何が忙しいのかを説明しなくちゃいけない仕事ってなんなんだろうとつくづく思う。

どれだけ欺瞞だらけの世界にいたのかは知ったこっちゃないけれど、
仕事が忙しくなきゃ、一体なんなのさ?
自分の住む世界なんて、知ってる中だけでいいと思うよね。
知りすぎたところで拾いきれないし、知らなかったところで損とも思わない訳だしさ。

ただ、その世界観というか、視野の広さというか。
それが比較的同じ大きさでない限りは、会話は成り立たないんだろうなぁ。

広いのがエラいだとかそういうのじゃなくて、
なんかそういった人たちが同じレベルで集まった方が、
世の中の効率ってもっとよくなると思うんですよね。

それこそは「分かってくれる人がいればいい」ってんじゃなくて、
なんか「知ろうとする意気」みたいなものが相互に丁度いいバランスで引っ張り合うくらいの、
そんなやさしさと刺激の中に生まれるものが、
ずっと求めてきて手に入っていないものなんだと思うんですよね。

下手に自分の知らない世界と言うよりは、着実に歩幅を広げていける環境が望ましい。
恋愛にしても、仕事にしてもそんなスタンスが必要になってるんじゃないかな~と、
天井みながら思ってます。
完璧な組織は存在しない。

サッカーなんかはそうですよね。
その時代、その時代で完璧とされるその組織が時代とともに崩され、
その度の改善を余儀なくされる。

世界最高峰のそれも、その時代にマッチしたカタチを見つけては、
次の時代に崩されるのを待っている。
伝統とされるそれもすべて、時代に合わせて継承のされ方も変わっているんですよね。

時代の境目において、それくらいの応用の問われ方を必然的なものとして構えておくか。
はたまた、自分の出来ることを変えずに時代に要されるのを待つか。
それもこれも、すべては「その自分がどうありたいか」に問われてること。


結局出来ることも、やりたいことも、実現する如何は
組織であれ個人であれ、意識の有無によるところなんだと思うんです。

それが組織として結託し、同じ方向を皆が向いたところで、
一個人が敵うものではないでしょう。
傾倒するそれを推奨する意味ではないけれど、
推進力ってそういうところに生まれてくるもので、
そこに時代が重なることで成功は約束されるものだと思ってます。

だからこそ、行き先の定まらない船に乗り続ける必要は無い。
その行き先を、お願いしたり、先導したりする、出来ることが無い、
なにより、それすらも諦めてしまっている限りは、
その組織にいること自体が無意味だとも思ってます。

多分、こういったことが言える様になったのも、ごく最近。
ほぼ完成されている組織と、破綻以外の何ものでもない寄り合い、
そして個人商店的な動きを覚えたことが、なにか呼応しあってる様に感じてます。

まずは、もうひとつ結果を残すこと。
当面の目標がこれになりそうです。
仕事と遊びっていう相対する(?)ことも世の中にはあるっちゃあるんですが、
基本的に「公→私」なんて持っていき方をしないクチでして。

公がどうだからといって、私に影響がなるだけないようにはしています。
だってそうでしょう?公なんてやりたくてやってる、言いたくて言ってる
なんてことの方が少ないんですから。
それぞれの私には無い立場や責任が公にはあって、
それでいて生じる意識の衝動であったり、判断であったりするんですものさ。
根本がそんなところにある以上は、私において真に受け止める方が
滑稽ってもんじゃないっすかね?

んだもんだから、仕事の愚痴に華を咲かすような私の時間ってそんな好きじゃないんですよね。
そりゃ自分が作った会社なら分からなくはないけれど、
たかだか他人の会社のあれやこれやを論議することに、
あまり生産性を見出していないので。

もっとも共通の話題がそこにある以上は抜け出せなくて仕方が無いにしても、
それが続く限りは関係としてまだまだ深くはない証なんですよね。


一方、「私→公」という持っていき方はしちゃいます。えぇ。

どうしても私の部分での素行におけるそれは、公におけるそれに対しても
同じ様に捉えてしまいがち。
個人としては、私の部分から目に余る人間に、
公の何かを任せる度量(仮)はなかなか持てません。
公からは想像もつかない私をもつ逆のパターンの場合は
手放しで尊敬するんですけどね。

という、一見して相対する物に対しての姿勢が統一してないんだな~なんてことを、
ぼんやりと考えていたら、車のライトつけるの忘れてた!アブネー!!