世の中が平和で穏やかなこと、天下太平を表す「尭風舜雨(ぎょうふうしゅんう)」の四字漢語がある。由来は伝説的な古代中国の聖天子、尭帝・舜帝の恩徳が国中に行き渡ったのを風雨の恵みにたとえたことばで、雨のことばでもある。風や雨は天の恵みとして捉えられることは多かった。
天候が順調なこと。五日に一度だけ風が吹き、十日に一度だけ雨が降るというところから、世の中がよく治まって平和な場合にも用いられる四字漢語に「五風十雨(ごふうじゅうう)」がある。こちらの由来も中国だ。
後漢の王充の論衡に「五日に一風し、十日に一雨す。風は条(えだ)を鳴らさず、雨は塊(つちくれ)を破らず。其の五日一風、十日一雨と言ふは、之を褒むるなり」とある。五風十雨は気候の順調なことを褒めたことばであり、この世が太平であることの現れだとされている。
強い雨は時にいっそう激しさを増しつつ降り頻り、夜もずっと続くのかなと期待していたが、午後のティータイムを終えた夕刻には止んでしまい、残念だなと思った。
昨日、未明から降り出した雨は咲き乱れる桜の時節柄、「花時(はなどき)の雨」「花の雨」「花雨」「桜雨」と呼ぶにしては随分と乱暴な風雨だった。
雨を表すことばは色々有るが、これらのことばは季節の中の正に今頃だけに表されたことばだ。
情感溢れる花時の雨、花雨、桜雨。雨が降る様子はそれだけで嬉しく心弾むのに更にたくさんの雨のことばが有ることも楽しいし、ただそのことば達を眺めるだけで気持ちが浮き立つ。原田稔氏・倉嶋厚氏編著の『雨のことば辞典』には千二百ほどの様々な雨のことばが解説されている。
時に車体を打ち付けるように強く降る雨の街を移動中、あちらこちらに散在する桜は枝から剥がされるようにその花びらが地面に貼り付いていた。
麗しく豊潤な趣を湛え枝を飾った花弁が無残にも散る姿もまた一興だ。
因みに花散らしの雨という言い方の花散らしは『日本国語大辞典』では方言として扱われ、陰暦三月三日の翌日に野山に遊び出る風習を花散らしと呼ぶと解説され、方言資料集からその風習の地域は佐賀県東松浦郡、長崎県対馬、壱岐島だとし、かなり限定された地域で使われていた言葉だとしている。また、俳諧では「磯遊(いそあそび)」の同義語として扱われ、歳時記などに載せられている。文字通り、磯で遊ぶこだが、主に三月の節句の頃、浜や河岸に遊ぶことを呼ぶようだ。従って、花散らしの雨という言い回しは厳密には誤りではあるが、音の余韻は何と無く雨に散る桜が浮かばなくもない。
強めな風雨の街はあちらこちらに散在する桜が枝から剥がされるようにその花びらを地面に貼り付かせていた。その地面を車が進んで行く。
風雨に無理矢理枝から剥がされて舞い落ちていくさまは潔く美しい。地面に落ちた花びらの上を次々に車が進んで行く。そして間断無く剥がされ舞う花びらが車にも貼り付いていく。
何故だか雨風が天の恵みであり、太平な様子を表す「尭風舜雨」や「五風十雨」が何故か思い浮かんだのは、横暴なまでの風雨が空からの風雅な恩恵に思えたからだろうか。
wednesday morning白湯が心地良く全身に巡り渡る。
本日も。淡い。