ。フィールドに出れば喧嘩がはじまる。ラグビーとは、そういうスポーツだ。それでも、1人の動きではなく、チーム全体で1つの生き物になる瞬間があって、楽しい。そういう時には見ていなくても、仲間の位置が分かるものだ。そこには野蛮な感覚よりも、繊細で美しい、ピアニストの指先の動きのような感覚が要求される。

パスが回ってウィングが弧を描いて走り、相手チームの次々に飛び掛かる者たちをかわしてトライ。ホイッスルの響きに僕らのチームは勝利の歓声を上げた。沸き起こる感情で一体となったチームは、やはり1つの生き物なのだろう。揉みくちゃになりながら仲間の今日の名シーンが全て浮かんだ。思い出す、というのはタイムラグを伴う。浮かぶと表現出来る頭の中は違う。写真を並べたアルバムのようにスッと全体が浮かび上がるのだ。

ファミレスで、ソフトドリンクでの打ち上げの後、別れて1人で歩いていると、今日の試合の敵チームの中学生が、集団で歩いて来たのに気付いた。

俺は息を飲む。

奴らのリーダー格らしい男が俺に気付いてズボンからチェーンを引っ張り出して来たのだから。

俺はクルリと反転して逃走を開始する。腹が重くて上手く走れない。

「オラぁ、待てやぁ!」
大勢に追われれば、僕も必死だ。角を曲がると横断歩道だ。交差する道路の信号は赤になっている。もうすぐ横断歩道の歩行者用の信号が青に変わるはずだ。

速く、青になれ!

念じて奴らを振り返ると、僕が観念したと思ったのか、ゆっくりと息を整えながら近付いて来る。
青に変わってダッシュしようとした瞬間、タックルを横から受けて僕は倒れた。腹に蹴りが入る。恐怖と痛みで泣いた。

「おい、俺の仲間に何してくれとんやァ!」叫び声と共に走って来る者がいる。

連中は声の相手に向かって行く。しかし、次々に呻き声が聞こえて、喚き散らして居た連中が、1人、また1人と倒れていくのだろう。次第に静かになっていく。自分の汗の臭いを感じた。急に冷えていく身体が、すごく重くて起きられない。最後の呻き声の場所から、近付く足音。「相田ぁ。お前、大丈夫なんか?」熊野弁で喋る、ウィングの園田だった。

園田は長い間、熊野で過ごした。父は、大企業にヘッドハントされた技術者で、安く人を雇用出来る田舎の工場に勤めていたのだ。

倒れた時に唇を歯で切ったのか、コンビニで買った缶コーヒーが沁みる。僕と園田は、コンビニ前の植え込みにもたれながら、葉の落ちた街路樹の伸びた先にある空を見た。小さな雨粒が落ちて来たからだ。「やっぱ、降って来たんか」園田の言葉に頷く。「雨だったら、向こうが勝ってたかもね」僕は、相手チームが何故か雨の日に強いことを、思い出していた。

「行こか」園田に言われて歩き出す。彼の夢が、あの熊野に帰ることだと聞かされた時には驚いたものだ。成績優秀な彼には都会が似合う。「なんの仕事でもかまんから、熊野に帰ってあの土地をもっと魅力的にしたいんや。神々の土地ってことに俺は感銘を受けとるけど、あの土地やったら生涯過ごせそうやと思うんや」何故、そう思うのかは分からない。たぶん、彼に訊いても分からないだろう。直感だ。パスがここなら回せる、というのに似ている。瞬時の判断以上に、上手く行く時には直感が働くのだ。ラグビー部の連中は、それを口にしない。だから僕も黙っている。けれど、きっと皆んなが感じているはずだと、僕は思っている。

小雨がしとしとと降って来た。傘なんて差さなくとも気にならないぐらいの。雨の匂いがした。彼はいつか語っていた。都会の雨は埃っぽい匂いやな、と。僕には熊野の雨が甘い匂いだと感じる彼の感性が鋭いのだと思う。どこの雨でも同じに感じる人間の方が多いのだろう。

街路樹の葉に当たり軽いポツポツという音がしている。ほんの少しだけ雨が強くなったのだろうか。彼も街路樹を軽く見上げた。見上げているのは僕たち中学生だけで、周りの大人は雨の音に気づかない様子で黙々と歩く。大人になれば、この感覚は消えてしまうのだろうか。ちょっと大人になりたくないな、と思う。仕事で忙しくても、少しだけ立ち止まり雨の音を見上げる大人になりたい。僕の表情に気づいた彼が、にっと笑う。そして、また、歩きはじめた。大人になって90年代を振り返った時に、僕はこの感覚も思い出せるのだろうか。友だちの考えが肌を通して伝わるような感覚が。

僕より身体の小さい彼が、喧嘩も強くて優しくて。ライバルに全て負けたと思うのに、仲間である誇りもあって。僕の初恋の女子が彼と付き合うことも仕方ないとも、思えてしまって。もっと雨の続く道を、この瞬間をとどめた写真のように歩き続けられたらと願った。道(way)とは方法のことでもあると、あんまり興味のない英語の授業で習った。中学生の心のままでいられる方法は、存在しないのだろうけれど。雨の音が優しく聴こえて、心を静かに柔らかくかき乱して、僕は、幸せに泣くまいとして拳を握った。

(了)








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