自分にとっては
あまりに自然で気づかなかったけど
読み返していたら
神経可塑性のハナシから
「なぜトラウマの話に??」
と疑問が出ても不思議じゃないよな
と改めて反省。
ハナシがちょっと
飛んだ感じになりましたよね。
というわけで
このシリーズのスタート地点に
いったん戻って整理してみます。
最初は
「対話にならなくてしんどい」
で始まったわけだけど
対話にならないのは
性格のせいでもなく
相性のせいでもなく
そもそも
対話に対する嫌な経験が
原因かもしれないよ?
と展開させたのでした。
このタイミングで
「嫌な体験」→「トラウマ体験」
と言ってしまっても
よかったのだけど
それだと
やや唐突な伝わり方になるかなぁ、
トラウマなんて強い言葉を出したら
イヤ感あるかなぁ、
と思って
保留にしていました。
後でもう少し
話が進んでからにしよう、と。
それで。
トラウマというと、
一般的には
かなりひどい出来事に合って負う傷を
イメージすると思います。
事故に合う
犯罪被害に合う
災害に合う
などが代表的なところでしょうか。
実際、
そのイメージは正しくて、
その場合、
多くが1回の衝撃的な出来事が
引き金になるわけですが、
そういう
1回性の出来事によるトラウマだけでなく
トラウマ反応が出る出来事には
いろんなパターンがありえますよね。
1回の出来事の強度0から100まで
右から左まで
ひとくちに
トラウマ的な出来事といっても
程度がいろいろある、
というか。
その、一番薄い?弱い?軽い?
なんと表現すればいいのかな、
まぁ仮に軽い、にすると
一番軽いところにある
日常にありふれたトラウマとして
ずるいコミュニケーションによって
都合よく操作される体験
を例として挙げたわけです。
イメージを伝えるために
便宜上 ”軽い” と表現しましたが、
これがそうあっさりと
「軽い」とも言い切れないのが
トラウマの難しいところです。
なぜなら
1回1回はそれこそ軽くても
回数が重なれば重たくなるし、
じゃぁといって
単純に ”足し算” した重さになるのか?
といったら
そう単純でもないからです。
ちょっと一言
傷つくことを言われた、
という程度の出来事は
誰の人生にでも起こる
”フツウ” のことですし
実際、
傷ついたけど自然に立ち直る
ということが多いので
ほとんどの人が
当たり前の出来事で大したことない
と思っているはずです。
ダメージがゼロではないにしても、
だからといって
立ち直れないほどじゃないですもんね。
まさかトラウマになり得るとは
想像しません。
もちろん、
ひとつひとつは大したことのない
日常にありふれた傷つき(ちょっと嫌な体験)の
全部が全部、
トラウマになるわけではなく
個別の事情やいきさつが掛け合わさって
トラウマ化するから
また難しいというか
分かりづらいんだと思います。
日常にありふれた
ちょっとした傷つき体験は
「ただのコミュニケーションじゃん」
「よくある行き違いじゃん」
「その程度でいちいち傷ついてたら」
と言われて終わってしまいがち。
言ったほうも
言われたほうも
まさかそれがトラウマになる
可能性があるなどとは考えもしない。
トラウマといえば、
1回性の衝撃的なもののイメージがあるから
ささいなやり取りで起こる傷つきは
軽視してしまう。
だからこそ
軽視してしまいがちな
日常にありふれた小さな傷つき体験を
わざわざ(大袈裟と思わずに)
トラウマとして認識し、
ケアが必要なものである、と
扱う意義が出てくるわけです。
よくある出来事なだけに
見逃しやすく
本人も周りも
ケアが必要な状態だと気づかない。
小さな小さな
刺よりも小さな無数の傷つき。
その小さな傷つきは
ホコリのように
少しずつ、でも確実に降り積もって
気づいたときには
「生きづらい」
というなんだかよく分からない
ぼんやりとした塊が
いつの間にか
重くのしかかっている。
少しずつ苦しくなっていくから
すごく苦しくなっていることに
なかなか気づけない。
ホコリで息苦しい生活に
神経系は徐々に適応していく。
ゆっくりじっくり
ホコリが溜まる速度で。
日常にありふれた出来事によって
トラウマ反応が出ている人には
こういうケースが
とても多いと思います。
これというひどい目に
合ったわけではないけれど、
あるいは
一時的につらい時期はあったとはいえ
自分は普通の家庭で
普通の人生を歩んでいるだけなのに
なぜか生きづらい。
今は恵まれた環境にいると思うし
100%幸せとは言わないまでも
過去のことより
未来を考えたいと思うのに
なぜかネガティブになってしまう。
そういう人たちの
生きづらさはわがままなのでしょうか?
感謝が足りないのでしょうか?
私は違うと思います。
そういった方々は
もしかしたら、
ご自分のトラウマ体験に
自覚がないだけかもしれません。
はっきりとした
トラウマ体験が思い当たらなければ
トラウマが無いのか?といえば、
そうではない。
日常にありふれた傷つきも
降り積もればトラウマになり得るとすれば
トラウマ体験を自覚しているかどうか、
は案外あてにならないことになります。
そんなことをですね、
言いたくて
このシリーズを
だらだらと書いてきたわけです。。。
きっともっと簡潔に分かりやすく
言えるんだろうけど・・・
こんな説明になって申し訳ない!
自分にはトラウマなんて関係ない、
と思っている方々に
関係あるかもしれないよ?
といきなり伝えても
なかなか
受け取ってはもらえないよなぁ、
どういう順番で話せば
伝わりやすいかなぁ、
などと考えていたら
くだくだしくなってしまいました。。。
ま、というわけで、
このシリーズも長くなってきたけど
そろそろおしまい。
あと一回か、二回くらいは
続けるかも?
お楽しみに(?)
カミヤカオリ
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