気持ちがふさいでいます。
とても悲しいです。
悲しいだけでなく
がっかりしていて、少し怒っている。
そして、
ほっとしている部分もある。
ごくプライベートなことです。
これを読んでいる方は
「え、私のこと?」
と気にしなくて大丈夫です。
確実にあなたのことではありません。
外にいる誰かの話ではなく
内にいる誰かの話です。
どうぞご安心を(笑)。
私の中の誰かが泣いていました。
悲しくて泣いていました。
どうにも止められない涙を
流していました。
ずっと気づかないフリをしていた
悲しみに触れていました。
泣いても届かないことはあるし
泣いても解決しないこともある。
だけど、
悲しくて泣いているその誰かが
無視されずに
「泣いている」
と外側の私に気づいてもらえる体験と
「内側の誰かが泣いている」
と気づけた外側の自分の体験とが
ぴったりと触れ合うのは
心地よいものでした。
なんで泣いているのか、とか
どうやったら泣き止むのか、とか
そんなものは何もありません。
自分の中の誰かが悲しんでいる。
私の悲しみに気づいている人がいる。
自分の中の誰かが泣いている。
私の涙に気づいている人がいる。
それにお互いに気づくだけ。
無かったことにしない
大したことではないと評価しない
それは大変だと大騒ぎもしない
ただただそのありようを
外側の私と内側の私がともに体験しあうだけ。
「あぁ、そうだね」
「そうだったね」と。
悲しくて泣いていた内側の誰かは
「泣いている」
と外側の私に気づいてもらったからこそ
自分の感情を偽る必要から解放され
充分に泣けたはず。
”次” なんて
前のめりに求めていかなくても
おのずと生じるのを待てばいい。
学びなんて無理に得なくていい。
充分体験するだけでいい。
その場にとどまるだけでいい。
自分の中の誰かが泣いているとき
ちゃんと気づいてあげられていますか。
悲しんでいるのに
無視されている誰かはいませんか。
泣きたいのに泣くのを
我慢している誰かはいませんか。
自分に優しさを向けて。関心を寄せて。
すべてはそこからです。
日曜日の夜ですね。
今晩は『悲しんでいる私の中の誰か』の
そばにいてあげようと思います。
どうぞあたたかい夜を。
カミヤカオリ