なんとも先行き不分明な世の中である。わが国内外のエコノミスト達も、楽観論から悲観論まで見方が分かれる。経済では、成長率下降線の中国一つとってみても勇気づけられる要因に乏しく、政治も、テロから尖閣、米国大統領選挙まで、不安材料には事欠かない昨今だから無理もない。
 もともと、1970年代以来、世界情勢は、予測困難な時代に入っている。自由化、規制緩和、グローバル化が急速に進展して、あの神がかり的で一世を風靡した米国のグリーン・スパン(米経済学者、第13代連邦準備制度理事会(FRB)議長)も予測不能と嘆いたほどである。
 
 その中で、私が注目するのは、ヌリエル・ルービニ(Nouriel Roubini)ニューヨーク大学教授である。2008年のリーマン・ショックの到来を予測したユニークな学者だ。
 3月2日英国紙ザ・ガーディアンに掲載された記事によると、「最近よく聞かれる質問は、世界は、2008年に戻り、またもグローバル金融危機と不況に陥るのか、である。私の答えは、単刀直入『ノー』だ(a straightforward no)」。実に歯切れが良い。
 
 前出のグリーン・スパンは、リーマン・ショックの前年、2007年9月「波乱の時代(The Age of Turbulence)」という回顧録を出し、その中で、「我々が直面しているのは、バブルではなく、細かい泡で、経済全体の健全さを脅かすような規模のものではない」と述べている。弘法も筆の誤り、完全に読み間違えたわけだ。
 
 一方、昨年映画化されたマイケル・ルイスの「世紀の空売り」のように、逆に張って大儲けした勇気のある少数派もいた。
 
 ルービニは、12個にも及ぶステップを経て、それが全て起これば大破局に至るという立論であった。ルービニ論に批判的な人達の中には、12もの多数のステップがあるなら、最終的なステップが起こる前に手を打つことは難しくはなかろう、と主張する人達もいた。
 悪いことが、しばしば同時にあるいは次から次へと重なって起こるというのは、ほぼ世の常である。そして、気づいたときは手遅れというのがほぼ常に相場なのである。
 
 日本の不動産バブルの時も、銀行から度々勧誘があった。「儲け時です。いくらでもお貸ししますよ」と来る。「私には担保がありませんから」と言うと、「あなたなら担保なしで何億でもお貸ししますよ」とくる。
 「それは、正に狂気の沙汰でしょう」と言うと、「皆さんやっておられますよ」。
 米国でも2005年頃から、その「狂気の沙汰」が発生していた。狂気の沙汰だと批判しても、聞く耳持たずの状況だった。みな指標も数値も良好で、右肩上がりだと主張していた。
 数字が良ければ全て良いなら、監査役も不要であろう。あるいは、小学生でも、監査役が務まる。
 
 要するに、世の中の底流を見る洞察力を持つ人は、常に少数派である。それは、日本だけではない。そして、予測に反して、悪い結果が発生すると、廻りが皆同じ間違いを犯していたからと、自分の読み間違いを直ぐ忘れ、反省もしない。
 ついでに当てた人のことも往々にして忘れる。ルービニ教授が忘れられないのは、忘れるには余りに大き過ぎた事件だったからであろうか。あるいは、マイケル・ルイスのおかげかも知れない。
 いずれにせよ、ルービニ教授のご託宣を当面は信じたいと思う。