たくさん話す
なんでも話す
は本当に良いことなのか・・・?
状況によって
「常に善」とは限らないのでは・・・?
なんて話を書きました。
話すことを促すのは
状況によっては慎重さが求められる
そんなことを考えています。
「たくさん話して」と促すなら
「話をしてもらう技術」だけでなく
「話の量や質を見極める技術」や
「話せる準備状態を育てる技術」、
「話をとめる技術」が必要なはず。
そう考えるからです。
むかーし、
中学生の頃にスキー教室に
参加しました。
学校行事です。
その時にインストラクターの先生は
最初に ”正しい転び方” を
教えてくれました。
自分で止められないほどのスピードで
”怖い!” とパニックになりそうな時
どういうふうに止まれば
大事故や大ケガを防ぎ
無事の確率を上げられるか。
スピードが出るスポーツだからこそ
「どう止まるか」
「どう安全に転ぶか」
は大事な視点だったと思います。
何かあっても「いつでも止まれる」は
私の中にお守りのようにあって、
初めてのスキー教室の期間中
怖がり過ぎず、無謀になり過ぎず
ちょうどよくチャレンジすることを
支えてくれました。
(ぜんぜん上手にはなりませんでしたが!)
「二度とやりたくない!」
というほど嫌な思いをすれば
ふたたびチャレンジするのは
相当なハードルになってしまう。
だからこそ
自分の状態に合った ”できること” を
プロフェッショナル側が見極めること
が大切なのだと思います。
焦って焦らず。
人はつい教えたり、支えたりするほうが
本人以上に前のめりになって
先に進むよう促してしまいますが
着実な成果を求めるときこそ
大きなチャレンジをするときこそ
慎重に慎重に
ご本人の今に合わせることが
真の支援につながるのだろうと思います。
一日の積み上げは裏切らない。
適切な速度で
進んで行けたらと思います。
明日は新しい一日。
いい一日になりますように。
カミヤカオリ