小説『おにぎり』 | まことアート・夢日記

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まことアート・夢日記、こと徳村慎/とくまこのブログ日記。
夢日記、メタ認知、俳句モドキ、詩、小説、音楽日記、ドローイング、デジタルペイント、コラージュ、写真など。2012.1.6.にブログをはじめる。統合失調症はもう20年ぐらい通院している。

小説『おにぎり』
徳村慎


ひもじさに蛙を捕まえていた。
もう何もかもが食いものに思えた。
ダイソーで買った髭剃りで皮を剥く。ナイフだと上手く剥けなかったのだ。立ちくらみが続くようなフラフラ感に、僕は、たえる。

食べてから、僕は山で何の意思も浮かばぬまま、眠りこんだ。気付くと、お婆さんが肩を軽く叩いている。起きようとすると腹が鳴った。「お腹空いたんか」と言って、ラップに巻かれた、おにぎりをくれた。

「アンタ、どこから来たんやぁ?」
と訊かれても困る。死のうと思って山に入ったのだ。今さら家族の場所を知らせたくない。おにぎりを黙って頬張るとあまりの美味さに涙が出て来た。米って、こんな美味かったかぁ。断食のような山での暮らし。死のうと思っていたのに何かしら食べてしまう山。自分の中の知識を総動員して食べ物を探してしまう飢餓状態。美味い、美味い、美味い、と何度も呟きながら、涙を流して食べる。

独り暮らしのお婆さんの家の畑仕事を手伝いながら離れに住んだ。盆地ではお婆さんの友達が僕の顔を見に来る。皆んな、人の良いお爺さんお婆さんたちだ。「無理にここ、出てかんでええのぉ。ここで、いつまでも、暮らしたらええ」口々に言ってくれた。

お年寄りは皆んな、生気に、あふれていた。僕のような死にかけの人間とは違う。慣れない畑仕事でゴツくなった手の皮膚を触りながら生きるってなんだろうと考える。考えても結論など出ないのに、つい考えてしまう。

お婆さんに料理を習うようになった。この山村では一番の腕を持つと皆んなが口々に褒めていた。お婆さん自身は自分の料理の腕を誇ることなど決してしなかったが。

息子のもろた(貰った)嫁はなぁ、ええ嫁やったんやけどな、車にはねられてなぁ。近所の子供が飛び出したんを助けようと、してな。まあ、運ちゅうもんは、あるなぁ。料理を覚えたい、言うとったのに、仏さんになってしもて。

僕は必死に料理を学んだ。ある日、お爺さんが料理を食べて、「コレやったら、ワシの知り合いのホテルへ勤めてみたら、どうや? 料理人を募集しとったわ」と話した。僕はこの話を受けることにした。観光ホテルで働くのも面白いと思えるほどに、僕は生気を取り戻していたのだろう。

お婆さんが風邪を引いて僕がお粥を作った。明日からは観光ホテルの職員の宿舎に寝泊まりすることになる。お婆さんは「優しい味や」としんみり言ってくれた。

ホテルの調理の仕事が忙しくて連絡を取ることを忘れていた。1ヶ月が飛ぶように過ぎて、お婆さんに会いに行くと、観光ホテルを紹介してくれたお爺さんがいた。「おお。おかえり」と言いながらも何か寂しそうだった。「アンタには、言うなって言われとったもんでな、すまんな、婆さんの葬式には呼ばなんだんや。線香、あげたってくれるか」

お婆さんが亡くなった事を知り、僕は台所で泣きながら、あの日と同じ味のする、おにぎりを作って、仏壇に供えて手を合わせた。泣き声ばかりの僕の背中を、お爺さんは優しく撫で続けてくれた。

(了)





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