朝は寒いのに
昼間30度の京都です
秋になろうよ!!
って言いたい所ですww
みなさんこんにちは
セラピスト@橋屋奏古です
さて先日から
怒りの感情について書いています
よかったら他の記事も合わせて読んでみてくださいね
え!私の顔が三連になってしもたww
なんで!!
怒る事は恥ずかしい
みっともないという風習が
日本には根強くあるとおもいますが
個人の都合のいい様に解釈する
合理化も含まれているかな
と私個人は思います
心理セラピーをする様になってから
特にそう思う様になりました
よくよく考えると怒りって
毛嫌いする様になるまでには
こんな過程がありませんか?
怒るなんて恥ずかしいみっともないよ
と親に言われた事を鵜呑みにした
自分自身で本当にみっともないのか?
と考えた事はあるのか?
よくわからない親の不思議や
また理不尽な支配に対し
その時の自分の気持ちを殺して
親のいう事や支配を受け入れたのは誰か?
幼い時は抵抗すらできなかったけど
大人になった今も
はたして子供の頃の自分と同じなのか?
本当は同じではないはず
何も抵抗できない無力な自分のまま
ではないはずなんですよね
ずーっと自分は何もできない
ダメで無力な自分のままでいる事が問題で
無力な状態でいきる為には
人の力が必要になってきて
人にもらう必要が出てきます
無理だと諦め無駄だと諦め
怖さから逃げ
自分で立ち上がろうと歩こうとしない
これは、、、依存ですよね
相手のいう事を鵜呑みにして
自分の脳みそを止めて
自分で考える事を放棄して
自分の感情感覚も放棄して
正解や答えをいつも外側に探したり
相手の同意や許可がないと不安になったり
そんな生き方になってしまいがち
自分の怒りの感情や感覚を
抹消、消すというのは
依存OK 依存したい
という心が自分の奥に隠れている
怒りの感情感覚って
これは私個人の見解ですが
質感としてはとても強い
激しい、濃い
感情や感覚は目には見えないけど
性質、質感ってあります
そんな怒りの感情や感覚って
本来は大切なものを守る
絶対に!!!!
という自分自身との約束を果たす時
に発動し力を発揮するなとおもいます
大切なもの。。。。
守るもの。。。。。
約束。。。。。。。
それは自分自身の心です
じぶんで自分を救いにいく
自分も自分で守って大事にしないと
心って捨てられたままです。自分から。
怒りは相手への攻撃に使うのではなく
大事なものを守る時
そんな自分との約束を守る時
本来の力を発揮するなと思います
そしてこの強い濃いエネルギー
動く、創っていくという性質もあると思います
行動力になっていくんです
なので自分の怒りの感情をぶち曲げれば
解決か?というわれると
私はそうではないなと思います
この感情や感覚は
自分の生きる力として自分を動かしていく
相手に謝らせるのではなく
自分が動いていくという事をしないと
生きるエネルギーにまで達しない
そんなふうにおもいます
このエネルギー殺して消しているという事は
それはそれは生きづらいです
自分を殺しているから
何をやっても楽しくないし
結局虚しいし結局報われないし
だけど虚しいままにしているのは誰だろう
いつまでも自分を報わせないのは誰だろう
自分を報わせるために今日自分は
何をしたらいいかな?
セラピーではひとつずつ
終わらせていきます
過去を終わらせるというのは
自立していく事だなと改めて思います
それではまた!!