壁画が完成しました! | こうのの日々

こうのの日々

漫画家こうの史代です。
夫とキエリボウシインコのTさんと、福知山市で暮らしています。

こんにちは!

おりづるタワー「Wall Art Project」では5層目を担当した、こうの史代です。

 

4月10日(日)は、福知山でいくつか用事がありました。

午前は、近所の皆さんと神社の掃除です。

わたしは初参加でした。

掃除が終わると、紙を配られました。みんなで読み上げるようです。

「ほう、これが『祝詞のりと』というものか…どれどれ…む!?

なんとそれは「般若心経」でした!

神社で般若心経…? 

もしかしたらこれは、神仏分離令以前の古い習慣なのかもしれないな、と思いました。

その帰りに、京都府知事選挙の投票をしました。

家に着いて、Tさんのご飯と水を替えました。

そして、旅の支度をしました。

15時前の特急こうのとりに乗って、新大阪経由で広島に向かい、19時頃に着きました。

駅前の福屋の中のジュンク堂で、新しい作品の構想を練るために、地図を1枚買いました。

 

 

11日(月)は、9時45分におりづるタワー3階に集合です。

わたしは、ちょっとだけでも後片付けを進めておこうと、40分前に資材置き場に行きました。

紙コップや容器にとっておいた絵の具は、まだ固まっていないものもありました。

でも、もう使うことはありません。

試し塗りに使った紙を突っ込んで、捨ててゆきます。

時間になったので、3階に行こうとして、

白い絵の具が手にガッチリ付いていることに気づきました。

…不思議だね…、3週間前の絵の具は乾いていないのに、手についたのはもう石鹸で洗っても取れないんだもんな。

というわけで、9時45分に集合して、会場で段取りの説明を受けて、11時から記者会見。

その後は囲み取材、大きな花束を貰ってみんなで記念撮影、13時頃から現場で説明して、その後個別取材を3つ。

それから、招待した父と姉と妹と弟と久保田辰男先生と奥様と1階で待ち合わせて、皆さんの作品を見学していたらさすがに腹ぺこでフラフラしてきたので、みんなと別れて、16時半頃に控室に戻って、とって置いてもらったお昼ご飯をいただいて、後片付けを済ませました。

ええ。ずっと絵の具を手に付けたままでね。

 

足場の外された自分の作品とは初対面でした。

ん-…もっと荘厳な色合いにしたかったな! 

とは描き終える頃から、ずっと思ってはいたのです。

触ってみると、表面に保護剤が塗られていて、もうわたしの手からは離れて行ったのだな、と感じました。

わたしは墨一色の漫画の世界一筋に生きて来て、色で失敗してもあんまり気にしたことがなかったのです。

しかし、今回だけは、本当に悔しい気持ちが残りました。

まあ、次につなげよう! 

悔しいのもありますが、それ以上に楽しくて、どの作家さんの作品も素敵で、また同じ方々とご一緒できたらいいなあ、とも思いました。

よし本当に、次につなげよう!

 

11日の時点では、まだ3作は制作途中でした。

でもそろそろすべて描きあがり、連休前には、保護剤が塗られ、足場が外されます。

 

原爆関連の施設は、これまでは善意で、無料や安価で提供されてきたように思います。

わたしも「夕凪の街 桜の国」の単行本が出版になる時、「原爆ものなのだから、なるべく安くしてください」と印税を下げて単価を安くしてもらうよう交渉したものでした(当初は千円の予定だったんだよ。担当の染谷さんが交渉してくれて800円になりました。それでも高い高い言われたけどね。おかげ様で売れたから利益が出て安心しました…)。

その点で、おりづるタワーの入館料は決して安くはありません。

しかし、これからの世代はみんな等しく無関係者で、特定の誰かや行政の善意にばかりすがる時代ではなくなってゆきます。

提供される側も、あるていど負担しつつ、継承してゆくことになるのでしょう。

当代のさまざまな分野の絵描きの肉筆巨大壁画が9作並んでいると思えば、決して高くはないな、と思ってもらえるといいです。

 

おりづるタワーの最上階からの眺めです。

 

作業の間は毎朝、原爆ドームの前でご挨拶して「領解文りょうげもん」を唱えておりました。

わたしは浄土真宗の門徒なので、実は、「般若心経」はちゃんと聞いたことがなくて、唱えたこともなかったのでした。

なので、10日の神社で、初めて「般若心経」を唱えたことになりました。

 

見えない誰かが、見かねて、読み方を教えてくれたのだな、と思いました。

 

ではまたね。