『50歳からの“死に方”』
先週の金曜日、東京に出張で来ていた“道産男改め盛男”と、久しぶりにを酌み交わした。“みんなでの同窓会”を除くと何年振りになるのだろう その同窓会に対する自己完結については、彼にも一切相談・報告していなかったので、そのあたりの話しをするにはいいタイミングとなった。「例えばさあ、子供の頃に初めて食べたが美味しくて美味しくて、機会あるごとに好んで食べ続けていたとするじゃない。で、ある時大人になってから同じような調子でを食べたら、ジンマシンが出て体が受け付けなくなってしまったって話聞いた事ない 要はその人が生涯食するの限度量を既に超えてしまい、逆にアレルギー症状が出るようになってしまったってヤツ。もちろんジンマシンが出るわけじゃあないけどさ、俺のクラブに対する感覚って、それと同なじよ。まあそこに至るきっかけは、いくつかあったんだけどねぇ。。。」「なるほど そうかぁー。。。そういう事かぁー。。。まあ10年一区切りって言うし、ポッキーが仕切らなくても誰かがさ、自然発生的にやろうって言えば、また集まれるわけだしな。」「でも、もう俺は。。。パスすると思う」「あららっ そーなの」「盛男とか。。。個々ならともかく、みんなでってぇのは無ぇーな。なんかちょっとトラウマかも」「。。。」「おととし、弟と甥っ子を立て続けに亡くしたじゃない。あれから俺の人生観や価値観って大きく変わってさ。自分にとって納得のいく時間を過ごしたいな、丁寧に生きなきゃなって想いが、とても強くなったのよ。例えば死なないまでも、こうして元気にやり過ごせるのがあと10年とするじゃない。3,650日だよね。そのうち週に1,2回=四分の一をこうして家族以外の誰かとのの時間とすると、900日。まあサラリーマンやってるわけだから、プライベートは3割程度として300日弱。となると年間30回=月にすると2.5回しかないのよ。そう考えるとさ、今さら価値観の合わないヤツとか、タイプじゃない女の子だとか、気乗りのしない相手とストレス感じながら無理していっしょに過ごしている時間なんてないんだよなぁーって考えちゃうんだよ。」「ふーん ポッキーの話聞いてて思い出したけど、この前本屋で弘兼憲史の“50歳からの死に方”ってを見つけてね。その中に『50過ぎたら友達は減らせ』って章があったのよ。まさにそんな感じなんだろうな。」「へぇー その本なんか興味深いねえ。ちょっと読んでみたいなあ。」「まあ、死に方って言いながら、残り30年の生き方ってヤツなんだけどね。」盛男と飲んだ翌日、さっそく御茶ノ水の本屋に行って件のをゲットフーム、なるほどなるほど “お年頃の”損なオヤジにとっては、金言集だらけの珠玉の一冊じゃねぇーか『50歳という年齢は、まさに突然、何かが起こる年齢』『些細な事に過敏になってしまう年齢』『50代が持っている「生きてきた自信」と「知恵」』『何があってもおかしくないのが50歳だとすれば、何が起ころうと驚かないのも50歳』『残りの人生を引き算で考える』『50歳から持つべきは、でっかいけれど可能性がほとんどない「夢」ではなく、少し頑張れば実現可能な「目標」であるべき』『50歳になれば、「得る」ことよりも「失う」ことが多くなる』『「友だち」を減らしなさい。友人関係をお互いに潔く転換する、つまりは距離を置くという勇気も大事』『世の中は不公平だという現実を直視する』『目上の人に対して「いい奴(ジジ殺し)」になる』『いい部下を育てる』 etc.これまでもこれからも、自分の「生き方(死に方)」を変えるつもりはさらさらなかったが、「それでいいんだよ」って、そっと背中を押してもらった気分。いい本を紹介してもらった。そうは言っても持つべきものは、やはり友なのか盛男、ありがとう