皆様
ご無沙汰しております。
三瓶です。
継続が目的で、再度書き始めたブログ、
とても残念なことに、先日途中で途切れてしまいました。。。
大変失礼しました。
5月の後半にあるイベントへ参加することになり、
そのメインスタッフを担当した関係で、いつもよりも業務ボリュームが増え、
事前準備、当日運営、事後処理に結局追われてしまい、
継続を途切れさせてしまいました。
以前も継続を宣言してできなかった継続。
今回で、2度目です。。。
ふがいない自分も感じているのは間違いのない事実ですが、
ここで、諦めてしまうか、這い上がるか、もまた大事なターニングポイント。
宣言して、そしてできない、という現象が起こると、
誰が言ったわけでもないのに、
「罪悪感」が生まれ、なかなか戻りづらくなることもあり・・・
物理的な時間の確保もさることながら、
精神的なハードルが意外と高かった、というのは、
正直に記録しておこうと思います。
というように、継続が一度途切れ、そこから復活を決意したことで、
気づいたこと・得られた学びがあるのも事実。
読者の皆様には、ふがいない私の姿をお見せし、
私自身、恥ずかしい部分はありますが、
誠実、信頼、達成を自分の根本的な理念に置く私だからこそ、
うそ偽りない自分として、再度スタートを切っていこうと思います。
・・・長くなりますので、継続が途切れて、
自分が復活するときに得られた学びの詳細については、
またの機会にご報告させていただきます。
こんにちは。
三瓶です。
先週は、大きなイベントへ参加し、
その担当のため、いつにもまして、お仕事をいただいておりました。
よって、少し短めに更新していこうと思います。
昨日は、
「学ぶ」ことにも、スキルがあり、
その差は「持論」の有無が影響しているのでは?
ということを考えいました。
早速
持論
について、辞書で調べてみると、
「かねてから持っている自身の主張・自説」
とあります。
「かねてから持っている」という言葉からは、
今この瞬間に生まれるものではなく、
少なからず時間軸の中では過去に当たる時に生まれるものだということでしょうか。
そして、
「自身の主張」
これはシンプルに他の誰でもない自分の考えていることであるということですね。
そして、「主張・自説」というだけあって、
これらは人に伝えられる形、
すなわち言語化されている
必要がある、ということです。
「過去から今にかけて
自分自身で考えて
言語化した主張」
ここの「自分自身で考えて言語化する」プロセスに、
学びが深まるかどうかのポイントがあるような気がしています。
また次回に続けます。
iPhoneからの投稿
三瓶です。
先週は、大きなイベントへ参加し、
その担当のため、いつにもまして、お仕事をいただいておりました。
よって、少し短めに更新していこうと思います。
昨日は、
「学ぶ」ことにも、スキルがあり、
その差は「持論」の有無が影響しているのでは?
ということを考えいました。
早速
持論
について、辞書で調べてみると、
「かねてから持っている自身の主張・自説」
とあります。
「かねてから持っている」という言葉からは、
今この瞬間に生まれるものではなく、
少なからず時間軸の中では過去に当たる時に生まれるものだということでしょうか。
そして、
「自身の主張」
これはシンプルに他の誰でもない自分の考えていることであるということですね。
そして、「主張・自説」というだけあって、
これらは人に伝えられる形、
すなわち言語化されている
必要がある、ということです。
「過去から今にかけて
自分自身で考えて
言語化した主張」
ここの「自分自身で考えて言語化する」プロセスに、
学びが深まるかどうかのポイントがあるような気がしています。
また次回に続けます。
iPhoneからの投稿
こんにちは。
三瓶です。
今週は、大きなイベントへ参加し、
そのメイン担当のため、いつにもまして、お仕事をいただいています。
よって、少し短めに更新していこうと思います。
私は、組織変革コンサルタントとして、
普段から、教育研修を提供させていただいているわけですが、
様々な大人の皆さまに「研修」という形を中心としてサービス提供をしていると、
「学ぶ」ということにも能力・スキルがある、ということが否応にも感じてしまいます。
同じ言葉で話しても、
そこから吸収し気づいている量や質が違うのです。
何が、この差を生みだすのか?
ふと不思議に思うのです。
その差は、自分の学習プロセスについて、
「持論」を持っているかどうか。
なのではないか?
そんな風に考えています。
明日に続けます。
三瓶です。
今週は、大きなイベントへ参加し、
そのメイン担当のため、いつにもまして、お仕事をいただいています。
よって、少し短めに更新していこうと思います。
私は、組織変革コンサルタントとして、
普段から、教育研修を提供させていただいているわけですが、
様々な大人の皆さまに「研修」という形を中心としてサービス提供をしていると、
「学ぶ」ということにも能力・スキルがある、ということが否応にも感じてしまいます。
同じ言葉で話しても、
そこから吸収し気づいている量や質が違うのです。
何が、この差を生みだすのか?
ふと不思議に思うのです。
その差は、自分の学習プロセスについて、
「持論」を持っているかどうか。
なのではないか?
そんな風に考えています。
明日に続けます。